第709話 『瓶詰めの開発と琉球州顛末。琉球国か琉球州か』  

 天正十二年六月十六日(1583/8/3) 諫早城 

「ところで忠右衛門。その後缶詰はどうなっている?」

 純正は唐突に忠右衛門に尋ねた。

 忠右衛門は14年前に真空ポンプを使って実験をして以来、純正から缶詰の開発を依頼されていたのだ。

 しかし実際のところ、その研究は遅々として進んでいなかった。

 忠右衛門が実験に利用していた真空ポンプは、確かに任意の容器に接続して内部を真空にする事ができた。完全ではないにしろ、それは事実である。
 
 しかしそれを小型化し、手のひらサイズの缶をつくって真空にするのは別問題だ。

 真空にするのはもちろん、そこまで精巧な物をつくる冶金技術がまだ開発されていない。出来たにしても全てが手作業の職人技で、実用化にはほど遠い。
 
 そこで忠右衛門は、缶詰の代わりに瓶に詰める方法で食品を長持ちさせる保存方法を開発していた。

 14年もかけているのに、開発できていないもどかしさを感じながら、忠右衛門は純正の問いに答える。

「御屋形様、言い訳になりますが、蒸気機関や電気など、様々な研究が時を同じくして進んでいるため、缶詰のみに集中できなかったのでございます。そこで鉄の入れ物の代わりに瓶に詰める方法で、食品を長持ちさせる保存方法を開発してきました」

「ほう? 缶の代わりに瓶に詰めたのか」

「はい。まずは食品を瓶に詰め、コルクでゆるく栓をし、湯煎なべに入れて沸騰加熱いたします。しかる後、四半刻くらいでしょうか。瓶内の空気を除いてからコルク栓で密封することで、長期間保存可能な瓶詰め食品を製造することができました」

 コルクは大量ではないが、ポルトガルから輸入していた。

「その方法で障りはないのか?」
 
 純正はさらに問うた。

「初めのうちは密封が足りずに腐る事もありましたが、何度もやり直してうまく出来るようになりました。然れど瓶は重くて割れやすいという障りがございます。それ故御屋形様が仰せの様に、鉄の入れ物でなんとかならぬか研究しております」

「うむ。よろしく頼む」

 生活に密着した商品開発も、これからは重要な課題であった。




 ■首里城

御主加那志前うしゅがなしーめ長嶺親方将星ながみねうぇーかたしょうせい、ただいま戻りましてございます」

 長嶺親方は国王の前で一礼し、肥前国来訪と服属の条件等の報告を行った。

「長嶺親方、いかがであったか?」

 長嶺親方の帰りと報告を待っていたのは伊地親方である。自らが進める明から肥前国への冊封体制移行にあたり、条件の打診とそれによって得られる恩恵がどれくらいの物なのか。

 それが伊地親方が知りたい事であり、今後の琉球を左右する事なのだ。長嶺親方は国王の方を見る。尚永王は黙ってうなずき長嶺親方の発言を促した。

「はい。まずは肥前国王である小佐々内大臣様は、わが琉球国を冊封する事に対して、おおむね良い反応をお示しにございました」

 おおお、と万座が沸き返る。

「明国に関わる懸念は感じておられなかったのか?」
 
 伊地親方が長嶺親方を見て聞いた。明らかに二人の国頭親方を意識している。

「はい、それに関しては色々と議論があったようですが、最終的には問題なしとなったようにございます。それよりも……」

「? それよりも、何じゃ? 何か問題でもあったのか?」

 伊地親方の顔が少し曇り、国頭親方が聞こえる様につぶやく。

「何か過大な要求をされたのではありませんか?」

「いえ、私個人的には問題はなく、皆様にも琉球国にも害のあるものではないかと思います」

 長嶺親方は即答し、ゆっくりと落ち着いて話し始めた。

「おおよそ肥前国が求める事はこれまでの明国の冊封とは中身が違います。その違いは以下の通りです」




 ・肥前国所属船舶の港湾施設利用に関する税金の低額化もしくは無料化(現在実施中)
 ・肥前国艦艇の港湾施設の使用許可(現在実施中)
 ・肥前国軍の駐留許可(現在実施中)
 ・琉球水軍の肥前国海軍への吸収、もしくは国家警備隊化
 ・外交権の移譲(明国冊封と同様)
 ・肥前国省庁の管轄下入り(権限の一部剥奪はくだつ
 ・肥前国憲法・法律の適用(範囲内での立法)
 ・政教分離の実施(聞得大君などの政治介入排除)
 ・三権分立体制の導入




