文禄二年十月二十六日(1593/12/18)
順天府(北京)より山西省の太原府・大同府、北直隷の宣府・開平衛・永平府、山東省の廣寧衛へ使者が派遣され、正式に寧夏国の領土となって明の地図から消滅した。
命令に背いて抵抗する勢力もあったが、士気の低い末端の兵は我先に逃げ出し、わずかに残った将兵が援軍なき抵抗をしただけであったので、ほどなく制圧された。
「さて、土文秀よ。これからが正念場だぞ。ごほっごほっ……」
「! 大丈夫ですか、陛下」
「うむ……大丈夫だ。しかしわしも既に六十四じゃ。譲位して承恩に継がせねばならんが、まだまだ死ねぬようだ」
哱拝は明軍の組織で頭角を現し、副総兵にまで出世した。
反乱を起こして寧夏国を建国した一代の英雄は、最後の大きな使命として国境を確定し、国民の生活を安定させ、国の基盤を築く必要があった。
「承恩よ、まずは何をやらねばならぬか分かるか?」
哱承恩は父の問いに真剣な表情で答える。
「はい、父上。まずは周辺諸国との関係を強化し、安定した外交政策を確立することが重要です。特に女真とは国境を接しますので、慎重に進める必要があります。明に関しては播州の楊応龍に力を注ぐとの報せも入っておりますので、備えを怠らず、情報を集めるだけでよいかと」
「うむ」
うなずきながら聞いていた哱拝は続ける。
「そのとおりじゃ。それと同時に国内の治安を維持し、民心をつかむためにも農業や商業の振興策を講じるべきじゃ。民が安んじて暮らせるようになれば、おのずと国も強くなる」
「はい。農業振興には新たな灌漑の仕組みや、様々な新しい作物を植えるなどの干ばつ対策が必要でしょう。また、市場の整備や交易路の確保も急務です。肥前国に教えを請い、殖産興業、富国強兵こそがわが国のとるべき道かと思われます」
哱拝は満足そうにうなずいた。自らの期待通りの答えが返ってきたからだろう。
「うむ。新たな兵士を募り、訓練することも急務じゃな。これからの戦火に備えねばならん」
「はい」
その後寧夏国は肥前国に再び使節を送り、さらなる交流を深めていくことになる。哱拝にも哱承恩にも、これ以上の領土的野心はない。ただ明や増大する女真の脅威に対抗するために必要だったのだ。
■紫禁城
「顧憲成よ、肥前国との交易はどうであった?」
すでに立場は逆転していた。純正にしてみれば、もう何年も前からあんたら勝手にやってくれ、という存在であった明であるが、万暦帝は過去を捨て、肥前国に学ぶことを選んだ。
領土割譲や賠償金は屈辱でしかなかったが、昨日の敵は今日の友。純正がどう思おうが藁にもすがって国力を回復するしか方法がなかったのだ。
顧憲成は慎重に言葉を選びながら答える。
「陛下、肥前国との交易は順調です。彼らから供給される物資は我々にとって非常に貴重であり、市場にも良い影響を与えております。また、彼らとの関係構築も進んでおり、新たな協力体制も視野に入れております」
万暦帝は満足げな表情でうなずいた。
「それは良い知らせじゃ。しかし当面の問題を早急に解決せねばならん。戦費の調達はどうなっておる? 楊応龍の軍勢は15万にものぼるのであろう? 五司七姓の軍勢をあわせても、四川・貴州・湖廣の財源では不足しているというではないか」
「はい、陛下。そのとおりです。現在の財政状況では、戦費を賄うことが非常に困難です。肥前国との交易によって得られる物資や資金はあるものの、それでも楊応龍の軍勢に対抗するには不十分です」
顧憲成は緊張した面持ちで続けるが、万暦帝は眉をひそめる。誰が何と言おうと地獄の沙汰も金次第。先立つものは金なのだ。
「では、どのようにして戦費を調達するつもりじゃ? 新たな税制を導入するか、それとも他国との交易をさらに強化するか? いずれにしても時がない。楊応龍との約束の期限はもう切れるのだ。なにもしなければ、間違いなく四川、湖廣、貴州はあやつに席巻されるぞ」
「陛下、戦費調達のためにはいくつかの選択肢があります。まず税制を見直し、特に商業活動を促進することで税収を増やすことが考えられます。また、肥前国との交易を拡大し、その利益を戦費に充てることも重要です」
顧憲成はしばらく間を置いて、深呼吸してから答えた。
「お前は馬鹿か! ! 朕は先ほど言うたではないか! 時がないと! 肥前国との交易などと、なぜお主は同じ事を繰り返すのだ!」
万暦帝は立ち上がって怒鳴り散らした。そもそもの、そもそもの元凶は自分の堕落と浪費、政治を省みない行動が今にいたっていることを忘れているようである。
しかし顧憲成も沈一貫も、わかってはいても口に出すことはできない。それに、本人は十分反省しているのかもしれないし、過去に遡ってそもそも論を言っても現状は変わらないのだ。
「陛下、策は……ありまする。ごほっごほっ」
万暦帝が声の主のほうを見ると、戸部尚書の王国光である。
「晋商・徽商や閩商・潮商などの大小様々な商幇に金を借りるのです」
「借りる? 出させるのではなく、借りるのか?」
「はい陛下。いまや……徴用はできないでしょう。債権として売るのです。大明が保障する債権として売りに出し、例えば十年満期の単利で年四分の利息を払うのです。これならば商人だけではなく、富豪や豪農からも資金を集められ、必ずや戦費を賄うことができましょう」
これまでは商人から徴発し、後で税を優遇することはあったが、債券として売り出したことはなかった。確かに画期的な資金調達の方法である。
万暦帝は王国光の提案に興味を示した。
「なるほど。これまでにない方法だな。しかし、商人たちはそのような債券を買うだろうか?」
王国光は自信を持って答える。
「はい陛下。商人たちにとって、大明帝国が保証する債券は魅力的な投資先となるでしょう。肥前国に敗れたとはいえ、わが国が滅ぶなどあり得ません。加えて陛下は以前の陛下ではありません。税制を改革し、産業を振興しつつ善政を敷いております。またこの方法であれば、急激な増税や徴発を避けられ、民心を損なうこともありません」
顧憲成も同意した。
「これは良い案かもしれません。しかし、債券の発行と管理には細心の注意が必要です。乱発すれば、将来の財政を圧迫する恐れがあります」
万暦帝は深く考え込んだ後、決断を下した。
「よし、この案で進めよう。王国光、詳細な計画を立てて報告せよ。顧憲成、お前は債券の発行と管理の体制を整えよ。我々には時間がない。速やかに行動せよ」
「 「はっ!」 」
王国光と顧憲成は同時に答え、すぐに行動に移った。
この新たな戦費の調達方法が、楊応龍との戦いの命運を握ることになる。
次回予告 第799話 『8路24万』
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