文禄二年十二月十八日(1594/2/8)
「陛下、明からの使者が参っております」
「おお、ようやく来たか。遅すぎるぞ」
楊応龍は|播《は》州の宮殿で明からの使者が来たという報告を受け、笑みをこぼす。独立と領土の要求をして期日を設け、ようやくその返答の使者が来たのだ。
「通すがよい」
「ははっ」
「播州宣慰使である楊応龍殿におかれては……」
「前置きはいい、結論だけ述べよ」
明からの使者に対して楊応龍は素っ気なく応じ、結論を求めた。
「……では、わが大明帝国は播州宣慰使である楊応龍を四川・湖廣の河南、長沙・永州の西、桂林府・柳州の西、ならびに貴州を統べる播王に封じ……」
「ま、待たれよ!」
使者の口上の途中で楊応龍の側近が口を挟んだ。
「わが王は四川・湖廣・廣西・貴州の四省の領土を求めたはず! なぜ減っているのだ! ? わが王を侮辱しているのか?」
側近が使者に食ってかかろうとしたが、楊応龍は手を挙げてそれを制した。
「使者殿、なにか申し開きはあるか?」
使者は慎重に言葉を選んで答える。
「確かに当初の要求は四省全土でした。しかし朝廷としては、さきほどの領土で十分過ぎると判断し、さらに王に封じることでご納得いただけると考えたのです」
楊応龍は使者の言葉を聞いて、しばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど。朝廷の考えはわかった。確かに王に封じられることは大きな名誉であるが、それだけではない。朝廷の真意をもっと聞かせてもらおうか」
使者は|安堵《あんど》の表情を浮かべつつ、続けた。
「はい。楊応龍殿、朝廷はあなたの力を高く評価しております。しかし、あまりに広大な領土を一度に与えることは、苗族以外の周辺の諸侯や民衆の反発を招く恐れがあります」
楊応龍は黙って使者の弁を聞いている。
「新たなる騒乱はわが陛下も望んではおりません。そのためまずはこの領土で王としての基盤を固め、その後徐々に拡大していくことが、楊応龍殿にとっても朝廷にとっても、最善の策だと考えたのです」
楊応龍は顎をさすりながら、じっと使者を見つめた。
「つまり朝廷は余の力を認めつつも、余計な戦乱を避け、将来的にはさらなる拡大の可能性も示唆しているわけだな」
使者はうなずいた。
「はい、そのとおりでございます。最終的には四省を統べる西南王として封じたいと仰せでした。独立国として領土を認めるので『封じる』という言葉は正しくはありませんが、ここは明国を立てると思って、どうかよろしくお願いいたします。お認めいただけるならば、来月の吉日を選んで独立の祭典を執り行いたく考えております」
楊応龍は使者の言葉を聞き、深く考え込んだ。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど。朝廷の真意がよくわかった。確かに急激な変化は避けるべきかもしれん。しかし余にも譲れぬものがある」
使者は緊張した面持ちで楊応龍の言葉に耳を傾けた。
「まず、『播王』の名は受け入れよう。だが、独立国としての地位は譲れぬから『封じる』という言葉は使わぬことだ」
使者はうなずきながら聞いていた。
「次に、領土についてだが、現在の提案に加えて、湖廣の全域と広西の半分を要求する。これは譲歩だ。五年後には残りの領土についても再協議する」
楊応龍は立ち上がり、部屋を歩き回りながら続けた。
「当然ではあるが、独立国ゆえ余が統治する地域での徴税権と軍事権は余にある。これらの条件が満たされれば、朝廷の提案を受け入れよう」
使者は驚きと困惑の表情を浮かべたように見えたが、すぐに返事をした。
「ご提案は朝廷に持ち帰り、慎重に検討いたします。ただ、これほどの大きな変更には時間がかかるかもしれません」
楊応龍は厳しい表情で使者を見つめた。
「わかった。だが覚えておけ。これが最後の譲歩だ。もし朝廷がこの提案を受け入れなければ、余は自ら軍を率いて進軍する。そのときは、四省全土を手に入れるまで止まらぬ」
使者は深々と頭を下げた。
「承知いたしました。楊応龍殿のお言葉を、一言一句違わず朝廷にお伝えいたします」
「よろしい。では、朝廷の返事を待つとしよう。来月の吉日に独立の祭典を行えるよう、準備を進めておけ」
楊応龍が満足げにうなずくと、使者は再び頭を下げ、退出した。
■翌月 吉日
楊応龍の本拠地である播州では、正式な建国にむけて宮殿の造営が始まっていた。鎮と名のつく城塞ではなく、紫禁城には及ばないが、それを除いては大陸一であろう規模である。
当然、優遇していた苗族以外には重い税がのしかかる。
「伝令! 伝令! 至急陛下にお取り次ぎを!」
「何事だ騒々しい」
明からの使者を出迎え、独立の式典に出席するための準備をしていた楊応龍に、急報が届けられたのだ。
「何だと? 李化龍を総大将に討伐軍が向かっているだと?」
息を切らしながら報告する伝令の報せに、楊応龍の表情が一瞬にして凍りついた。
「はい、陛下。李化龍は8つの方面から同時に進軍を開始しました。重慶をはじめ、黄平、草塘、白泥、余慶、重安など、我々の全周囲から攻め寄せています」
楊応龍は眉をひそめた。
「軍の規模はどれほどだ?」
「各方面から3万ずつ、合計24万の大軍だと報告されています」
「なに? どこにそんな兵力があったのだ? 戦費など賄えまい……」
楊応龍は拳を握りしめた。明朝の嘘に怒りを覚えながらも、冷静さは失わない。
「わかった。すぐに防衛態勢を整えろ。我々の軍は14万。数では劣るが、地の利はある。各要所に兵を配置し、籠城戦の準備も進めよ」
側近たちが慌ただしく動き始める中、楊応龍は窓から外を見た。建設途中の宮殿が目に入る。
「そう簡単にはいかぬか……」
とつぶやいたが、すぐに気を取り直した。
「いや、まだ終わりではない。我々には苗族という味方がいる。簡単には負けんぞ」
楊応龍は側近たちに向かって叫ぶ。
「全軍に告げよ! 我らの独立と自由のために戦うのだ!」
我ら、というのは苗族と自分の家族や側近、上層部のことである。重税にあえぐ民のことではない。
次回予告 第800話 『西南王楊応龍』
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