「これは……これはもはや独立国とは呼べませぬ! 明からの冊封のほうがどれだけましでしょうか。軍の駐留や艦艇の停泊、港湾設備の利用云々うんぬんは、今と大差はありませぬ。然れど、水軍の編入や肥前国の省庁にこの……管轄下というのは摂政や三司官、表十五人衆や政庁、役座(役所)は取り込まれると言うことになります」

 そう声を上げたのは国頭親方盛順くにがみうぇーかたせいじゅんだ。同じく国頭親方盛理くにがみうぇーかたせいりも続いて発言する。

「その通り! さらには肥前国の憲法や法律に従い、政教分離や三権分立など、よくわからぬ文言で我らを惑わそうとしているのではないか?」

 盛順と盛理は、ここぞとばかりに伊地親方豊国と長嶺親方将星にまくし立てるように反論する。二人はもともと明の冊封から抜け出す事に反対であったので、これを機に一気に国論を親明へ戻そうと考えているようだ。

「お待ちください、盛順どの盛理どの。これは肥前国から出された条件ですが、一方でそれにより得られる物を考えなければならないでしょう。何事も一方からのみ見るのではなく、別の見方も必要です」

 将星はそう言って、肥前国の州となる事のメリットを列挙した。




 ※交通インフラの整備
 蒸気機関車などの近代交通網が導入され、物流の効率化や人の移動が容易になる。

 ※安全保障の強化
 肥前国の軍事力により、外敵や海賊から守られる。

 ※経済繁栄
 肥前国との貿易関係(地域間経済活動)が強化され、新たな市場と商機が生まれる。
 肥前国内港湾施設の低料金利用(無料)などで、経済活動が活性化する。

 ※技術・知識の移転
 肥前国の先進的な行政制度や産業技術が導入され、発展につながる。

 ※災害支援体制の確保
 肥前国の強力な行政力と経済力を背景とした、迅速な災害支援が期待できる。

 ※文化的影響力の獲得
 肥前国の多様な文化的遺産を享受でき、琉球文化の発展に寄与する。




「確かに両親方が仰せの様に、わが琉球国の自治は大幅に制限されます。しかしそれは、苦渋に満ちた忍耐を強いるものでしょうか?」

 長嶺親方は肥前国に琉球州として編入されることの利点を述べ、確かに国家としての琉球国はなくなるが、琉球自体がなくなる訳ではない事を説いた。

「同じように御主加那志前はその玉座に鎮座ましまし、琉球国(やがては州)の主として治めるのです。もちろん、いきなり全てを変えるのは難しいとは思いますが、その辺りは肥前国も考慮してくれるでしょう」

 その後、尚永王が静かに口を開いた。

「余はこの提案について、長い間考え続けてきた。確かにこの条件を呑めば、我が琉球は独立国ではなくなる。独立国でないのは明との冊封と変わりはないが、それはあくまで対外的な事。外交の権を失っても、内政干渉まではしてこなかった」

 尚永王は現状の明との冊封、そして小佐々との通商関係について話し出す。

「恐らく、肥前王の提案は我ら琉球にとっても悪いものではないのだろう。しかし国と国との付き合いと、州になってしまうのでは、大きな違いがあるのではないか? 今、琉球の民は塗炭の苦しみにあえいではいない。肥前国との通商で豊かになり、潤沢ではないにしろ、以前のように重税を民から取らなくてもよくなったからだ」

 四人の親方は尚永王の言葉を真剣な眼差しで聞いている。

「長嶺親方よ、なんとか間をとって、我が琉球の国体を護持し、冊封と同じように、肥前国と交流を深めることはできないか?」

「はは。それでは先方と協議し、妥協点を探って参ります」




 条件のすりあわせに数ヶ月、数年かかるかもしれないが、いずれにしても琉球は明の冊封体制下からの脱却を図ったのであった。

 次回 第710話 (仮)『港湾インフラ』

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