文久三年六月二十九日(1863年8月13日)
強力な海軍を創る。
その一環として次郎がオランダに発注した2,500トン級鋼鉄艦である『大成』が川棚に到着したのは、去年のちょうど今ごろである。
世界でも最先端の同艦の設計図をもとに、同型艦を建造しようという試みは大成の到着前から行われていたが、なんとか完成の目処がたっている。
■昨年
鋼鉄の船体に、最新鋭の蒸気機関。だが、佐久間象山と田中久重の目は、既にその先を見据えていた。
「久重殿、見てくれ、この設計図を」
象山は、オランダから送られてきた大成型二番艦、知行の設計図を指差した。
「これと同じものを作っても、面白くないとは思わぬか。異国に勝る物をつくらねば意味がない」
久重は象山の言葉にうなずいた。
大村藩では蒸気機関に限らず、信之介の指導の下、海外からの最新の技術導入と並行して、独自の研究が行われていたのだ。
「おっしゃる通りです。聞くところによると、蒸気機関のみでの巡航速度は18ノット。クルップ砲の試射でも3,900メートルの高い成績を残したと聞いています。然れどこれを真似てつくれば、凄いとはなりましょうが……それでは意味がありませぬ」
象山と久重は、次郎から二番艦の建造を任されていたが、改良してはならないとは聞いていなかった。海軍力の底上げには素直に作っていれば問題ない。最新鋭の軍艦が2隻になるのである。
しかし、艦の大型化はいずれやってくる。その時のため、より大型で高出力の蒸気機関が必要だったのだ。
■文久二年十一月二十日(1863年1月9日)
「やりました! やりましたな象山殿!」
「うむ、ついに完成じゃ。これで大型艦に搭載しても、大成と同等かそれ以上の速度を出せますぞ!」
2人が完成させたのは円筒ボイラーと二段階膨張機関である。
「久重殿の腕はさすがじゃな。これほど精巧な円筒ボイラーを造るとは」
象山は完成したボイラーを満足げに見つめた。内部に多数の煙管を持つ円筒ボイラーは、従来の箱形ボイラーに比べて格段に強度が高く、高圧蒸気を発生させることができた。
高圧蒸気こそ、高出力の蒸気機関を実現する鍵なのだ。
「先生、お褒めに与り光栄です」
久重は謙遜しながらも自信に満ちた表情で答えた。
「この円筒ボイラーと二段階膨張機関の組み合わせこそ、大型艦の高速化を実現する切り札となりましょう」
二段階膨張機関は、高圧シリンダーと低圧シリンダーの2つのシリンダーで蒸気を段階的に膨張させることで、単式膨張機関よりも高い熱効率と出力を実現する。
象山は、その仕組みを久重に説明する。
「単式膨張では、高圧蒸気を一度に膨張させるため、ピストンに大きな力がかかります。しかし、二段階膨張では、高圧シリンダーで膨張させた蒸気をさらに低圧シリンダーで膨張させるため、各シリンダーにかかる負担が軽減され、より大きな出力と滑らかな回転が得られるのです」
「うべな(なるほど)。まさに、一石二鳥ですな」
久重は深くうなずいた。
2人は新型エンジンとボイラーを、まず小型の船体に搭載して試験した。結果は驚くべきもので、小型船体でありながら大成に匹敵する速度を記録したのだ。
「これは……!」
象山は興奮を抑えきれない様子だった。
「大型艦に搭載すれば、さらに大きな効果が期待できる!」
久重も目を輝かせた。
「ええ、間違いありません。大型艦は水の抵抗が大きいため、速度が出にくいと考えられてきましたが、今回の実験で、高出力のエンジンを搭載すれば、抵抗増加分を上回る速度向上が可能であることが証明されました」
くしくも、次郎が純正に軍備拡張を上書した日と同じであった。
■江戸城
「このたび、参与として新しく大老会議に出席を許された大村丹後守にございます。此度はさっそくではございますが、方々に論じていただきたき儀がございまして、発議いたしまする」
いわゆる総理大臣待遇の政事総裁職である松平春嶽と、将軍後見職の一橋慶喜は参加していない。純顕は安藤信正、島津忠義、毛利敬親、山内容堂、前田斉泰、伊達慶邦に挨拶をした後に、続ける。
「はて、いかなる儀にござろうか」
伊達慶邦が質問した。
「英吉利との戦にございます」
戦、という言葉に場が張り詰めた空気になった。イギリスは独自の調査をしてはいるが、まず間違いなく日本側の主張を否定してくるだろう。
そうなると国交断絶、大英帝国の威信を見せつけるために、武力による圧力をかけて来るのは目に見えているのだ。
「やはり、戦となりましょうか」
「……やむを得んでしょうな」
山内容堂が確認すると、島津忠義が静かに答えた。
「イギリスは非を認めぬでしょうから、武をもっての戦にはならずとも、御公儀に首を縦に振らせるための脅しはかけてくるでしょう。然すれば今以上に異人憎しとなるは必定、巷間(ちまた・世間)並びに朝廷においても攘夷の熱、いや増すばかり……ゆえに」
「破約攘夷にござるな」
純顕の説明の後に、加賀の前田斉泰が答えた。
「然様。初めての大老会議の際にイギリスを如何いたすか合議なされたと聞き及んでおります。情報を集め、戦の支度を調える、と。然れども朝廷主導の攘夷、いやさ攘英となってはなりませぬ。我らが天子様に奏上し、勅命をもって攘英を行う。これこそが正しい筋道と存じますが、如何でございましょうや」
攘夷熱が高まり、そのため朝廷からの勅によって破約攘夷を行えば、完全に朝廷が上で幕府が下になる。もちろん、形の上ではそうなのだが、いま以上に朝廷が力をつけ、幕府の権威が落ちる事があってはならない。
あくまで政治においては幕府主導で行う、という体で進めなければならない。
最終的には朝廷が上で幕府が下、そして幕府の力も弱まり横並びとなる。これが次郎の望むべきルート上にあるのだが、その過程で過激な公家が攘夷攘夷と叫んで、本当に日本中が攘夷一色になったらたまらない。
ここで手綱を握って『攘夷』と『攘英』の違いをはっきりさせて、大義名分をもって攘英を行う事こそが、世間を納得させ、かつ過激派を抑える方法なのだ。
「うべなるかな(なるほど)。さすが、丹後守殿」
毛利敬親が同意し、忠義をみる。
「それがしも同意いたしまする」
その後も話合いが行われたが、最終的には満場一致をもって朝廷へ奏上する運びとなった。
-発 丹後守 宛 蔵人
賛成多数にて実行せよ
次回予告 第314話 『謁見と三条実美』
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