第337話 『捕虜』

 元治元年七月三日(1864/8/4)

 日英戦争における鹿児島・馬関戦役の捕虜は、士官・下士官兵すべてが横浜の称名寺にある収容所へ送られた。鹿児島湾海戦で200名、馬関海戦で340名、合計540名である。

 称名寺は金沢区にある真言律宗の別格本山で、広大な境内を持つ歴史ある寺院なのだが、その広さと立地から、幕府は急遽きゅうきょこの寺院を捕虜収容所として選定したのだ。

 寺院の本堂や庫裡くり(台所や僧侶の居住場所)、そして急造の仮設住居が捕虜たちの居住空間となった。




「いかがですか豊前守(新見正興)殿、変わりはありませんか」

 次郎は純顕とともに今後の対英政策と捕虜の処遇、そして協力してくれた列強にどう対応していくかの協議のために江戸に参府していた。純顕は江戸の藩屋敷である。

「ああ、これは蔵人(次郎)殿。ご苦労でござる」

 次郎を境内に迎え入れた新見正興は疲れた表情を浮かべながらも続ける。新見は遣米使節として小栗忠順や村垣範正とともにアメリカに渡った外国通であった。

「状況は刻一刻と変化しておりますな。捕虜たちの管理は想像以上に難しい課題です」

「そうでしょうな。文化も言葉も異なる者たちを大勢抱え込むのは、並大抵のことではありませんから」

 次郎は新見の話を真剣に聞きながらうなずいた。

 ほんの少しであっても、意思の疎通ができないために大問題になりかねない。そのため捕虜と直接接する機会のある者は、必ず英語をある程度話せなければならなかった。

 そうは言っても幕府にそれだけの人数を用意できるはずもなく、9割以上が大村藩からの派遣である。

「されどこれはわが国にとって重要な機会でもあります。捕虜の処遇いかんで、列強諸国の日本に対する見方が大きく変わる可能性がありますからな」

「そのとおりだ。だからこそ我らは慎重に、しかし毅然きぜんとした態度で対応せねばならん。さて、具体的な対応策について、蔵人(次郎)殿の意見を聞かせてもらいたい」

 新見の問いに対して次郎は一呼吸置いてから話し始める。

「まず、捕虜たちの健康管理が最優先事項だと考えます。西洋医学を学んだ医師たちをさらに増員し、定期的に診察するべきでしょう。食事もできる限り、彼らの口に合うものを用意する必要があります」

 新見はうなずいている。

 しかし食事にしても医療にしても言葉にしても、大村藩の協力なくしては立ちゆかない。医療に関しては全員が横浜診療所の医師で、ヘルプとして江戸の本院、もしくは少数だが医学所から人が来ている状況なのだ。

 医者も英語ができなければ話にならないからだ。

「加えて、彼らの心を気遣う事も忘れてはなりません。長期の拘束は心をむしばみます。ほど良い運動や読書、さらには日本文化に触れる機会を提供することで、彼らの気を紛らわせるのではないでしょうか」

「うべな(なるほど)。確かにその通りにござろう。されど自由を与えすぎれば、逃亡や反乱の危うさもある」

 新見はそう懸念を示した。

「その点は警備を強化しつつも、捕虜たちに対して公平かつ人道的な扱いを徹底することで、ある程度緩和できるのではないでしょうか。彼らに日本の『武士道精神』を示せば、互いの理解を深められるかもしれません」

 新見は次郎の意見を聞き、深く考え込んだ。

「蔵人殿のお考え、よく分かった。これらを踏まえて、具体的な対応策を練り上げていくとしましょう」

 新見は笑顔でそう答えたが、前途多難であった。




「オーブリー君、君が今は先任なのだから、鹿児島組は君がまとめたまえ」

 イギリス増援艦隊司令官、ジョージ・キング少将は艦隊の幕僚と鹿児島艦隊の生存者の士官とともに、まとまって食事していた。

「はい。承知しました」

 イギリス東インド清国艦隊の生き残りであるホレイショ・オーブリー海尉は、キングの言葉に淡々と答えた。

 なぜあなたは馬関に向かったのだ? 日本の艦隊は確かに手強かった。しかし14隻の艦艇があれば、少なくとも艦隊が全滅する事はなかったはずだ。

 そうオーブリーは思っていた。

「これは……驚きだ」

 突然、キングの隣に座っていたジェームズ・ウィリアムス海尉が声を上げた。全員の視線がウィリアムスに集まる。
 
「何をそんなに驚くのかね? ウィリアムス君」

 キングが尋ねるとウィリアムスは答える。

「この食事です、司令官。私は日本人が我々を粗末に扱うと思っていましたが、これは……驚くほどおいしく、そして配慮が行き届いています」

 確かに、目の前にならぶ和洋折衷の料理や炊きたての白米、焼き魚やみそ汁といった日本食に加え、パンやチーズ、ローストビーフまでもが用意されていた。

「そうですね」

 オーブリーも淡々と同意した。

「日本人の礼儀正しさは聞いていたが、こうまで我々の食習慣に配慮してくれるとは思わなかった」

 捕虜である以上、至れり尽くせりではない。

 しかし最低限の士官としての品位を保てる食事が提供され、簡単な娯楽施設もあった。運動や散歩も制限付きで見張りがついたが、ある程度自由にできたのだ。

 当時の欧米における士官の捕虜待遇の域には達していただろう。




 しかし、最大の課題は今後の外交交渉であった。

 イギリス政府との交渉が始まれば、これらの捕虜たちの扱いが重要な論点となることは必至であり、イギリス以外の諸外国の反応も気になるところだった。

 アメリカやフランス、オランダやロシアなどは、この事態をどのように見ているのか。日本の勝利とイギリスの敗北は、極東における力のバランスを大きく変える可能性を秘めていのである。




 次回予告 第338話 『対英、対列強会議』

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