第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

 天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード>

 フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳)

 11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。
 
 私は当時、フィリピン総督府の有望な提督と目されていたが、肥前国の艦隊戦術と火力の前では、我がスペイン艦隊など子供の玩具同然だったのだ。

「これは敗北ではない」

 捕虜となった際、副官のマルティン・デ・ゴイチはそう言った。

「これは天が我々に与えた、真の文明を学ぶ機会なのだ」

 関白殿下(現在)の計らいにより、私たちは処刑されるどころか、この国の産業と民情を記録する任を預かった。これまで2度の巡察を経験している。

 マルティンは父親代わりの存在だ。

 最初の巡察は肥前国の領土、九州・中国・四国地方であった。マルティンは商人の出身だけに、各地の産業を見る目が鋭い。

「驚くべきは、火砲の製造所だけではない」

 肥前国彼杵郡そのぎぐんの西の半島にある工場群や港、そして造船所。Porto de SaseboやPorto de Nagasakiの軍港や商港を歩きながら、彼は語った。

「鋳造、製錬、精錬、規格化、品質管理。これらすべてが、互いに緊密に結びついている。フアン、我々は軍事技術だけでなく、その背後にある産業の仕組みそのものに敗れたのだ」




 2度目の巡察では、近畿地方とその周辺を回った。織田州の陶工たち、甲斐かいの金山、相模の鋳物師。いずれも代々受け継がれた確かな技がある。

「見事な技だ」

 美濃の陶磁器工房でマルティンは語った。

「セビリアでも、このような釉薬ゆうやくは見たことがない。しかし……」

 彼の言葉は途切れた。工房の隣では、肥前からもたらされた新しい窯が建設中だった。より高温で、より大量の焼成が可能になるという。

 甲斐では金山を視察した。

「かつては日ノ本でも有数の産金を誇ったそうですが」

 案内の役人はため息をつく。

「肥前の新しい精錬法の前では、我々の技は古の技のようだ」

 そう言っては何かを押し殺すかのように業務に戻った。

 相模の鋳物も同様だ。北条家の領内では大砲や鉄砲の鋳造が盛んであった。
 
 傘下の伊豆海軍では船の舳先へさきに大筒を載せて海戦をしていたようだ。しかし、肥前の規格化された大量生産の前では、職人の技も色あせて見える。

「面白いのは、彼らが各地の産業を単に潰すのではなく、段階的な発展を促そうとしていることだ」

 マルティンは指摘した。

「関税制度を見るがいい。各州の発展段階に応じた保護を設定し、同時に必要な技術支援も行っている。我々スペインなら、すべてを独占しようとしただろうが」




「関税制度の設計が、実に緻密なのだ」

 マルティンは1枚の文書を広げながら説明を続けた。
 
「まず第1類。各州の農産品や伝統工芸品を守るため、肥前からの同種の製品には50%から100%の関税を課している。美濃焼や会津塗など、地域の伝統産業を保護し、その技を存続させようというわけだ」

 確かに各地の特産品は独自の価値を持っている。殿下はそうした地域文化の重要性を理解しているようだ。

「第2類が最も興味深い。綿織物や製糸、基礎的な機械製品。これらには50%から100%の関税を課している。だが、ここが肝心だ」

 マルティンは声を低めた。

「関税による保護と同時に、技術支援も行っている。他州の産業が自立するまでの『育成期間』と考えているのだろう。肥前の製品と競争できる力を培おうというわけだ」

 しかし、第3類については、マルティンの表情が曇った。

「蒸気機関、精密機械、最新兵器。これらには150%から200%以上の関税が定められている。というより……」

 私も気づいていた。第3類の製品の多くは、もはや関税の問題ではない。戦略物資として、肥前州からの移出そのものが制限されているのだ。

「技術移転は国家プロジェクトとしてのみ認められる。場合によっては完全な禁止措置も」

 マルティンは続ける。

「我々スペイン人には分かる。これは単なる産業保護ではない。国家の安全保障に関わる判断なのだ」




 私は11年前の海戦を思い出していた。肥前の艦隊が見せた圧倒的な火力。あの技術は、今でも第3類に分類され、厳重に管理されているはずだ。

 以前関白殿下から聞いた事がある。

 同じ国、同じ大日本国になったのだから、本来ならば軍事技術も何もかも、すべて供与して共存共栄を図ればいい、と。

 しかしナベシマ様やクロダ様をはじめとした筆頭家老の方々、閣僚の方々に大反対をされたそうだ。もしやるにしても、徐々に、緩やかにやらなければならない。

 なぜか?

