文久元年十二月十二日(1862/1/11) 江戸 善福寺 アメリカ公使館
アメリカ本国では北軍合衆国と南軍連合国が戦争をしている。ここ日本でもロシアによる対馬占拠事件が起こり、非道な異人を廃すべきとの国内の攘夷ムードは高まりつつあったのだ。
そんな国内外の状況とはまったく無関係に、公使館の中庭ではいつものように庭師の佐兵衛が手入れに励んでいる。
前もって訪問を伝えていたので、次郎は待つことなくハリスと面談できた。
「これはMr.太田和、今日はどういったご用件ですか? 前回の合同会談以来ですね」
玄関まで迎えに出てきたハリスが言った。
合同会談とはロシアの対馬占拠、それに対する大村藩によるロシア軍艦撃沈という一連の事変に関する対応を、イギリス・フランス・オランダ・アメリカと合同で協議したことである。
「そうですね。今回は閣下にお伺いしたい事がありまして、伺いました」
「ほう……なんでしょうか。さあ、どうぞこちらへ。コーヒーでよろしいでしょうか」
ハリスは給仕にコーヒーを用意させた。次郎が紅茶よりコーヒーが好きだということを知って、準備させたのだ。旧暦の十二月、新暦でも1月11日の真冬である。
寒い。
執務室に置かれたストーブが、ハリスと次郎を温かく迎え入れる。
「その、何と言いますか……どんな感じですか、状況は」
「……はて。何の事ですかな、状況とは」
状況とはもちろん南北戦争の戦況と今後の見通しのことであるが、ハリスは外国に在外公使館を置いていない日本の役人が、詳細な情報を知っているはずがないと認識していたのだ。
南北戦争が始まったのが昨年(西暦)の4月12日。4か国会談が行われたのが、文久元年八月十二日(1861/9/16)である。
「……まあ、ここで押し問答しても仕方ありませんね。失礼しました。今年の4月に始まった貴国の内戦のことですよ。南部が合衆国から分離して連合国を名乗り、合衆国を相手に戦争になっているでしょう?」
「ほう……」
ハリスは笑みを浮かべつつも、瞳の奥は笑っていない。
「7月にバージニアに侵攻したはいいものの、南軍の頑強な抵抗にあって、長期化は避けられないのでは、と私は考えるのですが、いかがなものでしょうか」
ピクリとハリスの眉が動く。そんな情報をなぜ知っているのだ?
「なるほど、随分とお詳しいようで。仮にその話が正しいとして、なぜご存じなのですか。情報の収集ルートに、非常に興味がありますね」
「……Mr.ハリス、今はそのようなことは些事ではありませんか? どうでもよい。戦争が長期化して、南軍にイギリスが介入するような事があれば、泥沼と化しますぞ」
次郎はハリスの問いに答えることはなく、話を進めようとした。
「いやいや、Mr.太田和。話を持ってきたのはそちらです。用件をはっきりとおっしゃってください」
ハリスは次郎が言ったように、なぜ? という疑問から、何を? という質問に切り替えた。
「失礼、では本題に入ります。現在継続中の貴国の内戦状態においてですが、長期化すれば必要になるのは軍需物資と戦費かと思います。貴国はどのようにして調達しようと考えていらっしゃいますか」
「ほう……」
ハリスは一瞬、眉をひそめた後、ゆっくりと表情を緩めた。
「戦時国債を発行して、それを担保に資金を調達し、軍需物資も同様です」
「ならばそれを買わせていただきたい」
「なんと! ? それは本気ですか?」
「冗談でこんなことは言えません。ただし、支払いは通貨ではなく、物資によって行いたいのです」
「物資とは?」
ハリスの声が引き締まる。
「鋼材です。わが家中で製造された鋼材を、国債の支払いに充てたいと考えています。船舶用、大砲用、鉄道用。鋼材の用途は幅広い」
ハリスは黙りこくってしまった。資金調達のための国債であるが、要するにその金を使って鋼材をつくり、大砲やその他の武器弾薬にあてるのである。
「しかし、鋼材とは……」
ハリスは考えている。
金ではないにしても軍需物資を国債と交換するのであれば、同じことだ。ただ、問題はその品質である。
強度はどうか?
加工のしやすさは?
本国で製造に値するものなのか?
次郎はそのハリスの疑問を読み取った。
「品質において不安があるのではないですか? 当然ですね」
「それは……確かに。良品だとしても初めての取引になるわけですからね。それは貴国ならずともイギリスやフランス、欧州各国のどの国でも同じことです」
「ではこうしましょう。鋼材にしても真鍮にしても、少量の品質の検査に必要な分だけ国債を買い、貴国で検査をしてください。もしくは貴国の技術者を検査のために大村に呼んでもいい。その上で判断なさってはいかがでしょうか」
ハリスの疑問に対して、妥当ともいえる改善策を次郎は提示した。
「なるほど」
ハリスは深くうなずいた。
「試験的な取引というわけですか」
「はい。その方がお互いに安心できるでしょう」
次郎は懐から一枚の書類を取り出した。
「これが精煉方による品質調査表です」
そこにはひび割れ・気泡・錆・欠けの有無、叩いた際の音の種類、曲げ試験、試験的な万能試験機でのテスト結果などが記載されていた。
日本基準のものなのでアメリカがどう判断するかは別だが、判断材料の1つである。
ハリスは書類に目を通しながら、時折眉を動かす。
「ふむ。……では、これをもって本国に確認してみましょう。いくら戦時とは言え、低品質のものであれば影響がありますからな」
「ごもっともです」
「ところでMr.太田和。つかぬことをお伺いしますが、いえ、これは個人的な質問です。あなたはわが国の事情になぜかお詳しい。そこで、今後の戦況をどう見ますか?」
次郎は一瞬、言葉を選んだ。転生者としての知識をどこまで出すべきか。
「ふむ……順当にいけば、北軍、合衆国でしょうね」
「その理由は?」
「単純なことです。工業力・人口・経済力……すべてにおいて合衆国が上回っている。連合国の抵抗はあるでしょうが、最終的に勝つのは合衆国と見るのが妥当でしょう」
「なるほど、その……いや、これ以上は聞きますまい。では、私はこの件を本国に伝えますので、あなたは国内をまとめてください。これはまだ、幕府の公式見解ではないのでしょう?」
「……」
ハリスもまた百戦錬磨のつわものである。次郎の申し出が幕府の公認ではなく、次郎個人の考えだということを見抜いていたのだ。
■江戸城
「何? まだ女がどうこうなどと言っておるのか? 然様な事を再び申すようであれば罷免いたすと申し伝えろ! まったく、誰も彼もが物事の本質をわかっておらぬ」
おそらく『女』というワードは駿河におけるお里の事であろう。あれから数人が罷免されたのであろうか?
「御奉行様、六位蔵人様がお見えになっています」
「太田和殿が?」
小栗上野介は次郎の来訪に驚きながらも、だいたいこういう時は大きな問題や提案を持ってくる。そう思って期待と不安に胸が膨らんだのであった。
次回 第268話 (仮)『小栗上野介と京都と薩摩の不穏分子』
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