文久四年三月二十六日(1864年5月1日)
「さて、薩摩はどう出るかな? 大村艦隊は出てくるだろうか」
イギリス連合艦隊第1艦隊(在清国駐留イギリス東インド・清国艦隊)、旗艦であるユーライアス艦上で、艦隊司令官であるサー・オーガスタス・レオポルド・キューパーはコーヒーを飲みながら考えている。
沖縄本島から北の沖永良部島と徳之島にも薩摩藩の番所があったが、キューパーはそれらを無視して奄美大島へ向かったのだ。
奄美大島は薩摩藩の直轄地であり、番所は設置されていたが島内には砲台と呼べるものなどない。守備隊はいるが100名にも満たず、旧式の火縄銃と弓と刀で武装しているのみであった。
「司令官、島を一周しましたが、防御要塞どころか砲台すらありません。いま目の前に見える港は水深測量の結果、艦隊を停泊させるのに適しています。古い港ですが、もともと港として使っていたようです。いかがでしょうか」
副官のトーマス・ハワード中佐はのぞいていた双眼鏡を顔から離してキューパーに意見を具申した。
「うむ。ならば砲撃の必要もあるまい。陸戦隊を上陸させ、拠点を築くのだ。抵抗する島民がいたならば捕らえよ。無理ならば射殺もやむなし。もとより戦争なのだ」
-発 大島代官所 宛 御殿(忠義様)
英吉利艦隊襲来せり。その数は七。上陸する模様にて抗いたく存じ候得共(試みたいと思いますが)、多勢に無勢、御助力願いたく存じ候。-
■鹿児島城
「何! ? 大島に敵が? やはり直に来るのではなく大島を足溜まり(拠点)とするか……。よし、すぐに助けにいくぞ!」
「待て!」
忠義の命令に久光が口を挟んだ。
「如何ほどの兵で向かうのだ? 行って、勝てるのか?」
「然れど父上!」
忠義はくい下がったが久光の表情は険しい。
「敵が来たという報せを知りながら何もせぬのは歯がゆいことよ。然れどこの戦の大将は大村の蔵人じゃ。大局を見よ。この戦は、一つの合戦に全てを賭けてはならぬ」
久光は地図を広げ、琉球から鹿児島までの海域を指さした。
「報せによれば敵は七艘。こちらが持つ船の数をはるかに上回っておる。大村家中より借り受けた砲はさらに新しきものといえど、わが兵いまだ習熟してはおらぬ。むざむざ死地へいくようなものであるぞ」
「では、大島の民を見殺しにするというのですか!」
忠義はなおもくい下がる。
「然にあらず」
久光の反論に重臣の一人が前に出た。
「殿、お気持ちは重々承知しておりますが、ここは大局を見るべきかと存じます。敵の狙いは明らか。大島を足がかりに、鹿児島を包囲せんとしているのです」
「然様」
久光がうなずく。
「およそ大将というものは、時に我慢をし、やがてくる機会を待つ度量がいるのだ。奄美の民には一時の苦難を強いることになるが、それでも全てを失うよりはましであろう。なに、イギリスは武士道の国というではないか。それが真ならいわれもない民を殺しはしまい。今は鹿児島の備えを固め、大村艦隊と呼応できる態勢を整えねばならぬ」
忠義は歯がみしたが、反論の余地はなかった。
「では、せめて大島の代官所へ返信を」
「うむ。そうせねば」
久光は筆を執った。
-発 少将 宛 大島代官所
事情察するも合力すぐには難し。抗うことなく民を第一に安んじよ。時期を見て必ず助く-
-発 少将 宛 次郎蔵人
大島より英吉利艦隊襲来ならびに援軍求むとの報せあり候得共(ありましたが)、今は動く時にあらずと存じ候間(思いますので)、一刻も早く助力を願い候。-
■大村藩 川棚港
川棚港では大村海軍全艦が、即時出港可能なように機関の火をおとさずに待機していた。
「申しあげます! 上海にイギリスの援軍が到着いたしました!」
「来たか! 数は?」
