正元二年十一月二日(255/12/2⇔2024年6月16日13:00) 已百支国 宮田邑
その時、家の外から怒鳴り声のような音が聞こえた。
どうやら誰かが門番と言い争っているようだが、詳しくはわからない。すると長老ナシメが長い髭をさすりながら溜め息をつき、ゆっくりと立ち上がった。
『待』
大きく一文字を地面に書いた長老は、比古那達に隠れるように指示をだして家の外へ出た。長老が入り口のむしろを上げて外に出ようとした瞬間……。
「!」
槍太が叫びそうになるのを必死でこらえた。
「どうしたんだ?」
比古那が槍太に小声で聞く。全員が身を潜め、長老の指示通り入り口から死角になるように壁際に固まっている。
「あいつだ」
「誰?」
全員が『あいつ』とは誰かという事に薄々感づいていたのだが、声に出すのは憚られたのだ。
「洞窟であった、あの、残りの一人だ……」
洞窟で出会った兵士の集団。
仲間を呼びに行った男の顔は覚えていない。しかし残った三人のうち、一人は尊が石で殴り殺した。もう一人は比古那が剣で殺し、最後の一人は槍太が石を投げて撃退していたのだ。
その兵士らしき男は一人ではない。
仲間を呼びに行った兵士とあわせて、数人が家の前に集まっているように見えた。
「どうするんだ?」
「どうするんだって、どうしようもないじゃないか。長老が言ったように、隠れているしかない」
比古那の言葉に槍太が答えた。
確かに、そうするしかない。もし兵士が家の中に入ってきたら一巻の終わりである。六人の顔を覚えているのは二人居るし、なにより服装が怪しい。
どのくらいの時間がたっただろうか、長老ナシメが疲れた様な顔で家の中に入ってきた。
『勿憂』
「……? 何て読むんだ?」
比古那が聞く。
「『心配ない』って。どうやら兵士は帰ったみたいだ」
尊の言葉に全員がほっと胸をなで下ろす。ひとまずの危機は去ったわけだが、これからどうするか? このままこの村にいても、また兵士に見つかるかもしれない。
ナシメが書く。
『彼等是已百支国王之兵』
『王偉大、然彼兵行為不良』
「なんだって?」
今度は槍太が聞いてきた。
「いや、あいつらは已百支国王の兵で、その王様は偉大だけど、あいつらは素行が悪いらしい。……て事はここは、已百支国という国なのか?」
尊が自問自答する。
『此処已百支国哉』
『是』
「なんか尊が筆談できて良かったね! 誰も意思の疎通ができないから、どうしようかと思ってた」
尊と長老ナシメの筆談を五人は横で見ていたが、咲耶が言った。
「うん。この世の終わりかと思ったけど、これでとりあえずは襲われずに済むんじゃない?」
「でも、どうやって戻るかまだわかんないし……あ、そうだ。確か先生に会ったって……」
「「「「! ! !」」」」
尊以外の全員の視線が千尋に集中する。
「そうだ、そうだよ! あの兵隊のせいで忘れてたけど、先生に会ったって言ったじゃん、尊が!」
比古那がそう言って長老ナシメと話している尊に向かって叫んだ。
「あいた!」
いきなりナシメが杖で比古那を殴った。
比古那は一体何が起きたのかわからない。なんで殴られなければならないのか?
『危去了、然非油断』
ナシメが書いて尊が訳す。
「いや、大声出すなって。さっきの兵隊は帰ったけど、大声が聞こえたら、また戻ってくるかもしれないだろ?」
「あ、いや、すまん……」
冷静な比古那にしては珍しい。未経験の危険と遭遇し、その危険が去って一安心したのだろうか。
「それよりどうやらここは、已百支国って言って、弥馬壱国の国の一つらしい。そしてなんと、このおじいさんは、あの難升米だ。弟は都市牛利。女王卑弥呼が魏に使いをやったときの正使と副使だ」
(えええええ!)
