第320話 『南北戦争とフランスとオランダ』

 文久三年十二月十八日(1864年1月26日) 

 次郎はイギリスとの開戦を見据え、列強を日本側に取り込もうと考えていたが、ロシアは上手くいくであろうとの感触であった。アラスカの売却はロシアにとってもメリットがある。

 もし万が一破談となっても、ロシアは南北戦争が終わったアメリカに売ればいいだけの話だ。ネーバルプレゼンスに関しても、介入ではなくただの訓練航海なら、なんの問題もない。

 イギリス海軍の現場の上層部がどう判断するかはわからないが、日本にとってはその艦隊の行動がイギリスへの抑止力として機能する。

 しかし、それはロシアの立場を悪化させるものではない。




「まいったな」

 次郎は考えていた。

 ロシアの次に訪問しようと考えていたロバート・H・プリュインは、駐日アメリカ公使であったハリスの後任であるが、具体的な対英政策としてアメリカがなし得る役割を見いだせなかったのだ。

 というのも南北戦争は北軍優勢で動いており、リンカーンの奴隷解放宣言はパーマストンの思想と重なることがあって、当初南軍びいきだったイギリスは、完全に南北戦争不介入の立場をとっていたからである。

 南軍からの英仏への外交使節団であるトレント号が|拿捕《だほ》された事件では、イギリスの対米(合衆国)路線は戦争一歩手前であったが、女王の工作で事なきを得、現在にいたっている。

 そもそも生麦事件を契機としてイギリスとの関係が悪化する前に、イギリスのアメリカ合衆国に対する政治姿勢は、介入から中立へと動いていたのだ。

 結局次郎はアメリカに対しては積極的にアプローチするのではなく、アメリカの対英姿勢と対日姿勢を確認するだけに留めた。




 フランスとオランダに対しても同様である。

 ロシアに対するアラスカ購入のような具体的なカードは切らないが、軍艦の長崎寄港を頻繁に実施するなどしてイギリスを牽制けんせいしてくれたら、本来イギリスが得られるはずであった日本における権益を分配するという、水面下での交渉をしたのだ。

 フランスはインドシナ半島での植民地化に注力しており、東アジアでの艦隊展開は限定的だったが、イギリスの影響力を抑制する機会としてこの提案に興味を示した。

 オランダは既に日本との関係が深く、大村藩はもちろんのこと技術提供や貿易で優位な立場にあったので、イギリスの影響力拡大を防ぐため、次郎の提案を前向きに検討したのだ。




 ■数日後 江戸城

 次郎は各国との折衝の結果を大老院に報告した。

「アラスカ? それは何処いずこぞ? その土地をロシアから買うというのか?」
「ロシアの軍艦を対馬に入れるとな?」
「インドシナの蘭仏の軍艦を自由に入出港させるというのか?」

 対英戦略のために他の列強との交渉を次郎は任されていたが、具体的に何をカードとして、何を求めるかについては協議されていなかった。

 協議している最中にイギリスが動きだすかもしれないし、いちいち議論していては遅きに失する恐れがあったからだ。




「アラスカは樺太の北東、海を挟んでおおよそ九百七十里(約3,800km)にあってロシア帝国の領土であり、イギリスの植民地と国境を接しておりまする」

 次郎は千島列島の先にあるカムチャッカ半島を示し、さらに輸入した世界地図を広げてその先にあるアリューシャン列島とアラスカを示した。

 日本国の領土である占守島からアリューシャン列島の最西端であるアッツ島まで約1,158kmあった。

「うべな(なるほど)。然れど何ゆえその遠き地を買おうというのだ?」

 安藤信正は眉をひそめながら地図をのぞき込んだ。蝦夷地よりも北にある樺太よりも、さらに北、極寒の不毛の大地である。

「これは、実際に買うかどうかは大事ではありませぬ。要はロシアを動かし、イギリスに抗するための策にございます。ロシアにとっても条件の良い取引にございますゆえ」

 次郎はゴシケーヴィチに示した内容を大老衆に説明する。金鉱や油田の話はまだしない。日本が国家としてまとまっていない今、利権の話をすればややこしくなるからだ。

 どちらにしても外貨がない日本である。

 価格交渉の段階になって740万ドルなんて払えるはずがないのだ。最悪交渉の行方次第では、幕府を介入させずに大村藩単独での購入もありえる。

 頭金や分割購入、油田や金鉱がある土地だけピックアップして先行購入というのも考えられるのだ。

(太田和屋、お主もワルよのう……)

(ほっほっほっ……。お代官様には敵いませぬ)

 次郎と大村藩主である純顕の悪巧みが聞こえそうな瞬間であるが、それはまた後の話である。




「それにしてもロシアの軍艦を対馬に入れるとは……」

「確かに……。今は民の心をいたずらに惑わすだけではないのか?」

 前田斉泰の言葉に伊達慶邦が続いた。

「然に候わず。然ればこそ、にございましょう。われらは今、異人なれば悪というのではなく、その行いが悪ならば悪と、イギリスを相手取っておるのです。ロシアは確かに悪でございました。信ずるに足りぬ国やもしれませぬ。然れどしかと謝罪し、賠償もしてこの先の事も条約で決めたのです。なれば一度は信じてみるのも良いかと存じます」

 次郎の回答に容堂が続く。

「ふむ、確かに一理ある。強国と戦うには昨日の敵をも味方にせねばなるまいよ」

然様さよう、事前にわかっておれば処す事もできようというもの。ことさら慌てる事でもございますまい」

「それにイギリスとロシアは数年前まで戦をしておった。ロシアとしても腹に一物がないとは言えまい」

 毛利敬親も島津忠義も同意した。

 それぞれのおもわくが絡み合った史実の参与会議とは違い、少なくとも現時点ではイギリスを日本の敵として認定し、挙国一致で戦おうという認識のもと、建設的な議論がなされている。




 次郎によるイギリスを除いた列強への根回しは終わった。

 国内の世論もまとまり、幕府と有力諸藩の協力もえて挙国一致でイギリスとの戦争準備を着々と進める次郎であったが、イギリスでは開戦の論調が強まり、ついに可決されたのであった。




 次回予告 第321話 『僅差可決と艦隊派遣』

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