元治元年五月三十日(1864/7/3)
-緊急電報
発 上海東インド清国艦隊司令部 宛 海軍大臣
日本にて全艦隊壊滅。キューパー提督以下戦死。キング提督捕虜。大半の艦船撃沈又は拿捕。
アジア権益に重大危機。外交・軍事対応の指示急務。-
「バカな! そんな事があり得るか! なんの嫌がらせだ! 誤報ではないのか?」
海軍大臣エドワード・アドルファス・シーモア、サマセット公爵は電文をみて驚きを隠せない。端的に書くとすれば、はあああああ? ! である。
エドワードの行動は早かった。
「おい君、これをすぐに上海の艦隊司令部に送りたまえ」
そう言って紙に走り書きをして側近に渡したのだ。
-緊急電報
発 海軍大臣 宛 上海東インド清国艦隊司令部
誤報の可能性を懸念。艦隊の正確な状況と指揮官の安否、敵勢力の正確な構成と戦力を可能な限り収集せよ。確実な情報のみ報告のこと。憶測を避けること。-
「こうしてはおれん」
エドワードはそう言って海軍省を急いで出て、外務省の庁舎へ向かった。
「おお! サマセット卿(海軍大臣)! まさか……? 海軍省にも?」
「そのまさかです」
エドワードとラッセルは、互いに送られてきた電文を読み比べ、ほぼ同じ内容を確認した。
「ラッセル卿(外務大臣ジョン・ラッセル)、首相には?」
「まだです」
「では急ぎましょう。もしかするとすでに新聞の一面に載っているかもしれません」
2人は急いで首相官邸に向かったが、途中で新聞を買って見てみると、すでに恐れていた事が起きていた。
ザ・タイムズ・ロンドン 1864年7月1日月曜日
『帝国艦隊、日本で二度の衝撃的敗北!』
上海特派員報:極東における帝国海軍の威信に壊滅的打撃。生麦事件の賠償を要求するため派遣された2つの艦隊が、わずか4日の間に日本軍の手により壊滅的敗北を喫した。
5月11日、キューパー提督率いる東インド・清国艦隊が鹿児島湾にて日本軍と交戦。予想外の軍事能力を示した日本軍の正確な砲撃により艦隊は甚大な被害を受け、全滅したとの報告が入った。
その衝撃が冷めやらぬ中、5月15日には増援として派遣されたキング提督の艦隊が下関海峡にて日本軍と交戦。第一艦隊の敗北を知らずに突入した帝国派遣艦隊は、日本軍の巧みな戦術と高性能な砲撃により、再び壊滅的な敗北を喫した。
両艦隊の指揮官を含む多数の将兵が戦死または捕虜となり、ほぼ全ての艦船が撃沈もしくは拿捕された。
この前例のない2度の敗北により、極東における帝国の軍事的プレゼンスは著しく低下。外交・貿易面での影響も懸念される。官邸では緊急閣議を開かれるであろうが、詳細は明らかにされていない。
日本の軍事力を過小評価した戦略の全面的な見直しが急務となっている。この衝撃的な敗北の全容解明と、今後の極東政策の再考が求められている。更なる詳細が待たれる。
「な、なんだこれは! こんなに細かく……」
「まずい、まずいなこれは」
首相官邸についた2人は急いでパーマストンに面会を申し込む。
「なんということだ!」
パーマストンは顔面が紅潮し、怒りにふるえ、握った拳で机を強くたたいた。
「これを見たまえ!」
The Illustrated London News:
「日本沿岸での惨敗:イギリス東インド艦隊の壊滅を描く」
The Morning Chronicle:
「極東の驚異:日本艦隊、世界最強の英国海軍を撃破」
The Punch:
「日本の意外な一撃:大英帝国の威信に陰り」
The Gazette:
「公式発表:極東における海軍作戦の結果と今後の対応」
「海軍大臣! どうなのだね? このような事がありえるのかね?」
「首相、正直に申し上げますと、私も信じがたい思いでおります」
エドワードは深く息を吐き、慎重に言葉を選んで続けた。
「しかし複数の情報源から同様の報告が入っている以上、何らかの事実があると考えざるを得ません。ただし、現時点では詳細な状況が不明確です。そのため上海の艦隊司令部に対して、正確な情報収集と報告を指示したところです」
ラッセルが割って入った。
「私からも在日公使館に至急の状況確認を指示しました。また、他国の反応も注視する必要があります。特にロシアの動きが気がかりです」
パーマストンは顔をしかめ、しばし沈黙した後、決然とした口調で言った。
「よろしい。まずは正確な情報を集めることだ。そして、この事態への対応を早急に検討せねばならん。閣議を招集する。サマセット卿(エドワード)、ラッセル卿、君たちはそれまでに可能な限りの情報を集めたまえ。そして問題は……」
パーマストンは一瞬躊躇したが、続けた。言わなければならない。
「最悪の事態ならば、私も含め君らの首も吹っ飛ぶぞ。総辞職だ」
パーマストンの言葉に部屋の空気が一瞬凍りついた。エドワードとラッセルは顔を見合わせ、深刻な表情を浮かべる。
「首相、もちろんその可能性も考慮に入れねばなりません」
エドワードが重々しく言ったが、ラッセルが付け加える。
「しかし、今はそれよりも事態の収拾が先決です。総辞職となれば国内政治が混乱し、対外的にも弱みを見せることになります」
「そうだな。まずは事実関係の確認だ。そして対日政策の再検討も必要になるだろう」
パーマストンは深くため息をつき、しかし……、と続ける。
「問題はスタンリーだ。やつは……スタンリー卿は間違いなく野党の総力をあげて辞任を迫ってくるぞ」
パーマストンの言葉にエドワードとラッセルは顔を見合わせた。スタンリー卿の名前が出た瞬間、事態の深刻さを改めて認識したのだ。
「確かに、スタンリー卿の動きは厄介です」
とラッセルが言った。
「彼はこれまで我々の対日政策を批判していましたからね」
エドワードが続けた。
「しかし、今は党派を超えた国家的危機です。スタンリー卿にもそれを理解してもらわねばなりません」
「そうはいかんだろう。彼らにとっては絶好の機会なのだ。我々を追い落とし、政権を奪う千載一遇のチャンスだ」
パーマストンは眉をひそめた。
「では、どうすれば?」
ラッセルの問いにパーマストンは答える。
「まずは事実関係の確認だ。そして、日本との外交交渉の可能性を探る。戦争継続か講和かの判断も必要になるだろう」
「講和となれば、相当の譲歩が必要になりますね」
とエドワードが言った。
「ああ。だがそれでも、野党の攻撃は避けられまい。我々は覚悟を決めねばならん」
3人三人は重苦しい沈黙に包まれた。大英帝国の威信と彼ら自身の政治生命が危機に瀕しているのだ。この危機をどう乗り越えるか、答えなど見えるはずもなかった。
「では、私は海軍省に戻り、詳細な情報収集に当たります」
とエドワード。
「私は外交ルートを使って、他国の反応を探ります」
ラッセルも続けた。
「よし、急いでくれ」
2人の大臣は重々しく頷き、部屋を後にした。大英帝国の威信と極東における権益、そして彼ら自身の政治生命を守るため、許された時間は少なかった。
次回予告 第337話 『捕虜と列強』
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