文久四年三月二十六日(1864年5月5日)
「おい、ほんのこてこいで良かとな? (本当にこれでいいのか?)」
永平丸艦長の大山彦助が全員の顔を見て確認するように言った。
「仕方なかじゃろ。殿ん命じゃ。逆らうわけにゃいかん」
安行丸艦長の川村純義がうつむいて不満そうに反論すると、天佑丸艦長の松方正義がさらに反論する。
「じゃっどん、大島が敵ん手にわたっとを、みすみす指をくわえて待っていろちゆとな!」
「忠孝一致にして忠孝両全。然れども義を見てせざるは勇なきなり」
白鳳丸艦長の赤塚源六が、3人の論争に終止符を打つべくはっきりと、しっかり発言した。
「お、おう! じゃっど! そんとおりじゃ!」
大山と松方は赤塚の発言に賛成して気勢をあげるが、川村は慎重論を曲げない。
「じゃっどん(だけど)、殿も大殿んお考えに賛成しちょっど。大殿が言うたことを忘れたんか? 今は我慢んときじゃと。敵がかごんまに押し寄せたときこそ戦いんときじゃと。大島ん民のことを思わんはずがなか」
「もうよか! わい(お前)はないもせんでんよか。おい(オレ)たちだけでやっ(やる)!」
3人は意志を曲げることはなく、川村もそれ以上は反論できなかった。5月2日のことである。
※天佑丸(746トン・100馬力・松方)
速力8.8ノット
兵装
主砲: 9cmクルップ砲 6門(船首1門、船尾1門、各舷2門)
副砲: 8cmアームストロング砲 2門(各舷1門)
※白鳳丸(532トン・120馬力・赤塚)
速力8.1ノット
兵装
主砲: 9cmクルップ砲 4門(船首1門、船尾1門、各舷1門)
副砲: 8cmアームストロング砲 2門(各舷1門)
※永平丸(447トン・300馬力・大山)
速力10.2ノット
兵装
主砲:8cmクルップ砲 4門(船首1門、船尾1門、各舷1門)
副砲:7cmアームストロング砲 2門(各舷1門)
※安行丸(160トン・45馬力・川村)
速力6ノット
兵装
主砲:8cmクルップ砲 1門(船首または船尾に配置)
副砲:7cmアームストロング砲 2門(各舷1門)
■鹿児島城
「なんちな! 馬鹿すったれどもが! 忠義! お主はいったい何をしちょったど!」
「申し訳ありません! 父上!」
家督は息子の忠義に譲っているので、久光は忠義をおおっぴらに家臣の面前で怒鳴ることはない。しかしあまりのことで思わず口にでてしまった久光は、すぐさま家臣たちにも同じように怒鳴った。
赤塚源六たち3名が軍艦を率いて出港した日(2日)のことであったが、忠義は久光に報告するのと同時に残った川村に命じて追いかけさせ、主命であることを告げ、戻らなければ切腹を命じるとの厳しい命令を出していたのだ。
■奄美大島
天佑丸、白鳳丸、永平丸の3隻はひとまず喜界島に停泊し、作戦を練った。作戦といっても戦力はイギリス側が倍以上であり、まともに戦っても勝ち目はない。
そこで旗艦、いわゆる1番大きな艦に致命傷を与えて撤退させようという考えであったが、それでも砲門数はユーライアラスが35門で、薩摩海軍は20門である。
一矢報いるどころか、集中砲火を浴びて全滅の恐れすらあった。
幸い薩摩海軍には奄美大島や喜界島出身の者もいた。さらに灯台が設置され、海図もあり夜間航行が可能だったのだ。そのため夜間の内に奄美大島の名瀬付近まで近づき、払暁をもって攻撃を仕掛けることができた。
奄美大島の名瀬沖合、薄暗い空の下で3隻の薩摩藩艦が航行していた。赤塚源六は天佑丸の艦橋から、徐々に明るくなる東の空を見つめている。
「全艦、戦闘配置につけ!」
赤塚の命令と同時に3隻の艦は素早く態勢を整えた。
甲板上では水兵たちが忙しく動き回り、大砲の最終確認が行われている。徐々にイギリス艦隊との距離をつめる薩摩艦隊であったが、しばらくすると7隻の艦影が朝もやの中にぼんやりと浮かび上がってきた。
「敵艦見ゆ!」
見張りの声が響く。ひときわ大きな船体は、それが旗艦であることを物語っていた。赤塚は双眼鏡で確認すると決断を下す。
「撃ち方始め!」
赤塚の命令一下、3隻の薩摩艦から一斉に砲撃が開始された。クルップ砲とアームストロング砲の砲弾が、まだ十分な準備ができていないイギリス艦隊に向かって飛んでいく。
最初の砲弾がユーライアラスの甲板に命中した。大きな爆発音とともに、艦の一部が破壊される。
「くそっ! 何だこれは!」
キューパーは叫んだ。
「全艦、直ちに応戦せよ!」
イギリス艦隊も慌ただしく反撃を始めたが、ボイラーの火は消していなかったものの停泊中に薩摩艦隊の奇襲を受け、その初動は混乱を余儀なくされた。
赤塚は冷静に状況を分析しながら、次の指示を出す。
「永平丸、敵艦隊の側面に回り込め! 天佑丸はわが艦と同じく旗艦への集中砲火を続行!」
永平丸は速度を生かしてイギリス艦隊の側面から猛烈な砲撃を浴びせ、その間に天佑丸と白鳳丸はユーライアラスに集中砲火を続けたのだ。
しかしイギリス海軍も黙ってはいない。徐々に動きを活発化させ、その圧倒的な火力に薩摩艦隊は苦戦を強いられる。白鳳丸が大きな被弾を受け、艦体が激しく揺れた。
「艦長! 右舷に大穴が開きました! 損傷箇所多数! 浸水が始まっています!」
白鳳丸以外の艦艇にも被弾があり、これ以上の戦闘継続は撃沈される恐れがあった。
「くそっ! これまでか!」
しかしユーライアラスにもダメージを与えていることは明らかだった。黒煙を上げ、艦の一部が炎上している。
「よし、目的は達成した。これ以上の交戦は危険だ。撤退するぞ!」
赤塚は苦渋の決断を下し、3隻は煙幕を展開しながら後退を開始した。イギリス艦隊は追撃を試みたが、この海域を熟知した薩摩艦隊の巧みな操艦により、何とか逃げ切ることに成功した。
「副官よ、敵の艦載砲はなんだ? あれは……3,000、いや3,500は離れていたのではないか? あのような射程の砲を日本が持っているとは……。本国に詳細な報告をせねばならん」
キューパーは副官にそう告げて驚きを表すが、鹿児島湾突入作戦の遂行は変わらない。ユーライアラスと同様に他の艦艇も被害を受けていたが、どれも戦闘不能というほどではなかった。
兵力差はもちろん訓練と実戦経験の有無が明暗を分けたようであるが、キューパーの胸からは不安が消えない。
キングはどうしたのだ? なぜ来ない?
大村艦隊が北へ行くか南へ来るか。南へ来てキングの艦隊と挟み撃ちにすれば、ワンサイドゲームであろう。キューパーはそう確信していたのだが、キングが来なければその戦術が根底から覆る。
そんな不安をよそに艦隊は名瀬港で簡易的な補修をし、翌日、鹿児島へ向けて行くのであった。
次回予告 第325話 『激闘! 鹿児島湾海戦!』
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