元治元年四月十一日(1864/5/16) 男島沖 イギリス艦隊旗艦上
「艦橋-見張り! ロシア艦隊停止! 距離1,500ヤード!」
「……副官、ロシア艦隊に通信を送れ、文面は、こうだ」
-発 大英帝国東インド・中国艦隊増援艦隊司令官 宛 ロシア帝国艦隊司令官
日本国と交戦中のため、この海域は戦闘区域である。貴艦隊の今後の航行計画、および当海域における停船の意図を問う。
艦隊司令官 ジョージ・キング少将-
-発 ロシア太平洋艦隊司令官 宛 イギリス艦隊司令官
わが艦隊はこの海域にて訓練航行中なり。貴艦隊と日本国との交戦を認む。一定の距離を保ち事態を注視する。国際法に基づき安全なる航行および観測を継続する。
艦隊司令官A・A・ポポフ少将-
キングは眉をひそめてロシア艦隊の回答を吟味したが、結局答えは一つしかなかったのだ。
「副官、ロシア艦隊への返信を準備せよ。内容は以下の通りだ」
-発 大英帝国東インド・中国艦隊増援艦隊司令官 宛 ロシア帝国艦隊司令官
貴艦隊の意図は理解した。しかしこの海域は現在戦闘地域であり、中立国艦隊の存在は作戦遂行の妨げとなる。速やかに退去されたい。もし退去されない場合交戦による被害が出る可能性があり、その場合、貴艦隊の安全は保証できない。-
ロシア艦隊からの答えは『否』であった。
「……まあいい、あくまで退去しないなら、せめて邪魔はするなよ。副官、我々の艦隊の準備状況は?」
「はい、全艦戦闘準備完了です。いつでも行動開始できます」
キングが弟子待砲台へ向けて艦隊を移動させようとしたその時である。
「艦橋-見張り! 艦影あり! フランス艦籍と思われます!」
「なにい? !」
「艦橋-見張り! 続いてオランダ! アメリカも続きます!」
「……!」
フランス海軍のセミラミス他2隻、オランダ海軍のメターレン・クルイス他3隻、アメリカ海軍のタキアンが示し合わせたように単縦陣で海峡から抜け出てくるではないか。
双眼鏡で3か国艦隊を確認したキングは強く手を握り、深呼吸をする。
「……ふう……。そうか、そうかそうかそうか……。ロシアもアメリカも、フランスもオランダもみんな同じか。ははは、あーはっはっはっは!」
「司令官?」
副官がキングに問う。
「何の事はない。高みの見物というやつだろう。まったく、本国は工作に失敗したようだな。まあ敵でもなければ味方でもない。副官、やつらが全て停船したら行動開始だ」
「ははっ」
「よし、全艦隊前進半速(9㏏)、右舷側の水深に注意しつつ、海峡内にはいったならば、最微速(3㏏)に減速するぞ」
「面ぉーかーじ、両舷前進半速」
キングの指令とともに全艦に命令が下され、ゆっくりと進み出した。
■蓋井島沖
-発 蓋井島信号所 宛 大村艦隊
露仏蘭米艦隊集結す 露艦隊海峡にむけ航行-
「やはり動きましたな」
「ええ、弟子待の砲台がどう処すかは……。ただ、此度は鹿児島のようには行きませぬゆえ、騙しはききませぬ。射程に入って頃合いをみて撃たねば逆にやられてしまいます」
「して、いつ動きまするか?」
「弟子待の砲台が撃てばイギリス艦も応戦するでしょう、何れが先でも砲戦が始まってから動くのが良いでしょう。戦闘用意のみ下令を」
「はっ。全艦戦闘用意!」
「全艦戦闘用意!」
大村艦隊では次々に命令が下令され、臨戦態勢となった。
「艦橋-見張り! 左30°砲台視認! 距離2,600ヤード(2.39km)!」
「左砲戦用意! 目標対岸の砲台! 撃ち方始め!」
旗艦チェサピーク以下全艦の砲門が開き、弟子待砲台へ向けて発射されようとしたその時――。
どーん! どーん! !
