文久三年五月十五日(1863年6月30日)
-発 六位蔵人次郎左衛門 宛 左近衛権少将様(島津久光)
斯様に短き略式なる書面にて失礼仕り候。
生麦の儀、いまだ解決に至らず候間(解決してませんので)、イギリスの出方によりては、国交断絶となるやも知れずと存じ候。然ればイギリスは武力をもって事を起こす懸念あり候間(懸念があるので)、その際はイギリスの動きを前以て封じんがため、少将様の御力添え、是非ともお願い申し上げるべく、近々参上したく存じ候。
恐惶謹言-
-発 六位蔵人 宛 御大老安藤対馬守様
対馬の儀ならびに生麦の儀を以て、国内に攘夷の気運高まれり事疑いなき事と存じ候間、愈以て御公儀と朝廷との結びつきが重きをなしてきたと存じ|候得共《そうらえども》(思いますが)、朝廷においても攘夷成すべしとの風潮高まれりと存じ候。
某京において朝廷の十把一絡げに攘夷を論じる風潮を封じ奉り、恐れながら天子様におかれましては、破約攘夷の勅命など発せらるる事のなきよう邁進いたしたく存じ候。
つきましては御公儀におかれましては、イギリスが江戸湾の封鎖を試みた際の策を講じていただきたく存じ候。京にて朝廷の儀が落着次第、薩摩にて権少将様に謁見願い申し上げ、その後参府いたしたく存じ候
恐惶謹言-
■京都 岩倉邸
「お久しゅうございます、岩倉様」
「おお! 次郎はん、久しおすなぁ」
「して岩倉様、いかがですか、京と朝廷の事様は」
世間話もそこそこに、2人は居間に上がって本題に入った。
「お世辞にもええとは言えまへん。公武合体を推し進めとった関白の近衛様は、三条実美様や姉小路公知様の圧力で罷免されてしもうた。今の関白の鷹司輔煕様は政通様の御嫡男であらしゃいますけど、まったく似てまへん。よう言うたら誰の考えも聞く、悪う言うたら日和見で、三条様や姉小路様の勢いを止められまへんのや」
「……それは、参りましたね……」
実際次郎は困っていた。岩倉具視を見いだし、朝廷の公家を支援してシンパを増やし、九条幸経をかかりっきりで治療して、その甲斐あって本来なら3年前に死んでいるはずが今も元気でいる。
一之進に言えば不謹慎だと殴られそうだな、と思いつつ次郎は考えていた。
弱い、弱いのだ。
そろそろ岩倉具視がのし上がってくれなければ困る。攘夷と開国、倒幕だ公武合体だとフラフラ揺れ動かれたら他の事ができない。ソフトランディングなんて夢のまた夢なのだ。
「天子様は、如何お考えなのですか?」
本来ならこんな事は聞かなくても良いことなのだ。15歳で即位する前から次郎は鷹司政通を通じて接点を持ち、異国は悪ではない、開国は国をよくするという情報提供(洗脳?)をしてきた。
開国肯定で公武合体、公議輿論で何の問題もない。
しかし、起こるべくして起こった対馬事変(ロシア対馬占領事件)と生麦事件は、徐々に孝明天皇の心の中に、異国は悪ではないか? という考えを芽生えさせてきたのだ。
ここで三条実美や姉小路公知を放置しておくわけにはいかない。
「お上は……大変宸襟(お心)を悩ましてあらしゃいまする。麻呂が拝察できるわけでもあらしまへんが、次郎さんからの報せをもとに、偏った考えにならへんよう努めてあらしゃいました。そやけどこないにも事件が起こり、幕府は弱腰やちゅう声が大きなると、お上もそれを無視できひんようになる」
「うべなるかな(なるほど)……難し事様(難しい状況)にございますな」
次郎は腕を組み、考え込んだ。残念ながら次郎は孝明天皇とは謁見した事がない。
直接天皇へ助言をしたり、情報を伝えたことはないのだ。しかし孝明天皇の考えが攘夷へ変わる可能性が否定できなくなった今、より積極的な策を講じる必要があった。
「岩倉様、今こそ我々が動く時です。三条様や姉小路様の専横を許していては、この国の未来は危うくなりまする」
次郎の言葉に岩倉は真剣な眼差しでうなずいた。
「その通りでありましゃる。そやけど、いかに動くべきか……」
「まずは……岩倉様、只今の官位と官職は|如何《いか》に?」
「従四位下右近衛権少将でありましゃるが……それが何か?」
「では、岩倉様が従三位になるにはいかほどの功が要りまするか?」
次郎の質問に岩倉はけげんな顔をしつつも答える。
「従三位……でありましゃるか。そら、ちと難しい話でありましゃるな。少なくとも天下国家におっきな貢献が要りましゃる。例えば、異国との交渉を成功させるやら……」
「功がいる……では巷で盛り上がりつつある攘夷を成し遂げる、などは如何にございましょうか」
「攘夷! ?」
岩倉は次郎の言葉に驚きを隠せずに声を上げた。
「次郎さん、いったいどないしたんであらしゃいますか? 攘夷は無理やさかい適宜国を開き、力を蓄えて列強と比するようになってから、害となるなら排す、その持論はどないしたんであらしゃいますか?」
次郎は岩倉の言葉を聞きながら、静かに返した。
「実のところ、好むと好まざるとにかかわらず、攘夷をせねばならぬ時が来たようなのです」
「ええ! ? それは、それは戦になるちゅう事であらしゃいますか?」
岩倉の顔から血の気が引いた。
「十中八九……。然れどすべての異国に対してという訳ではなく……」
「イギリスどすか?」
「然に候。こたびの生麦の儀、某はイギリスがわざと起こしたものと、確たる証を得てそう考えております。然れどイギリスはそれを認めぬでしょう。然れば戦によって相手をねじ伏せ、力によって言うことを聞かせる、それがイギリスという国でござる。清国でもそうして武力で奪い取りました」
「然れど次郎さん、勝てるんどすか? あない異国の国々の強さを語ってきたではありませへんか」
「無論必ず勝てるとは言いきれませぬ。然れど勝てずとも負けぬ戦い様はありまする。いずれにしても、こちらが引かねばイギリスは必ずや力を以て要求を呑ませようとしてまいりましょう。ならばいっその事、まずはイギリスを打払うと宣言し、成したならば相応の官位官職を得ればよいのです。三条様や姉小路様は、結局言うばかりで何もしておりませぬゆえ」
次郎にはいくつも腹案があったが、それを岩倉に明かしつつ、夜は更けていくのであった。
-発 蔵人 修理(大村利純・純熈)様
万が一の時のため、五島家中に対馬家中、加えて平戸家中へご一報いただき、小舟による哨戒の練兵をお願い致したく存じ候。電信による通信ならびに気球による観測をふくめた備えをお願い申し上げ候。-
-発 六位蔵人 宛 御大老安藤対馬守様
万が一の時のため、朝鮮との間に船による斥候の如き線を引きたく存じ候儀、院にてお諮りいただいた上で対馬御家中にご一報いただき、哨戒船を配することをお許しいただきたく存じ候。-
次回予告 第313話 『謁見と三条実美』
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