 関白殿下の考えの本質は、他の大名には簡単には理解されず、受け入れられないだろうという事である。

 16年前に日ノ本大同盟ができるまで、血で血を洗う戦争をやってきたのだから、他州(他国)に比肩する軍事力を持ったなら、反乱が起きる可能性を示唆していたのだ。

 そうならないように、大日本国は建前であり、肥前国優位のまま数十年を経て、他州の文化的・経済的・領民の意識的水準が高まってから、安全保障上の技術を供与するべきだ、と。

 大日本国政府の構想ができ、朝廷に認可されて9年たってもなお、まだその域に達していないという。

「関白殿下の構想は理想的だが、現実は厳しい」

 マルティンは静かに言い、私は黙ってうなずいた。

 確かに大日本国という形は整った。しかし、まだ各州には旧来の意識が根強く残っている。特に大名家の家臣たちは、いまだに自州の利益を第一に考えている。

 ある意味それは仕方がない。

 各大名は議員として大日本国の国会で発言をし、議決権もあるが、肥前国が遙か高みにある以上、大日本国のためというより、自国の利益に考えが行くのは仕方がないのだろう。

「その上で、関白殿下の慎重な姿勢には、深い洞察があるのではないか」

 マルティンは続けた。

「技術の共有は、単なる工学の問題ではない。その技術を使いこなす人々の意識、社会の在り方そのものが問われているのだ」

 実際、各州を巡察して気づくことは、技術の差以上に、人々の意識の差が大きいということだ。肥前州では、既に領民が『大日本国民』としての意識を持ち始めている。

 殿様は関白殿下、というのには変わりがない。それが肥前国でも大日本国でも、あまり関係がないのだろう。

 一方、他州では、いまだに旧国単位の意識が強い。




 今回は3度目の巡察である。東北地方から始まり、半年以上かけてようやく肥前州に戻ってきた。

 交通の違いは、まさに各地域の発展段階を如実に表している。肥前州の九州地方では既に全域で蒸気機関車が走り、整備された道路には駅馬車が行き交っているのだ。

 しかし東北に向かうにつれ、そうした文明の利器は姿を消していった。

「これほどまでの違いがあるとは」

 マルティンは馬上でそう言った。

「肥前の道は、まるで別世界のようだ。ここ東北では、ローマ時代の道さえ懐かしく思えるほどの悪路だ」

 確かに。

 整備された馬車道のある地域でも、それは主要街道に限られる。

 一歩そこを外れれば、ぬかるんだ道や補修の行き届かない橋ばかりで、東北の山間部などは、徒歩でしか移動できない場所も多い。そして南下する道中で、私たちは産業の発展段階を目の当たりにしたのだ。

 未だに多くの農民が手作業で布を織り、鍛冶屋は古い技法で鉄を打つ。肥前から技術指導官は派遣されているものの、若者は技術を学ぶ前に肥前へと流出してしまう。

 北陸に入ると、やや様相が変わった。加賀の金沢では、肥前の技術を導入した工房も見られるが、まだ試行錯誤の段階だ。越前の港町には肥前のガレオン船や汽帆船が頻繁に寄港し、徐々に新しい文物が浸透している。

 中部地方、特に甲斐や信濃では、伝統産業と新技術の混在が目立つようだ。在来の技術を守りながらも、肥前の影響を受け入れざるを得ない状況が見て取れる。

 織田州、特に畿内に入ると、商人たちの活気が増す。彼らは肥前の製品を扱いながら、自らも産業の近代化を模索している。しかし、その試みは緒に就いたばかりだ。

 肥前州(肥前国)以外は、発展途上である。

 そして肥前。ここでは蒸気機関の轟音ごうおんが鳴り響き、整然とした工場群が立ち並ぶ。他の地方とは、まるで時代が異なるかのようだ。

 私は最後の報告書にこう記した。




 大日本国の産業発展段階は、東から西に向かうにつれ、如実にその差を表す。

 東北:最も発展から取り残された地域。道路は未整備で、産業は古い手工業が主体。若年人口の流出が深刻。肥前からの技術指導も、人材定着の困難さから、その効果は限定的。

 北陸:加賀・越前を中心に、肥前の影響が徐々に及びつつある地域。港町を中心に新技術の導入も始まるが、その普及は緩慢。第2類産業の育成に苦心する様子が顕著けんちょ

 中部:甲斐・信濃では、伝統技術と新技術の融合を模索。しかし、資金と人材の不足から、その歩みは遅い。織田州の一部では、肥前の技術支援を受けた工場も見られるが、まだ試験的段階。

 畿内:商業の中心として、肥前製品の集散地となっている。自らも産業の近代化を志向するが、肥前との格差は依然として大きい。関税による保護がなければ、地場産業の存続すら危ぶまれる状況。

 肥前:産業革命を完遂した唯一の地域。蒸気機関による工場制機械工業が確立し、鉄道網も整備。他地域とは、まさに異なる時代を生きているかのよう。

 大同盟当時、大日本国建国当時に比べると徐々にではあるが、肥前州以外も発展しつつある。しかしまだ、遙かなる道の途上なのだ。

 この格差は、単なる技術や設備の問題ではない。人々の意識、社会の在り方、そして何より、産業を支える人材の質において、決定的な違いが存在する。

 関白殿下の慎重な統合政策は、この現実を踏まえたものと理解される。

 マルティンも、最後にこう付け加えた。




「我々の母国であった・・・・スペインは、新大陸の富に酔い、真の産業育成を怠った。しかし、この国は違う。時間はかかろうとも、着実な発展の道を選んでいる」




 次回 第757話 (仮)『暖炉とストーブ』

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