第316話 『薩摩と長州』

 文久三年十月二日(1863年11月12日) 

 -発 次郎左衛門 宛 松前勘解由様

 昨今の日英関係に鑑み、開戦となればロシアの動向愈々以ていよいよもって重きにして、特に間宮海峡並びに宗谷海峡の備えは重きと存じ候間(思うので)、近く新式砲台の設置のため伺いたく存じ候。

 加えて新式の野戦砲と小銃の調練のため、御家中にて調練された兵六千を改めて調練いたしたく存じ候。

 恐々謹言。-




 五稜郭は昨年、弁天台場も今年建設が完了していた。次郎は箱館の守りはこれで良いと考えていたが、ロシアが破約して攻め入ってくる可能性を考えて、樺太西岸の防備と宗谷海峡の防備を強化しようと考えたのだ。




 ■鹿児島城

「次郎よ、噂はいろいろと聞いておるぞ。電信にあったわしに助力を願いたいというのは何だ?」

 特別尊大というわけでもなく、一般的な大名(の父親)らしい対応である。

「は。四つほどお聞き届け頂きたき儀がございます」

「四つとは……なんじゃ」

「イギリスとの戦にございますが」

 戦、と聞いて久光は身を乗り出してきた。

「戦に、なるか」

「イギリスはまず退かぬでしょうから、我らが退かねばそうなるでしょう。りとて我らも退くわけには参りませぬ」

「然もありなん(当然だ)」

 久光はうなずく。

「そこで」

 次郎は久光に対し居住まいを正した。

「まずはかのイギリス人たちに謝罪していただき、誠にありがたく存じまする」

「うむ」

「加えて、彼の者らに相応の見舞金をお支払いいただきたく、お願い申し上げます」

「なんじゃと?」

 久光はギロリと次郎をにらみ、威圧するかのように聞き返した。

「イギリスとの戦は挙国一致でなくば勝てませぬ。それゆえ我らに大義ありと、国内外に知らしめる必要がございます。すなわち、彼の者等の行いははなはだ無礼ではあれど、傷を負わせたのも事実。そこは少将様の徳をもって寛大な行いにて示し、今度は外国の慣習に従って見舞金を支払えば、さすがは少将様よとその名声いやますばかりかと存じます」

 久光は眉をひそめつつも次郎の言葉に耳を傾け、しばらく黙っていたが、やがて低い声で問い返した。

「そのような徳を示せば、異人どもが得心(納得)いたすと言うのか」

「然に候(そうです)。大義名分は味方の士気を上げるためでもありまするが、相手を得心させてこそ意義があるのです。然すれば次第に他の国々は、日本においてイギリス人がいかに非礼な事をしたかを思い起こし、加えて潔く行いを認め、謝り見舞金を支払った少将様を褒め称えるでしょう。日本が斯様かように譲歩し、できる事をしているのにイギリスはなんだ、と」

「うべなるかな(なるほど)。お主の言うことも一理あるな。然れど斯程かほどの無礼を受け、さらに見舞金を払うとは……」

 久光の表情に苦渋の色が浮かぶが、次郎はそれを見逃さずにさらに説得を続けた。

「少将様の仰せの通りにございます。然れどここは堪え所にございます」

 次郎はまるで自分の事のように苦々しい顔をして続ける。

「先の生麦の儀において、少将様の事は諸外国の知るところとなりました。それを逆手にとるのです。無礼をただし、然りながら傷を負った者には然るべき行いを為したとなれば、少将様とは如何いかなる人物かと聞き調べましょう。しかして(そういうわけで)公儀に建白し国政を動かす重き者と知れ渡る事は必定。然すれば諸外国に斯様に思われているお方を、公儀も軽々しくは扱えぬようになるかと存じます」

 ふむ、と久光は短く答え、続ける。

「わが薩摩の公儀における力が強まると?」

「然に候」

 実際にそうなるかは分からない。なるかもしれないし、ならないかもしれない。しかしこの項目は次郎にとってあまり重要ではなかった。久光が慰謝料なんて……払えば儲けもの程度だ。

 そう次郎は考えていた。

「あい分かった。その儀については考えておこう。残りの三つは何じゃ?」




 ・現在奄美大島までしか開通していない電信の海底ケーブルを沖縄本島まで敷設すること。
 ・沖縄本島から鹿児島までの船舶による哨戒しょうかいラインを構築すること。
 ・鹿児島湾の台場の砲台、薩摩海軍艦艇の艦載砲を大村藩と同等に(貸与)。




 沖縄までの電線延長は特に問題なく許可をもらえた。琉球王国は清の冊封下ではあったが、同時に島津の支配下でもあったので、迅速な情報伝達は藩の利益に直結したからだ。

 哨戒ラインと軍備の近代化はセットで依頼した。

 戦争となれば当事者である薩摩藩は間違いなく狙われるだろう。今の軍備では、史実では上手くいったが、今回も上手くいくとは限らない。哨戒ラインは江戸や大坂へ向かう際、通過するであろうからだ。




「では、後ほど技術者を送りまする」

「うむ、良きに計らえ」




 ■山口城

「久しいな、晋作」

「おお! これは蔵人様!」

「次郎様でいいよ。堅苦しいから。他のみんなも」

 次郎が山口城下へ入ると、その報せをうけた吉田松陰や高杉晋作、久坂玄瑞や伊藤俊輔(博文)をはじめとした遊学組や、桂小五郎なども続々と集まってきた。

「次郎様、此度こたびはやはり……」

「うむ。宍戸様や益田様、周布様にお会いしなければならぬ。そうだ、長井様は息災か?」

「ええ、息災です」

 吉田松陰が次郎に尋ねると全員が張り詰めた空気になったが、そこは自分が重くしてはならないと、意識して明るく振る舞う次郎であった。

「次郎様、やはりイギリスと戦になるのですか?」

「うむ、致し方あるまい。此度はそれについて上書するため参ったのだ。江戸の中将様には殿より話が通っておるゆえ、こちらにも中将様からの命令が届いておろう」

 高杉晋作をはじめとした長州の志士たちは、松陰が大村に遊学に来た頃から攘夷じょういが無謀だと考えるようになり、師である松陰の教えの大攘夷に通じる次郎の考え方を支持するようになっていたのだ。

 そのため今回のイギリスの蛮行においては、やり返そうにも我慢しなければならない現実に悔しい思いをしながらも、幕府の攘英じょうえい決定に喜びの声をあげていたのも事実である。

 しかし、言うは易し行うは難しである。

 そのキーパーソンである次郎に対して、聞きたい事が山ほどあると言わんばかりの面々であったが、次郎は短く答え、城へと向かった。

「薩摩が的となるは無論の事、江戸、大坂、そしてここ馬関、ここの備えが肝要となる」




 次回予告 第317話 『江戸の備えと江川英敏』

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