第296話 『租界潜入』

 文久二年九月一日(1862年10月23日) 上海 イギリス公使館

「失礼します」

 明らかにそれと分かる風貌の男が、公使館内でパークスの部屋のドアを叩いて入り、開口一番に告げた。イギリス租界一円を管轄している警察署の署長である。

 すでに捜索開始から10日がたっていた。

「どうした? 見つかったか?」

「いえ、残念ながら……」

「! いったい何をやっているのだね? シーク教徒どもなど、代わりはいくらでもいるのだから、昼夜を問わずに捜させれば良いのだ」

 パークスの焦りは募っていた。

「見つかってはおりませんが、気になることが2つ」

「なんだね?」

「はい、ここ数日前まで、妙に羽振りのいい男の2人組がいたらしいのですが、ぱったりと見なくなったようなのです」

「……感づいたか?」

「それは分かりませんが、もう1つ。どうやら何者かが同じように2人組を捜しているようなのです」

 警察署長は生麦事件や日英の外交戦の事など知るよしもない。

「くそう……わかった。2人組と一緒にその何者かも捜すのだ。やり方は任せる。……いいかね? もし捕らえようとして抵抗したり、逃げようなどとすれば、わかっているね?」

「はい」




 ■フランス租界

「どうやら2人は潜伏先を変えたようだ。以前は酒場や賭博場に出入りしていたらしいが、最近は全く姿を見せていない」

 王徳仁は深刻な面持ちで言った。

「どこへ消えたんだ?」

 晋作が鋭く尋ねた。

「おそらく、どこかの隠れ家に潜伏しているのだろう。あるいは、既に上海を離れた可能性もある」

「くそっ……このままでは、いつまでたっても2人を見つけられない」




「見つけたぜ! 王さん!」

 勢いよくドアを開けて、今道晋九郎も聞き取れない言葉で叫んだのは金羅漢(最初に案内した男)である。

「どうした! ?」

 晋作の質問に王が金の報告をそのまま伝える。

「見つかったようだぞ」

「なんだって? どこだ! ?」

「イギリス租界とフランス租界の境界、黄浦江沿いのホテル『黄浦楼 』だ」

「よし! いくぞみんな! 案内してくれ!」




 ■ホテル『黄浦楼 』

 青幇ちんぱんの情報網で2人の名前はわかっていた。

 どうやら相当焦っていたのか、1泊ずつホテルを変えていたようだ。しかし名前は変えていない。ホテルの従業員に賄賂を渡し、部屋番号を聞いてさっそく早速パーシーとビルの部屋へと向かったが、部屋はもぬけの殻だった。

「ちっ……逃げられたか」

 晋作は舌打ちした。従業員に聞き込みを行ったが、2人の行方はわからなかった。ただ、少し前にイギリス租界の警察が同じ二人組のことを聞きに来ていたらしい。

「警察か……奴らに感づかれたか」

 晋作は眉をひそめた。

「しかし、どこへ行ったんだ?」

 五代が尋ねた。

「おそらく……港のすぐ近くのこのホテルに1泊しているとなれば、埠頭ふとうに向かったのだろう。このまま上海を離れるつもりかもしれない」

 晋作は推理した。確証はないが、可能性の高い方へかけたのだ。




 夜のとばりが降り始めていたにもかかわらず、埠頭は多くの人々でにぎわっていた。晋作達は人混みをかき分けながら、パーシーとビルの姿を探した。

 その時、金羅漢が叫んだ。

「あそこにいます!」

 金が指差す方を見ると、パーシーとビルが数人の男たちに囲まれ、もみ合いになっているのが見えた。男たちは皆、腕に赤い腕章を巻いている。

 イギリス租界を拠点とし、アヘン利権を巡り青幇と対立する紅幇ほんぱんの構成員たちだ。

「あれは……ち! 紅幇のヤツらか! しかも張までいやがる」

 王が吐き捨てるように言い、晋作達に説明する。
 
 青幇は大運河のギルドが基盤で近年上海を根城とするようになっており、紅幇は内陸部の水運業者が長江中下流域に進出してできたものだ。

 同じようにアヘンの売買が大きな収益となっていた。

 規模・知名度ともに青幇の方が上回っていたが、それでも紅幇と全面戦争をするとなると、青幇も相応の被害を覚悟しなければならない。それが王が吐き捨てるように言った理由だ。

 紅幇はおそらくイギリス公使館から依頼を受けて、二人を捕らえようとしていたのだろう。

「いくぞみんな! 覚悟を決めろ!」

 晋作は拳銃を手に取り、2人を囲む男達へと進んでいく。

「くそっ! 晋作! 割増料金だぞ!」

 王と金に率いられた青幇が続くと、中牟田や五代らの日本陣営も後に続いた。




 埠頭は騒然となった。晋作一行と紅幇の男たちが入り乱れ、怒号と罵声が飛び交う銃撃戦だ。

「二人を放せ! さもないとどうなるか分かっているだろうな?」

 晋作は大声で威嚇するが、もとより言葉が通じない。

 ただ、お互いが敵であることしかわからないのだ。晋作の合図で一斉に紅幇の男たちに向けて撃ちかかる。埠頭は激しい銃撃戦の舞台と化し、晋作達はリボルバーを手に応戦する。

 多勢に無勢ではあったが、紅幇の男たちも青幇との抗争で疲弊しており、本気を言えばさっさと2人組を連れて引き揚げたかった。

「仕方ねえ、取られるよりマシだ。お前らに恨みはないが、死んでもらうぞ!」

 紅幇のリーダーの張は、形勢不利と見るや、パーシーとビルに銃口を向けた。

「や、やめ……」

「待て、金はある!」

 2人の懇願を無視して張が引き金を引き、バアン! バアン! バアン! バアン! という音が響き渡った。

「引き揚げるぞ!」

 張はそう言って仲間を連れて逃走する。

「くそっ! 待ちやがれ!」

「待て晋作! 2人が先だ!」

 晋作は叫んだが、中牟田の声に我に返って2人を見る。2人とも腹部に銃創があり、かなり出血していた。

「あの野郎……腹をやられている、残念だがもう助からんだろう」

 王が首を横にふる。

「まだわからん、運ぶぞ!」

 晋作が声をあげ、全員で搬送の準備をする。




 バシャ! バシャ! バシャ! 




 突然の閃光せんこうとともに現れた男は、晋作をはじめ一行をよく知る人物であった。




 次回予告 第297話 『謎の男、その正体と目的』

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