文久三年一月二十九日(1863年3月18日)
「晋作よ、松陰先生はああ言ったが、お主の考えは如何なのだ?」
高杉晋作と久坂玄瑞、桂小五郎は城下の料亭で話をしていた。
「ん? 僕の考えかい?」
晋作は小五郎の質問を聞いていたのかいないのか、いま気づいたような返答である。
「そうだ、先生はじっくりと時を待つべきだとおっしゃったが、お主は大村遊学も長く、上海にも行っておる。蔵人様との面識もあろう」
小五郎が聞いた。
「そうだね……まず、間違いなく戦争になるだろうね」
「 「! !」 」
間違いなく、という言葉が玄瑞と小五郎の感覚を刺激した。
「戦になるというのか? 間違いなく?」
「イギリスがやったことは許されることじゃない。僕が上海で見てきたことは本当だ。無論、怪我を負わせた3人には謝罪は要るだろうが、イギリスに賠償金を払うなど、あり得ぬ。然れどイギリスはそれを認めず、間違いなく体面を保つために武力をもって我を通すだろう」
晋作は酒を一杯飲んで、三味線をベンベンと弾きながら続けた。
「対馬のロシアに続いて生麦のイギリスだ。誰もが異人許すまじ、攘夷決行すべしと声高に叫ぶであろうな。叶う叶わぬではなく、憎しだよ。朝廷も公儀も、イギリスの出方によっては……その考えを抑えられぬようになるやもしれん」
「イギリスだけではなくアメリカもフランスも、全て同じく攘うべしとなれば、さきの異国船打ち払い令と同じではないか」
玄瑞が頭を抱えるが、晋作は答える。
「だから、富国強兵は無論だが、いたずらに火に油を注ぐような事はしては、断じてならんのだ。イギリスに対しては無論の事、いまは列強の力添えも要る。そんな時に異人を斬ったり船を沈めるような事は断じてならん、という事だよ」
ヒュースケン事件のような事や、史実でこれから起こった下関での砲撃を示唆しているようであった。
■江戸城
「さて方々、ここでひとつ提案したき儀がござるがよろしいか?」
従四位下侍従対馬守の安藤信正が、大老院で発議した。
「なんでござろうか」
「只今は大老院は五名での合議となっておりますが、いま一人加えたい人物がおるのですが、いかがでしょう」
「対馬守(安藤)殿、回りくどい言い方をせずとも良いのです。必要ならば加えましょう。それに……丹後守殿の事にございましょう? それがしも彼のお方がここにいないのは、どうにもおかしいと思っていたのです」
毛利敬親(従四位上参議)は信正の目を見てきっぱりと言い切った。
後年にそうせい侯と揶揄される男であったが、島津久光(従四位下左近衛権少将)が主導した五大老の中に自分がいることが、どうにもひっかかっていたようだ。純顕を加えて六大老、信正も入れれば七大老となる。
そうする事で久光の影響力を削ぎたいという意味合いもあったのだろう。
「……」
他の大老が賛成を唱える中、父である久光の考えを引き継いでいる忠義(従四位下左近衛権少将)であったが、反対する理由もなく合意した。
■イギリス本国
極秘
1862年12月20日
ラッセル外務大臣閣下
9月10日にご報告申し上げた生麦村の事件に関し、予期せぬ展開となりましたので、事実関係と日本側の主張についてご報告申し上げます。
昨日日本側が記者会見を開き、新たな見解を提示しました。
日本側の主張によれば本事件はオールコック前公使が計画し、私が事件に関与した2人の欧米人の逃亡を手引して、さらに上海領事が口封じのために殺害を指示したとのことです。
事件発生当初、私は詳細を把握しておらず、英国人旅行者が巻き込まれたと認識しておりました。
しかし英国政府の関与が疑われる事態を避けるため、上海のパークス領事に生麦村で薩摩藩士に危害を加えたとされる2人の欧米人の、身柄保護と適切な処置を依頼しました。
これはあくまで予防措置であり、事件への関与や隠蔽を意図したものではございません。
日本側の説明では、パークス領事は二人の確保に奔走したが、紅幇という秘密結社を用いたがために、なんらかの理由で殺害されたとのことです。その際、領事館職員も巻き添えになったと聞いております。
しかし、大村藩の医療陣の尽力により、2人のうち1人が生存し、領事館職員も一命を取り留めたとのことです。日本側は、これらの生存者たちの証言を根拠に、前述の主張を展開しています。
この件に関して日本側の主張の真偽は現状では不明であり、私個人の判断では結論を出すことはできません。仮に日本側の主張が事実であれば極めて深刻な事態であり、早急に事実関係を調査する必要があります。
日本側は私の解任とオールコック公使の日本帰任拒否、正式な謝罪に加え事件の賠償を求めております。
今後の対応を決定するにあたり、本国の指示を仰ぎたく、至急ご指示を賜りますようお願い申し上げます。
敬具
駐日英国公使館代理公使 エドワード・セント・ジョン・ニール
外務大臣のジョン・ラッセルとパーマストン首相は、ニールの書状を読んで愕然としていた。
「……全く信じられん話ですな。オールコックがそんなことを企てるはずがない。ニールも知らぬことだろう」
「しかし首相。仮にオールコック前公使が事件を計画していたとして、ニール代理公使がそれを知らずに2人の保護を依頼したとしても、結果的に隠蔽に加担したと見なされる可能性があります。大村藩によって生存者が保護されているという報告もあります。もしこれが事実であれば……」
ラッセルは言葉を詰まらせた。
オールコック前公使が事件を計画していたとなれば、国際的な大スキャンダルだ。たとえニール代理公使が事件の真相を知らなかったとしても、英国の威信は大きく傷つき、日本との関係は悪化しかねない。
「すぐに真相を確かめねばなりません。まず、休暇中のオールコックに連絡を取り、それから……」
「外務大臣」
パーマストンはラッセルの発言を途中で止め、核心をついた話をする。
「もしオールコックが否定したら? ……事実だろうがそうでなかろうが、肯定しようが否定しようが、我が国が取るべき道は1つではないかね?」
「それはつまり……?」
「申し訳ありません我が国の不始末です、大変ご迷惑をおかけしました、と頭を下げて金を払うかね? そんなことはできるはずがない。世界に冠たる大英帝国が、極東の島国になぞ、おもねる事などできんのだよ……」
「……」
パーマストンの考えは、一部を切り取って考えれば理解できる。もちろんオールコックの行動を許容することはできないが、だからといって認めてしまえば、イギリスの信用は地に落ちるのだ。
そこだけを考えれば、認めることは国益に従えば正しくない。
……証拠があったとしても、立証できない。世界の大国であり、秩序であり、列強の主という自負のあるイギリスは、それを貫くしかないのだ。
次回予告 第309話 『和宮の懐妊と家茂上洛』
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