文久三年三月二十四日(1863年5月11日)
極秘
1863年3月25日
駐日英国公使館代理公使 エドワード・セント・ジョン・ニール殿
親愛なるニール殿、貴殿より届いた1862年12月20日付の書簡を読んだ首相と私は、大変驚愕しております。
オールコック前公使が生麦事件を計画し、貴殿がそれに加担したという日本側の主張は全くの事実無根であり、到底受け入れられるものではありません。
確かに、貴殿が事件への関与を否定し、2人の欧米人をパークス領事に保護依頼した行動は予防的な措置であったと理解しています。
一方で、日本側が主張する生存者の存在と、それに伴う大村藩による保護の事実が、事態を更に複雑にしているのは否めません。
もしこれらの主張が事実であり、生存者たちの証言が日本側の主張を裏付けるものであれば、我々の立場は非常に厳しいものとなります。
国際的な信用を失墜させかねないこの状況において、首相は断固とした姿勢を示しました。
つまり、たとえオールコック前公使の関与が事実であったとしても、それを認めることは大英帝国の威信を傷つけるものであり、決して許されるものではない、と。
我々は、世界に冠たる大英帝国の代表として、いかなる状況においても国益を最優先に考え行動しなければなりません。
それは時に困難な選択を迫られることを意味しますが、それでも揺るぎない信念を持って行動することが求められます。
つきましては、以下の指示に従い行動してください。
・生麦事件に関する日本側の主張の真偽を徹底的に調査すること。特に、生存者の存在と彼らの証言内容を確認すること。ただし、この調査はあくまで形式的なものであり、最終的な結論は我々が決定することを忘れないように。
・幕府に対しては、我々の立場を明確に伝えること。すなわち、日本側の主張は受け入れられないものであり、我々は引き続き正式な謝罪と賠償を求めることを伝えること。
・幕府の統治能力についても、改めて評価すること。外国人襲撃事件への対応を見る限り、幕府の力は弱体化しており、諸藩、そして藩士の統制もままならない状態にあると思われます。
この状況が日本側の不当な主張を助長している可能性も考慮に入れ、幕府の実力と真意を慎重に見極めること。
いかなる事態にも対応できるよう、準備を進めること。
海軍大臣との協議に基づき、インドと清国に駐留する艦隊の派遣規模の検討は進んでおります。必要とあらば、いつでも武力行使に踏み切れるよう、準備を整えておくように。
貴殿からの更なる報告を待ち望んでいます。
敬具
外務大臣 ジョン・ラッセル
「……これは、長期戦になるな。しかし形式上の調査ではあっても、それを見抜かれてはならない」
駐日イギリス代理公使のニールはつぶやいた。
イギリスでは議会の反対を押し切るために形式上の捜査が開始され、それと同時に東インド・中国艦隊のオーガスタス・レオポルド・キューパー少将に対しては、以下の調査が命じられた。
・江戸湾封鎖の可不可と可能ならば必要な戦力
・大阪湾の封鎖の可不可と可能ならば必要な戦力
・馬関海峡封鎖の可不可と可能ならば必要な戦力
・幕府、薩摩、長州、大村、佐賀藩の陸上戦力(砲台等)と海上戦力
■江戸城
江戸城の吹上庭園は、春の終わりを告げるように新緑から深緑へと移り変わる様相を見せていた。時折吹く風が青葉を揺らし、水面にさざ波を立てる。
その景色を眺める和宮の顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。
白い指で、ほんのりと膨らみ始めた腹に触れる。
つわりは辛かったが、それもようやく落ち着き、この小さな命の成長を日々実感できるようになっていた。文久三年三月二十四日。和宮が江戸城に嫁いでから1年が過ぎていた。
「お加減はいかがですか、和宮様」
付添いの女官、志乃が静かに声をかける。
「ええ、良いのよ。今日は風が心地よくて、気持ちが良いわ」
和宮は大きく息を吸い込み、肺いっぱいに初夏の空気を満たす。
将軍家茂との結婚生活は、想像していたものとは大きく異なっていた。京の公家文化とは異なる武家の習慣、そして故郷を遠く離れた寂しさ。当初は戸惑うことばかりだった。
しかし家茂の誠実な態度と温かい心遣いによって、少しずつ江戸での暮らしにも慣れてきた。そして何より、このお腹に宿った新しい命が、彼女の心を満たしていたのだ。
「もうすぐおひるくご(昼食)でございます。何か召し上がりたいものはございますか」
志乃の問いかけに、和宮は少し考えてから答えた。
「そうね……少し酸っぱいものが食べたいわ。梅干とか、どうかしら」
「かしこまりました」
志乃は軽く頭を下げ、台所へと向かった。一人になった和宮は、再び腹に手を当てた。
「元気でいておくれ……おもう様やおたあ様にも、早くこの喜びをお伝えしたい……」
和宮の懐妊はすぐに発表され、江戸中がお祝いムード一色となった。
西洋医療所の伊東玄朴は奥医師であったが、長与俊之助と共同で和宮の診察チームを作り、楠本イネ率いる女医陣が診察を行っていたのだ。
医療の分野では垣根なく技術の供与が行われたので、ある意味で世界最高峰のチームであったと言える。
「上様、このたびは大変おめでたく、重畳至極にございます」
臣下から祝いの口上を聞く度に笑顔になる家茂であるが、この家茂も和宮同様、大村藩と伊東玄朴率いる西洋医学所のメンバーによって診察を受けており、食事療法によって脚気の症状は皆無となっていた。
「うむ。喜ばしい限りである」
家茂は静かにうなずき、喜びをかみ締めるように言ったが、その表情にはかすかな影が見え隠れしていた。
「これで、安心して京へ赴けるというものだ」
家茂は懐妊を喜ぶ一方で、目前に迫る上洛への不安を拭いきれずにいた。
京ではなにやら不穏な動きがあるようで、警護は万全を期しているとはいえ、遠く離れた和宮の身を案じるのは当然のことだった。
「上様、くれぐれもご自愛くださいませ」
老中の声が家茂の思考を遮る。
「上洛の途上、くれぐれもお体に障りませぬよう……」
一流の医療スタッフがいるとはいえ、もともと体が頑強なわけではない。随行する医療陣もいるが、環境の変化は時として思わぬ体調不良を呼び起こすこともあるのだ。
「うむ、心得ている」
家茂が視線を庭へと移すと、緑が驚くほど生命力に満ちあふれていた。
・対馬事件と生麦事件を通じた攘夷の可不可。
・イギリスの対応と幕府の対応。(夷狄によって蹂躙されることがあってはならない。場合によっては攘夷が必要)
・大政委任論の公認化・制度化。
・大規模な上洛をすることで幕府の威厳を示す。
これが家茂の上洛の目的であった。次郎と大村電信公社を通じて事件の経緯と交渉の状況は朝廷に報告されており、さすがに心配するなとは言えない状況になりつつあったのだ。
最悪イギリスとは断交のおそれもあり、それはつまり戦争を意味していた。
次回予告 第311話 『岩倉具視と次郎左衛門。イギリスの調査』
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