第303話 『ジョン・ラッセルとパーマストン』

 文久二年十月二十八日(1862年12月19日) イギリス

 極秘

 1862年9月10日

 ラッセル外務大臣閣下

 横浜より、憂慮すべき事件についてご報告申し上げます。去る8月26日、生麦村において、上海の貿易商であるC.L.リチャードソン氏を含む英国人一行が薩摩藩の行列と遭遇いたしました。

 その際、一行の近くに欧米人と見られる不審な2人組が現れ、突然発砲しました。この発砲は薩摩藩の行列に向けられたものか、あるいは何らかの威嚇射撃であったかは不明です。

 しかしながらこの発砲により薩摩藩士が一行を襲撃するという事件が発生し、結果として、リチャードソン氏を含む3名の英国人が重傷を負うという、痛ましい事態となりました。

 幸いにも死者は出ておりませんが、3名とも深刻な傷を負っております。

 事件直後、私は現地の日本当局に厳重な抗議を行い、徹底的な捜査を要求しました。しかしながら、現在のところ不審者2人の身柄は確保されておらず、発砲後に現場から逃走したと報告を受けております。

 目撃者の証言によれば、薩摩藩士は発砲を攻撃と捉え、一行を襲撃したものと思われます。薩摩藩の行列の護衛が不審者を取り押さえようとしたものの、不審者は逃走に成功したとの情報もございますが、詳細は依然として不明瞭です。

 この点についても、徹底的な調査が必要です。

 私は、この事態を断じて看過することはできません。つきましては日本政府に対し、以下の要求を行う所存です。

 ・公式な謝罪

 ・不審者2人の即時逮捕と引き渡し、そして薩摩藩による襲撃責任の明確化

 ・負傷者に対する相応の賠償金

 これらの要求は、来る9月16日より開始される交渉において、日本側に提示する予定です。しかしながらこの事件は日英関係に重大な影響を与える可能性があり、最終的な判断は本国政府の指示に従うべきであると考えます。

 つきましては今後の対応につきまして、閣下の賢明なるご指示を賜りたく、切にお願い申し上げます。

 敬具

 駐日英国公使館代理公使 エドワード・セント・ジョン・ニール




「……という次第です。ニール代理公使の判断は間違っておらず、その行動もわが大英帝国の国益にかなったものと思いますが、いかがでしょうか」

 外務大臣であるジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)は、自身への手紙を熟読した後、首相であるヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵・以降パーマストンと記載)に伺いを立てた。

 ラッセルは政治家としてはパーマストンよりも先輩であったが、所属政党や派閥の入れ替わりが激しく、パーマストンがラッセル内閣の外務大臣となったり、逆に現時点ではパーマストン内閣の外務大臣となっていた。

「そうですね……概ね問題ないでしょう。わが帝国の臣民に害を及ぼすなどあり得ません。清国とは違い、日本においては後手後手に回っています。ここらで挽回ばんかいし、各国を主導する本来の大英帝国の姿に戻さなければならないでしょう」

「はい、しかし……」

 この時点では2人ともニールの行動については同意していたが、ラッセルが口ごもった。

「何か?」

「日本という国は、不思議な……今までにない国です。特にサハリンの件やこの間の対馬の件にしても、我が国が仲介しようとしても、独自の外交で乗り切りました。また驚くべき事に、アメリカの艦隊が日本に初めて行った際にはコルベットやスループ程度の船しかなかったものの、今では汽帆フリゲート、しかも全てがスクリュー駆動の艦艇、海軍を有しています」

「ほう……日本は蛮族の国ではないものの、文明後進国と思っていたが、そこまでの海軍を……」

「いえ、正しくは今回の『SATSUMA』と同じく西の端の領主『OOMURA』の家臣である、フィクサージロウなる者の主導です」

「ん? ジロウとは……まさかあのジロウですか? 各国の条約締結の裏で暗躍し、時には交渉の席にも現れ辣腕をふるったという……。うーむ……いずれにしても、国ではなく、一領主がそのような強力な(非力ながらも)海軍を持っているのですか? 日本という国の海軍ではなく?」

