安政七年三月二十四日(1860/4/14) 江戸城 評定部屋
「御大老、真に斯様な高札を市井に立てるのでございますか」
「然様、病のため療養とする旨の上書もあれど、斯様な仕儀にてお亡くなりになった事は、すでに江戸市中に知れ渡っておろう。時を経ずして日本中に広まるは必定。然らば真の事を公にし、公儀のこの後の有り様を知らしめるが肝要」
桜田門外の変当時の老中は、以下のとおりである。
・安藤対馬守信正
・久世広周(正確には直後に安藤信正が推挙)
・松平和泉守乗全
・内藤紀伊守信親
・脇坂淡路守安宅
5人いた老中から大老として安藤信正が選ばれ、老中首座には久世広周が据えられた。
本来、史実であれば大老にはならず、安藤信正は首座であった。
しかし水戸藩許すまじという気運が幕府内に燃え上がり、井伊直弼同様、強権をもって政権を運営をするための処置として、信正は好むと好まざるに関わらず拝命したのである。
その信正が掲げた高札は幕府の断固たる決意の表れであった。
告
去る三月三日、御大老井伊掃部頭殿、桜田門外に於いて逆賊共に襲撃され討たれけり候。斯様な暴挙は誠に以て公儀に対する不忠不義の大罪に候。決して許されざる候間、厳しく処罰せんと決し候。
而して、首謀者並びに加担せし者共を速やかに召捕リ、厳重に処罰する事に相定め候。賊徒を匿ひ隠す者も同罪にて罰せらるるべく、見掛け次第急報致すべしと達し候。
襲撃者並びに首謀者、加えて加担せし者どもの身元は分かり次第高札に記すものと決し候。
以後斯様な無法を決して許さず、天下の泰平を守らんと決し候。
大老 安藤対馬守
老中 久世出雲守
老中 松平和泉守
老中 内藤紀伊守
老中 脇坂淡路守
万延元年 三月二十四日
「某は正直なところ、南紀や一橋などは関心がござらぬ。すでに公方様は決しておるし、開国はすでに決まった国の掟(方針)である。ゆえに只今、彼の者等をどうこういたすつもりは毛頭ない。然れど、然れど此度の件は、許すべからざる仕儀にござろう!」
激昂する安藤信正を見て、久世広周は問う。
「然れば、如何なさいますか? 水戸の浪士という事は分かっております。薩摩の者も交じっておったと聞きおよびまするぞ」
信正はため息をつき、嫌そうな顔をする。誰だってやりたくないし、できれば嫌われたくはない。しかし、誰かがやらなければならないのだ。
「まずは報復を防ぐために、事の真相を究明するのは無論の事、水戸の中納言様には隠居していただくほかあるまい。加えて家老のいずれかに切腹を命ずる。その上で藩校である弘道館の廃止もしくは水戸学を禁ずる触れを出そうかと存ずる。水戸学に関しては、尊王はまだしも攘夷などと、時世にそぐわぬこと甚だしい」
「水戸学そのものは、此度の暴挙に関わっているとは思えませぬが、如何でしょうか」
広周の問いに、またも信正は頭を悩ませる。
「それもそうだが、条約の調印に勅許がいるというのは、掃部頭様も考えておられた。その旨朝廷に上書するも間に合わず調印とあいなったが、決して軽んじたわけではない。それがどういう訳か朝廷を軽んずる、すなわち尊王の志に欠け、また攘夷を行わない弱腰であるとなっておるではないか。思い違いも甚だしい」
信正の答えを受けて広周が考えながら返す。
「では事の次第が明らかになり、下手人ならびに首謀者、加えて加担せし者の身元が明らかになったのちに家老を罰するとして、弘道館は如何なさるのですか?」
「藩校そのものを否とするわけではない。……そうであるな。如何に攘夷が絵空事であるか。此度の樺太の件も、ロシアが我が国を与し易く騙しやすいと軽んじたゆえの所業。ゆえに強くあらねばならぬのだ。いっそのこと、一年ほど大村に行ってもらおうかの。これは水戸に限った事ではない。水戸学を教えるすべての学者を対象といたそう」
では? と広周が聞いて来たので信正は締めくくった。
「うむ。おおよそは掃部頭様のやり方をそのままといたそう。有能な人物は登用いたすが、そこに南紀派や一橋派はない。然りとて公儀の威信は揺らいでいる事も確かである。よりいっそうの朝廷との結びつきを考えねばなるまい。加えて……」
『公儀表警護方』
井伊直弼と同じような事が二度と起こってはならないと、老中直轄の警護部門を発足させた。登城と下城、さらに屋敷に戻った後の警護も厳重にするようにしたのである。
■長崎出島 オランダ領事館
「クルティウス殿、お疲れ様でございます。いや、『オランダはすなわちクルティウス殿』でございましたから、なんだか実感が湧きませんね」
「いえ、こちらこそ。次郎殿のおかげで、私も任務を果たすことができ、またいろいろな功績を残すことができました。感謝しかありません。ああ……こちらは後任のJ・K・デ・ウィットです」
「はじめまして……」
「なんだって! ? やっぱりか!」
次郎達が最後のオランダ商館長となったクルティウスの送別会をしている最中、急報がもたらされたのだ。
■薩摩
「なに! ? 我が家中の者が掃部頭を討ったと?」
「は、正しくは家中を脱した者が、水戸の者どもと謀って起こした儀にございます」
斉彬は驚きとともに頭を抱えた。
「何たることだ。確かに掃部頭とは争っておったが、斯様な仕儀になるような間柄ではない! ……して、下手人として身元は割れたのか?」
「は、二年前に家中を脱しましたる有村次左衛門にございます。此の者はすでに現場にて絶命しておりますが……」
「……なんじゃ?」
「兄の雄助は襲撃に加わってはおらぬものの、事の次第を京の仲間に知らせる役割をおっており、我が家中の手の者が捕らえましてございます。只今は伏見の屋敷にて匿っております」
はああ、と斉彬は頭を抱えた。
しかし、ここで幕府に差し出したところで、島津の関与を疑われるのは間違いない。自害をさせても、わからぬように殺しても、結局は同じ事だ。
ならば絶対に見つからぬようにして、知らぬ存ぜぬを通す他はない。
斉彬はそう結論づけた。同行していた水戸藩士も同じだ。余計に関与を疑われる。
「鹿児島につれて参れ。しかる後に琉球に送る」
「琉球に、でございますか?」
「うむ。家族も同じだ。琉球ならば公儀とておいそれとは近づけまい。我が家中の手引きなしでは、渡る事すらままならぬゆえな」
「承知いたしました」
有村次左衛門に関してはどうにもできない。薩摩は関与しておらず、脱藩浪士のことまではわからぬ、で斉彬は押し通した。
次回 第247話 (仮)『安藤新体制とその後』
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