文久三年七月九日(1863年8月22日)
-発 丹後守 宛 蔵人
賛成多数にて実行せよ
この命令が江戸の純顕から届いて、1か月が過ぎていた。
「岩倉様、これは……いったい如何なる仕儀にございましょうや(どういう事ですか)?」
「誠に申し訳ありませへん。予定しとった日取りにお上のお体優れへんやら、今日は二条様の都合があわへん、今日はまた一条様の予定があわへんと……六月には大祓の儀もおましたゆえ、なかなか予定があわへんとなって、今日のこの日となりました」
おおかた三条実美や姉小路公知が裏で糸を引いているのだろうと次郎は思ったが、表だって言える訳もない。
「斯様な事があるゆえ、岩倉様には早う従三位になっていただかなくては困ります」
ふう、とため息をつく次郎であったが、それを聞いた岩倉具視は苦笑いである。
天皇に単独で謁見するなど、よほどの事がないとあり得ない。必ず関白、左大臣、右大臣同席のもとに謁見が許される。要するに4人の都合があわなければ謁見できないのだ。
太政大臣は空位であり、関白は鷹司輔煕、左大臣は一条|忠香《ただか》、右大臣は二条|斉敬《なりゆき》である。
右大臣も左大臣も公武合体推進派で三条実美とは馬が合わなかったが、鷹司輔煕が三条実美に丸め込まれているので、謁見の日取りがここまで延びてしまった。
「さすがに、今日は大丈夫でしょうな」
「大事ごさいませぬ」
「さて少将殿、此度は如何なる要件にて謁見を所望なされたのだ」
ぬけぬけと! そんな事わかりきった上で1か月以上も引き延ばしていたんだろうが! と次郎の心の声が聞こえるようだが、岩倉は涼しい顔をして言う。
「まずは此度、関白様、右大臣様、左大事様ご臨席の下、わもじ(私)の奏上の場を設けていいただき、恐悦至極にありましゃる」
「わもじより皆様方へはお伝えしてありましゃる。要件を端的にのべて下され」
「まあまあ中納言(三条実美)どの、そう急かさんでもええやあらしまへんか。聞いたらさる六月の末より参内を求めとったようやから、そないな者をにべものうあしろうては、朝廷の沽券に関わりましゃる」
「そうどす。わもじも岩倉はもとより、|其処《そこな》(そこの)蔵人次郎左衛門の話も聞きたいんどす。よろしいどすか、関白様」
岩倉具視の形式上の挨拶に三条実美が素っ気ない返事をすると、左大臣の一条忠香と右大臣の二条斉敬が助け船を出す。日和見の関白は3人の顔を見てごほん、と咳払いをして言った。
「……よろしい。では岩倉よ、奏上せよ」
「は、畏まりました」
岩倉は深く一礼し、静かに口を開いて続ける。
「わもじは本日、蔵人殿と共に天下泰平の為、朝廷の御為に、奏上させて頂きたく参上仕りました。つぶさに(詳しく)は此処な蔵人殿より奏上がありましゃる」
岩倉は続けて、次郎へと視線を移した。
「関白殿下、左大臣殿下、右大臣殿下、中納言殿下。本日はこの様な機会を賜り、誠に恐悦至極にございます」
促された次郎は平伏しながら言上したが、面を上げよとの許可をえて、居住まいを正して続けた。どっしりと落ち着いた次郎の言葉に、鷹司輔煕以下の公卿たちは静かに耳を傾ける。
「周知の通り公儀の力は衰え、対馬でのロシアの無礼、生麦でのイギリスでの傍若無人な振る舞いと、国内は乱れております。而して攘夷の機運が高まり尊王攘夷の志士達が各地で動いておりますが、個々人が散々(バラバラ)に異人を斬ったことろで埒があきませぬ。それゆえ公儀は、公に攘英、まずはイギリスを攘う。これを勅を以て行いたく、奏上いたします」
次郎は言葉を区切り、静かに場を見渡した。
鷹司輔煕は神妙に頷き、一条忠香と二条斉敬は思案顔である。対して三条実美は、まるで刃物のような鋭い視線で次郎を射抜いていた。