次郎は上海からの情報に注意深く耳を傾けた。
「はっ。数は九隻、戦列艦一隻を含むフリゲート五隻ならびにスループ四隻と補給艦艇にございます。他のインド・清国艦隊の動きはみられず、間違いなく本国からの増援かと思われます!」
「よしっ! では上海行きのすべての外国船に噂を流せ! 大村海軍は全力をもって鹿児島へ向かい、北上してくるであろうイギリス艦隊と雌雄を決するとな!」
「ははっ」
この情報が上海のイギリス艦隊に到着するのは早くても3日、遅ければ5日から1週間はかかる。イギリス増援艦隊が出港して本艦隊と合流する前に奄美から鹿児島で撃退するのだ。
増援艦隊が南ではなく北の馬関へ向かったのならば、長州藩は厳しい戦いになるかもしれないが、次郎がキューパーを撃退し、すぐに北上して馬関に向かえば兵力差で勝てる可能性があった。
-発 次郎蔵人 宛 毛利中将(毛利敬親)様
英吉利艦隊到着せりとの報せ上海より届き候。馬関に向け出港のおそれありと存じ候間、かねてよりの調練通り、備え待ち受けていただきたく存じ候。鹿児島にて別の英吉利艦隊撃滅をもって北上し、助力いたしたく存じ候。-
-発 次郎蔵人 宛 安藤対馬守様
英吉利本国艦隊上海に到着せりとの報せあり候間、かねてより大阪湾に留めたる御公儀の軍艦三隻を、馬関に向かわせていただきたく存じ候。わが海軍は薩摩御家中と合力して英吉利の別艦隊を撃破せしめ、もって北上し雌雄を決せんと考えており候。-
■上海
「司令官、こちらがキューパー司令官による日本の大村艦隊の概要です」
「見せたまえ」
・2,000トン級2隻、各26門
・1,700トン級2隻、各18門
・1,000トン級2隻、各12門
・800トン以下8隻。各最大10門
「なんだこれは? すべて汽帆走の軍艦なのか? あり得ぬだろう? 間違いではないのか。しかもこのような大量の艦載砲など……」
増援艦隊の司令官であるジョージ・キング少将は極東勤務の経験はなく、極東の野蛮国が大英帝国に対して無礼千万な振る舞いをしたので、それを成敗して賠償金をむしりとる、という程度の認識だったのである。
キューパーはジェームズ・ホープのもと3年間艦隊で勤務しており、日本の事情に通じていた。信じがたいことではあったが、日本の地方政府が保持する海軍が異常である、という認識は持っていたのだ。
「副官、ただちに日本行きの外国船に諜報員を乗せて状況を確かめるのだ」
「しかし司令官、キューパー司令官が連合艦隊の司令官であります。長官の指令はただちに出港し奄美大島を目指せとありますが……」
キングはため息をついて言い放つ。
「副官、君はいったい誰の部下なのだね? 原則として、と書かれているであろう? しかもこの情報は1か月以上前のもの。変わっているかもしれないし、現時点で真偽のほどは分からない。不確かな情報で艦隊を動かし、部下を危険にはさらせんよ」
それに、とキングは続けた。
「野蛮人相手になぜ我々が全力で臨まなければならないのだ? キューパーが薩摩と大村と戦っているならば、その隙にわが艦隊は長州を攻め、占領してしまえば良いではないか。すぐに諜報員を動かせ」
駐留艦隊の長が少将であり、増援艦隊の長が同格の少将である。
海軍省からの正式な訓令によってキューパーが連合艦隊の司令長官に任命されたのではなく、原則として指揮下にはいる、と書かれていたのがキングの判断の根拠であった。
現場の判断を優先すべきと思ったのだろう。大国ゆえの傲りなのか、それとも単に2人の仲が悪かったのか……。
次回予告 第324話 『激闘! 鹿児島湾』
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