第298話 『埠頭の攻防とそれぞれの思惑』

  文久二年九月一日(1862年10月23日) 夜 上海 埠頭ふとう

「rukko! eh log chor nahin! (待て! ちょっと! 人たち、あれ、犯人、違う!)」

「おお晋九郎! 遅いぞ! 何やってたんだ!」

 息を切らしながら説明していた今道晋九郎は、晋作に即座に返す。

「そりゃないですよ晋作さん! でもそれどころじゃない。僕の言葉が通じるかどうか……」

 晋九郎は警官隊の方を指さした。

「この人たちは犯人を追っているんです。それで僕たちが怪しいと……」

「そりゃなんとなくわかる。どうにかしてくれ」

 何気ない一言が晋九郎をなえさせた事は全く意に介さずに、事態の解決を丸投げする晋作。彦馬は横でうんうんと首を縦に振っている。




「なんだチビスケ、私の言葉がわかるのか……?」

 無表情だったシーク教徒の巡査長の顔が、少しだけ晋九郎を見てピクリと動いた。晋九郎は19歳だが幼顔で、晋作たち全員から弟みたいに可愛がられていたのだ。

「少しだけ……。違う、犯人、巻き込まれた、彼ら」

「巻き込まれた?」

 最初は険しい表情だった巡査長だが、徐々に意思の疎通ができているようだった。

「しかしそれでも、この状況で彼らを署に連れて行かないわけにはいかない。銃撃戦にいた当事者なのだから」

 首を横に振る巡査長に対して、晋九郎は一歩も引き下がらない。




「国のためです!」

「国のため?」

 巡査長は眉をひそめた。

「知っている、私たち。殺され、いじめられた、イギリス人に、あなたたち。同じ、私たち……!」

「……」

 晋九郎は学んでいた。

 欧米列強がこれまでアフリカ・インド・アジアの国々でやってきた植民地政策を、学校の授業で学んでいたのだ。

 そしてそれを憎しみとして攘夷じょうい方向へ向かわせるのではなく、今は臥薪嘗胆がしんしょうたんだと教わってもいた。学ぶべきところは学び、強くなり、侵略されない国造りをする。

 それこそが大事だと次郎が掲げていたからである。

 現在では人権問題等で、メディアをにぎわせている人種迫害ではあるが、この時代に言っても通じるはずがない。

「知っている、私たち、清国を。したか、何を、イギリスが。戦っている、イギリスと、私たち、国を救うため」

「……!」

 戦っている、イギリスと、というフレーズが晋九郎の口から出たときに、巡査長の顔色が変わった。

「イギリスと戦っている?」




「ふふ、ふふふ、ふははははははは!」

 馬上のシーク教徒の巡査長は大きく笑って晋九郎に言った。

「遠く離れたこの地で、イギリスを敵として戦っている同志がいたとはな。オレたちは負けちまったが、志は同じだ。わかった、行け!」

「え?」

 晋九郎でさえ半分程度しか聞き取れなかったが、どうやら見逃してくれそうだ。

「心配するな、当事者は全員逃げた後で誰もいなかったと報告すればいい……Go quickly!」

「晋作さん! 大丈夫なようです!」

「いけるのか?」

「のようです!」




 ■翌朝 済世丸

「先生はまだ寝ているのですか?」

「ああ、執刀医は全員寝ている。相当長い手術だったからな」

 晋九郎の問いかけに雄城直紀が答えた。

 雄城直紀と中牟田倉之助、五代才助(友厚)と峰源助、そして今道晋九郎の5人は瀕死ひんしの3人を済世丸へ運び、医療に直接関係のない雑用をしていたのだ。

「社会の勉強って、役に立つんですね……」

 晋九郎は尋常小学校で習ったことをしみじみと語った。

「植民地、あの警官たちはイギリスの植民地のインドから連れてこられた人たちなんですよ。そこで……私たちは同じようにイギリスと敵対する同志です! みたいなことを言ったら逃してくれました」

「そんなことが……それはさておき、すぐさま出立せねばなるまい」

「え? もう日本へ帰るのですか?」

「然様、御家老様は公儀の許しを得ておると仰せであった。通商を求めて上海へきたものの、清国はやはり日本を格下に見ておるようだ。物は買えぬし、売るにもオランダ商人を介さねばならぬ。その上、売れ行きもよくない。長居しても詮無きことと仰せだ」

 2人組の身柄の確保という次郎の目的は果たせた。

 幕府の目的であった交易も芳しくない状況で、長居する理由がない。その旨、中牟田や五代、晋作などの千歳丸と玖島丸の先発組にも安藤信正の書状を見せて納得させ、出港する運びとなった。




 ■イギリス公使館

「一体何をしておったのだ!」

 パークスは警察署長と紅幇ほんぱんの幹部である張を前にして怒鳴り声を上げた。署長は無表情だが、張は意に介さずヘラヘラしている。

「パークスの旦那、オレたちゃ仕事しましたぜ。確保はできなかったが、殺した。腹に2発ずつな。ありゃ助からねえ。最悪でも仕事はしたんだから、危ねえ橋渡った分、報酬はもらわねえとな……」

 張が右手を腹の前に出して、親指と人差し指を円形に結んだ金のサインをする。

「く……。間違いないだろうな」

「もちろんですとも旦那。腹、しかもここ、肝臓ですぜ。助かるはずはない」

 張はニヤリと笑った。パークスは眉間にシワを寄せたまま、ゆっくりと口を開いた。

「死体を……死んだのは確認していないのか?」

「おいおい旦那、冗談きついですぜ。オレたちは命がけで……」

「いいから黙れ。……ん? アーサーはどうした?」

 パークスはお目付け役として紅幇に同行させた職員のアーサーがいないことに気がついた。

「それが……ですね、旦那。運の悪いことに流れ弾に当たってしまって……」

 パークスの表情が変わる。

「……なんだ? どうした? その先を言ってもらおうか」

「連れ出そうとしたんですが、事切れてしまって……」

「なんだと! そのまま放置してきたのか!」

「……だから言ったじゃねえか、なんで人をつけるんだって! 荒事をするには荒事をする人間が必要だ。お上品な紳士様なんていい標的ですぜ。オレたちはできるだけのことをやった。あとは報酬をもらうだけだ」

 開き直った張であったが、事実は少し違う。

 退却しようとした際に張が手下に殺させたのだ。
 
 事の一部始終を報告されたら立場が悪くなる。2人が確実に死んだことを確認せずに、奪われる恐れがあるのに撤退したことがバレるのだ。

 そのために手を下した。流れ弾というのは大嘘だ。




「旦那……まさか払わないって事はないよな。いくら公使様とはいえ、こっちは信用でメシを食ってんだ。わかるよな?」

「……ああ、わかった! くそ! 金は使用人に払いに行かせる! もういい、下がれ!」




「署長、3人の死体はあったのか?」

「いえ、到着したときにはすでに誰もおらず、死体の中に3人は確認できませんでした」

「くそうっ! !」

 ダンッ! と両手で机を叩きつけるパークスであったが、どうしようもない。

「それで、日本人はどうなった?」

「はっ。現場からの報告によりますと、到着時はすでに誰もおらず、逃走したと思われます」

「……船だ。日本から来た船はもちろん、出港前に立ち入り検査を行うのだ! 逃してはならん!」

「はっ」




 次回予告 第299話 『帰途』

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