さっき比古那が殴られたばかりなので、さすがに全員声を必死で抑えて叫ぶ(?)。
「そのお偉いさんがなにやってんのさ? こんな片田舎(?)かわからんけど、えーっと、弥馬壱国の都じゃないんだろ?」
「うん。まあ、歳も歳だから隠居みたいな感じらしい」
変なところで納得している比古那と尊だが、槍太が横やりを入れる。
「おいおい、いや、その弥馬壱国とか已百支国はわかったけど、大事なのはそこじゃないだろ? 先生見たって、その後どうしたんだよ?」
「そうよ、先生見たって、本当に先生なの?」
咲耶が当然の疑問を投げかけたが、尊が即答する。
「じゃあこの時代に、俺達と同じ服を着た人間、先生の他に考えられるか?」
ぐうの音も出ない。
「じゃあそうだとして、とりあえず、その同じ服の人、先生がどこ行ったのか聞いてよ」
「それはさっき、弥馬壱国に行ったって言ってたろ」
「あ、そうか」
尊と咲耶のやり取りに、他の四人に少しだけ笑いが漏れた。
「じゃあ私達、先生のいる……弥馬壱国に行かなきゃ」
千尋は小さいが、はっきりとした言葉でいった。
「うん、そうだな。尊、長老に邪馬台……いや、弥馬壱国がどこにあって、行くのにどのくらいかかるか聞いてくれるか?」
「わかった」
尊は同じように長老ナシメに筆談で弥馬壱国の場所と距離を聞く。しかしナシメは答えるものの、何か考えているようだ。
『東陸行千里、東水行二百十五里、東陸行四百十里』
「え? 里って……あの昔の、いや、当たり前か。一里って何キロ? 何メートルだ?」
「いや、わからん。確か江戸時代の日本の里なら3.92727kmだ。海里なら1.852kmだけど……多分違う。恐らくは古代中国の一里なんだろうけど、見当もつかないな」
槍太の問いに尊が答えるが、要領を得ない。
当然だ。日本と中国では一里の基準が違う。それに時代や国(古代の)によっても違うので、具体的に現代の距離に換算してどのくらいなのか、求めようがないのだ。
「待てよ? 陸行で次に水行、これ、海だよな? それからまた陸行。つまり最初に陸を歩いて、その後船で行く。それからまた陸を歩くから……最初が一番長くて次が後の陸行、一番短いのが真ん中の水行だ」
比古那は続ける。
「ということは、もし弥馬壱国が畿内なら、瀬戸内海を渡るから、一番短いのはありえない。つまり九州だ。現在地が長崎の黒崎で東に行って水行なら、その海は有明海で弥馬壱国は熊本じゃないか?」
比古那の推理に全員が耳を傾けていた。もし比古那の推理が正しければ、弥馬壱国は熊本にあって修一もそこにいるはずである。つまり、比古那達の目的地がはっきりする。
「でも、その距離を歩いて行くなんて、現実的じゃないよね。船が使えるのは良いけど……」
咲耶が不安げに言う。
「現実的も何も……既に今この状態が現実的じゃないだろ? 何言ってんだ? 当たり前だけど車もないし電車なんてない。歩いて行くしかないんだ……」
六人は自分達が弥生時代の日本にいることを、実感せざるをえなかった。どんなにあり得なくても、目の前の現実がそれを物語っているのだ。
長老ナシメは六人の会話を静かに見守っていたが、突然杖で地面をコツコツと叩いて注意を引いた。全員の視線が長老に向けられると、ナシメは新たに地面に文字を書き始めた。
『汝等欲行弥馬壱国哉』
尊がそれを読み上げる。
「俺たちに弥馬壱国へ行きたいのかって聞いてるみたいだ」
それを聞いて比古那は全員の顔を見回したが、答えは既に決まっている。
『然』
尊が全員にアイコンタクトをして、地面に書いた。するとナシメはニコニコしながら髭をさする。どうもクセのようだ。
『吾等行明日弥馬壱国』
「え?」
尊は思わず声に出してしまった。
「どうした?」
比古那が聞いてくる。槍太は横で同じ顔をしているが、全員の注目が尊に集まった。
「明日、弥馬壱国に行くらしい」
次回 第19話 (仮)『弥馬壱国へ』
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