「蔵人殿。そもじ(あなた)の言う『攘夷』は、実のところ『攘英』にあらしゃいますな。よろしい、実に結構。そやけど、なんで5年もの猶予を与えるんや? イギリスの横暴を許しときながら、今更5年待つやら、悠長すぎるのではあらしまへんか。ならば即刻、攘夷断行の勅許を下すべきである」
「その通りでありましゃる。蔵人殿、そもじは何を企んでいるのでおるのかえ? まるで公儀の走狗のようであるな」
姉小路公知も三条実美に同調するように声を上げた。
「負けまするぞ」
! ! 場が静まりかえった。
「いま戦えば十中八九、いや十中十負けまする。故に五年と申し上げたのです。戦の事は武家にお任せいただきたい」
次郎は二人からの言葉にもまったく同じずに、落ち着いた様子で答え、続ける。
「某は決してイギリスを許しているのではありません。然れど無謀な戦を仕掛けて敗北すれば、この国は滅びます。五年の猶予は、我が国が戦に備えるための必要な時間です。兵法曰く『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず』と」
その間、アメリカやフランス、ロシアやオランダと交渉してイギリスの動きを封じることもできるのだ。
「うべなるかな(なるほど)。公儀も愚か者ばかりではあらへんのや。吟味に吟味を重ねて、抗えへんとの判断で開国にいたったのであろう。それが五年で成るんやったら、待つべきではあらしゃいませぬか」
二条斉敬が次郎に同意した。
左大臣一条忠香の右大臣の二条斉敬も、次郎転生の影響で、もともと攘夷にはそこまで積極的ではなかった。ロビー活動のお陰で穏健派が多かったのだが、三条実美や姉小路公知はその適用外である。
忠香と斉敬は、日本に害を為す者ならば時をみて攘うべき、という考え方。つまり次郎の考えを色濃く受けていたので、イギリスに対する攘英が5年でできるならよい、と言ったのだ。
「それならば他の国は如何いたすのだ」
「攘いませぬ」
「な!」
次郎の即答に実美も公知の驚きを隠せない。
「攘わぬとは、なに故か」
実美の問いかけに答えているのか、そうではないのか。よくわからない返事を次郎はする。
「中納言様、宮中の灯明、ここ数年で明るくなったと思われませぬか?」
「な、なにを……明るくなったが、それが一体……」
「あれは某が殿の許しをえて、わが大村家中で異国の技を研究して作り出し、販いでおるものにございます。また石けんはお使いになっていらっしゃいますか?」
「使っておるが、それが如何いたしたのだ?」
「あれもわが家中で作りましたが、異国ではもう何十年も何百年も前から作られていたのです」
実美と公知がイライラしているのがわかる。
「すなわち異国のものだからと毛嫌いするのではく、使ってみれば人の役に立つ物も数多く、害を為しておらぬのにすべてを攘うというのは、ちと早計かと存じます」
「ロシアは如何なのだ? 攘うべきではないのか」
「然に候わず。ロシアはすでに謝罪をおこない、賠償金も得た上に樺太の地も得る事ができました。条約も結んで同じ過ちがないようにいたしておりますゆえ、この上なんの由もなく破約をすれば、義にもとりましょう。日ノ本は不義の国と誹りを受けまする」
「……」
実美と公知はその後もなんとか次郎の企みをあばき、攘夷をするなら即時と譲らなかったが、孝明天皇の裁可が下りて議論は終わった。
「次郎左衛門の言やよし。良きに計らえ」
こうして五年を目処とした破約攘英の勅が発せられたのだ。
次回予告 第315話 『薩摩と江戸と、イギリス国会』
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