轟音と共に水しぶきがあがり、砲台から至近弾が撃ち込まれたのである。
「何事だ!」
「敵砲台からの砲撃です!」
「応戦せよ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
弟子待砲台の近くには山床砲台があり、合計14門のクルップ砲が備えられていたのだが、さすがにイギリス艦隊全艦を比較するとその火力差の劣勢は否めない。
徐々に劣勢となっていったのだが、一発の砲弾が状況を変えた。
イギリス艦隊の後方より大村艦隊が海峡に進入してきたのだ。
艦首砲で攻撃しつつ、海峡を封じる形で単縦陣の横隊を組もうとしているのだが、これが完成してしまえばイギリス艦隊は海峡内に封じ込められてしまう。
「いかん! ええい! くそう! ここに大村艦隊がいるということは……まさか! キューバーが負けたのか? ……いや、今はそれどころではない!」
キングはそう言って雑念を振り払い、全艦に命じる。
1.このまま突っ切って海峡を進み、砲台を無視して突破、長州海軍を蹴散らして瀬戸内海ヘ出る。
2.反転して大村艦隊と雌雄を決する。
3.反転して大村艦隊と決戦せずに突破し、そのまま上海へ逃走する。
キングは大上段に構え、日本を見下してその戦力を過小評価し、キューパーの勝利を信じて疑わなかった。しかしここに大村艦隊がいることが、キューバーが敗北したことを如実に表していたのだ。
危機管理能力とでもいうのだろうか、危険察知能力とでもいうのだろうか。キングは瞬時に情報を整理し、結論を出した。
・大村艦隊の存在しているという事はキューパーが負けたということ。すなわちそのレベルの戦闘力が大村艦隊にはある。
・射程1,000メートル程度かと思っていた砲台から至近弾、命中弾、多数=同程度の艦載砲を保持している可能性大。
・だとすれば正確な砲門数は不明だが、9隻対14隻では明らかに不利。
「全艦、取り舵一斉回頭! 応戦しつつ後方の大村艦隊の陣形が整う前に突破する!」
鹿児島湾と関門海峡の地形の違いがそうさせたのか、それともキューパー艦隊の敗北がそうさせたのか。いずれにしても決断は早かった。今であればまだ大村艦隊は横陣になりきっていない。
「取り舵いっぱーい!」
キングの号令が全艦に響き渡り、イギリス艦隊は一斉に反転を開始した。しかし、狭い海峡内での反転は容易ではなかった。
「速やかに回頭を終え、全速力で離脱せよ!」
キングは叫んだ。
嫌な予感がする。
一刻も早くこの危険な海域から離脱しなければならない、そうキングは感じたのだ。
だが、その瞬間だった。
どかあぁぁぁ-ん!
レオパードの艦首付近で、轟音と共に巨大な火柱が上がった。110ポンドアームストロング砲が爆発したのだ。
「何事だ! 」
キングは驚愕した。予想外の出来事に、対応が遅れた。
「レ、レオパードの110ポンド砲が爆発! 艦首が大破! 火災発生!」
報告が上がった。レオパードは艦首を吹き飛ばされ、炎上している。
「くそっ! なんてこった!」
キングは歯噛みした。
アームストロング砲は最新鋭の砲であり、その威力と精度は高く評価されていた。しかしその反面、構造が複雑で、爆発事故を起こす危険性も指摘されていたのだ。
「レオパードを曳航しろ! 他の艦は全速力で離脱を続けるんだ!」
レオパードを見捨てるわけにはいかなかった。しかし、曳航すれば艦隊の速度は大幅に低下する。大村艦隊の陣形は刻一刻と完成しつつあった。
「司令官、危険です! レオパードを見捨てなければ、我々も……」
副官が諫言したが、キングは首を横に振った。
「ダメだ! レオパードを見捨てるわけにはいかん!」
どおん! どおん! どおん!
「見参! 夷狄なにするものぞ!」
全速力で海峡東から響灘の海峡西側へ向かって突進してくる艦艇があった。
長州海軍の旗艦に乗った高杉晋作である。
次回予告 第332話 『下関戦争-長州海軍と幕府海軍-』
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