第321話 『僅差可決と艦隊派遣』

 文久四年一月二十六日(1864年3月4日) 

 イギリス議会ではパーマストンとラッセルの豪腕によって、正式に日本への武力行使が可決された。10票にも満たない僅差であったが、反対意見を押しのけ、イギリス海軍艦隊が派遣されるようになったのだ。

 昨年1863年の12月の国会であった。




「提督、本国からの訓令にはなんと?」

「……ふむ。開戦が可決されたようだ。増援は戦列艦一隻を含むフリゲート5隻、スループ4隻と支援艦艇とある。これで現有戦力の7隻とあわせると16隻。江戸湾封鎖に必要な戦力は整うが……」

 イギリス東インド・清国艦隊司令官のサー・オーガスタス・レオポルド・キューパーは、副官の質問に考え込むようにゆっくりと答えた。増援部隊はキューパーの指揮下に入る。

「補給の問題と、それを克服するためにはまだ戦力が不足しているということですね?」

 そう質問する副官に対してキューパーは、漠然とした不安を胸に、海図を広げながらゆっくりと説明を始めた。

「そのとおりだ。日本の沿岸は複雑で、水深も浅い場所が多い。江戸湾の封鎖には16隻あれば十分だが、補給が問題となる。上海からの補給線が長すぎるのだ」

 キューパーは海図の上で距離を示しながら続ける。

「日本国内での給炭や食料、水の補給は不可能であるから、上海まで往復する必要がある。そうなると、実質的な封鎖艦艇は半分以下になってしまう」

「せめてその倍の戦力の増強があったなら、なんとか交代で上海を行き来して封鎖を実施できたと思うのですが……」

「ふん、本国の連中は……海軍大臣でさえ潮の匂いを忘れたようだ。報告した必要戦力はあくまで机上の計算でしかない。前回君が指摘したように、1度の補給で封鎖ができるのは1か月。補給艦艇が少なければ半年ももつまい。それが終われば上海に戻らなければならない。そうなれば日本に物資供給の切断という圧力はかけられなくなる」

 キューパーの不安は募る。

 戦力不足のために戦略の幅が狭まっているのだ。

「日本はわが艦隊が不在の間に十分な輸送が陸・海ともに可能であろうし、陸路や周囲の河川による輸送も増加するだろう」

 腕を組み、考え込むキューパーであったが、副官が発言する。

「そうは言ってもこれ以上の増援は望めないでしょう。議会を納得させるギリギリの戦力でしょうから、不満ばかりも言ってられません」

「確かに……それはそうだな。現有戦力で可能な戦略を考えるしかあるまい」

 キューパーは苦笑いした。




「ではやはり、馬関のような狭い海峡での作戦のほうが効率的かもしれませんね」

 うむ、とキューパーはうなずいて返答する。

「そうなるな。消去法で作戦を考えたくはないが、現状でもっとも効率がよく、補給の問題を解決しつつ日本に圧力を加えられる作戦は、馬関海峡の封鎖であろう」

「提督、それよりもまずは敵の海上戦力を、わが艦隊の全力をもって撃滅することが重要だと考えます」

 副官は真剣な眼差しでキューパーに意見を具申した。

「ふむ」

「敵の攻撃の危険がなければ、艦隊を分けることなく補給艦と護衛艦のみで上海との間を往復させ、主力は馬関にて封鎖を継続できます」

「うむ、そうなると重要なのが大村藩の海軍だな。他の海軍は大きくても1,000トンに満たないスループのみの有象無象であるから、この大村海軍さえ潰せば、なんら問題はない」

『はっ』と副官は小さくうなずいた。

「その後、詳細の情報はわかったか?」

「申し訳ありません。依然として規制が厳しく軍港内において確認はとれず、沖合を航行する船舶からの情報のみです」

 ・2,000トン級2隻、各26門
 ・1,700トン級2隻、各18門
 ・1,000トン級2隻、各12門
 ・800トン以下8隻。各最大10門

「……ううむ、侮りがたい兵力ではあるが、砲に関しては青銅砲か、もしくは鋳鉄だとしても前装砲であろう。射程と火力においてはわが軍が上である」

「はい」

「では大村艦隊を殲滅せんめつの後に馬関海峡の封鎖といこう。作戦を立案せよ」

「ははっ」




 ■江戸城 

此処ここでございましょう」

 次郎は江戸城内に設けられた作戦会議室で、テーブルの上に広げられた日本地図の馬関海峡を指示棒で指して発言した。御用部屋とは別に設けられたその部屋は洋間であり、朝夕は寒いためにストーブを出して暖をとっている。

「? 江戸ではないのか?」

 次郎の発言に多少ホッとしたかのような安藤信正であったが、それを表には出さない。反対に毛利敬親は厳しい表情である。当然だ。

「次郎よ、いま少しつぶさに(詳しく)話すが良い」

 大村藩主の純顕の発言で次郎は続けて話す。

「あるいは此処」

 そう言って鹿児島湾を指した。

「敵の目的は賠償金の獲得とわが国の謝罪、そして最終的には条約の改正とその後の交易を、他の列強よりも優位に運ぶことにございます」

 そして、と言って次郎は続ける。

「もっとも効果があるのは江戸湾の封鎖にございますが、補給の問題がございます。ゆえに、これは上海にイギリス艦隊が到着してからしか判ずることは能いませぬが、もし襲来する艦隊が十ないし十五以下であれば、江戸湾に来る恐れは低いでしょう」

 次郎は海図を指しながら説明を続けた。

「上海からの補給を考えると、その倍の戦力がないと継続的な封鎖は難しい。現状では江戸湾封鎖は選択肢から外れるでしょう」

「では、馬関と鹿児島湾か」

 山内容堂が腕を組んで考え込む。

「はい。馬関は狭い海峡ゆえ、少ない戦力でも封鎖が能います。鹿児島湾は島津御家中への報復という意味合いが強く、生麦事件の賠償金未払いを理由とした武力行使の大義名分となります」

れど、いずれにしても島津家中と毛利家中……単独では抗し得まい? 公儀と両家中の軍艦を合わせても十隻しかないのだ。大村家中は……いかがか」

 安藤信正は純顕と次郎の顔を交互にみて言った。

「次郎よ」

「は」

 純正の短い問いに次郎は答える。

「わが艦隊は十四隻。倍する敵ならば厳しゅうございますが、十五隻前後であれば、存分に暴れて見せましょう」




 おおお! という歓声がその場で上がったが、次郎は決して楽観論を述べているわけではなかった。史実では馬関戦争で17隻である。

 そのくらいの戦力なら何とかなると考えていたのだ。




 次回予告 第322話 『国外退去ならびに臨戦態勢』

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