 パーマストンは第一次内閣の時に日本との条約の締結や諸々の条件交渉などを行い、外交における要所要所で出現する、ジロウの存在を思い出したのだ。

「はい、事実上の日本で最強の海軍は『OOMURA』でしょう。『BAKUHU』も追随してはおりますが、なかなか……」

「ふむ……それで国家としての体が保てるのだろうか? 国家より領主の軍が強いなど……」

「そこが1つ、日本の不思議な所以ではありますが……ところで、どうしましょうか」

「うむ。大筋はニール代理公使の言うとおりで良いでしょう。賠償金は……そうですね。10万ポンドと、あと当事者には2万5千ポンド。死ななかったとはいえ、生半可な事では大英帝国の|沽券《こけん》に関わりますからね」

「承知しました」




 さっそくラッセル外相からニールに対して訓令が発せられた。




 ■横浜 島津宿舎

「ふう……これでようやく薩摩へ帰れるわい」

 久光がホッと肩をなで下ろし、安堵あんどの声を上げているときにそれは起きた。

「申し上げます! こちらをご覧ください!」

「なんじゃ騒々しい」

 伝令が持ってきた書状を見て、久光は激怒した。

「なんじゃこれは! まだ斯様かような事を申しておるのか! わが島津に謝罪せよと! もし叶わぬなら責任をとって、わしが求めたる五大老への忠義の就任を辞すべきだと! ?」

 前回のイギリスとの交渉の際にでてきた、当事者の謝罪である。死者が出なかったので史実のような犯人引き渡しとはならなかったものの、当事者の謝罪は求められたのだ。

 日本側としては慣習を考慮したとしても、他国の国民に傷を負わせたことに変わりはない。そのため幕府としては謝罪をしたのだ。そのかわりに慣習を無視した事への謝罪はイギリスからもらった。

 ここで島津の謝罪をなくすというのは無理があったのだ。




 ■神奈川奉行所

「そうは仰せになっても権少将(久光)殿、あれもこれもすべてがイギリスが悪いなどと、それでは外交はできませぬぞ。どこかで落とし所を見つけねば収拾がつきませぬ。イギリスが武威をもってきたならば如何いかがなさるおつもりか」

「もしそうなったならば、致し方あるまい。それがしは開国に反対はしておらぬが、かくも無法がまかり通るならば、御公儀ならびにわが家中も含め、大村家中ほかすべての家中が一丸となれば、イギリスもそう簡単には手が出せますまい」

「……」
「……」
「……」

 信正、純顕、次郎の3人は開いた口が塞がらなかったが、久光の要求もわからなくもない。しかし、依然として日本が全力をもってしても、イギリスに勝てる見込みはない。

 戦争する訳にはいかなかったのだ。

「では如何なさるおつもりか。ご当主の大老就任を辞されますかな」

 これは単なるブラフである。
 
 イギリスへの謝罪と大老就任を天秤てんびんにかけても、謝罪をしない事の方が重要であれば、釣り合いがとれない。久光の心境を読んで条件にしただけなのだ。

「ではこうなさいませんか?」

 次郎が発言した。

「薩摩の行列がした事に対して謝罪はしない。しかし、その結果イギリス国民に傷を負わせた事に関しては謝罪する、というのは。要するに結果に対して謝罪はするが、行為に対しては謝罪をしない、という事にございます」

 なんともトンチのような禅問答のような、不可思議な問答ではあるが、こと外交においてはこういった言葉の機微が重要であったりもする。

 事実、イギリス側からも日本の慣習を無視した事に対する謝罪は得ているのである。つまり慣習をある程度は認めている、という事になる。
 
 そう考えれば、名を捨て実を取るイギリスならば納得してくれるだろう。

 久光はずいぶんと考え込んでいたが、しぶしぶ納得して『結果に対して』謝罪をする事となった。




 次回予告 第304話 『公式記者会見』

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