文禄三年六月三日(1594/7/20)
蒸気機関の発達により、諫早から大阪までは10日から2週間程度で往復できるようになっていた。そのため純正は3か月は大阪・京都に滞在し、残りの9か月は諫早で過ごすという生活を送っていたのである。
「ほうほう、これが噂に聞く気球部隊ですか」
偵察・情報の要である気球部隊の訓練を藤原一馬が視察しているときに、長船越中が偶然通りかかったのだ。
もともとは宇喜多家中であった長船越中であるが、長船は陸軍、おなじく明石全登は海軍の兵站担当として重責を担っている。
なぜか気のあう一馬と越中の2人は職務以外でも家族ぐるみの付き合いがあった。
「ん? どうした?」
越中が一馬に聞くと、一馬は別の訓練部隊の方を指差して言う。
「どうやらなにかもめ事のようだ。行ってみよう」
2人が近づいていくと、歩兵隊の下士官と士官が気球部隊の兵士を囲んで何か言っているのが見えた。気球部隊の兵士たちは萎縮している様子で、何も言い返せていない。
「おい貴様ら。何をしているんだ?」
一馬が声をかけると、歩兵隊の2人は慌てて敬礼した。
「いえ、別に……ただ、少し話をしていただけです」
下士官が言い訳をするが、どう見ても動揺している。
「そうか? 何か困っていることがあれば、私に相談しても構わないぞ」
一馬は意味深な笑みを浮かべて歩兵隊の2人に言った。2人は顔面蒼白になり、何も言えなくなった。一馬が気球部隊の味方であることは明白だったからだ。
「実は……」
気球部隊の兵士の一人が、恐る恐る口を開いた。
「気球など役に立たないと馬鹿にされまして……」
「馬鹿な! 誰が然様なことを! それがしはもっと他に金を使うべきところがあるのではないか、と申したまでだ!」
歩兵隊の下士官が開き直ったように言い放った。
「刀一本で戦う武士にとって、そんなふわふわ浮かぶ駕籠が何の役に立つというのだ」
士官も同調するが、『刀一本で戦う』や『武士にとって』という考え方は、すでに時代遅れとなりつつあるのだ。
もちろん心意気としては重要だろうが、後装式のライフルが完成して拳銃も開発されれば、密集隊形は意味をなさなくなる。
至近戦闘しかできない武士は、無用の長物となりつつあるのだ。
必要なのは兵士であり、武士ではない。
「確かに、平時である今は目立った戦果はないかもしれないな」
一馬は腕組みをして考え込むような素振りを見せた。
「然れど偵察によって得られた情報は、今後の戦略に大きく影響する。敵の配置や兵力、そして地の利を事前に把握することで、無駄な犠牲を払わずに済む。それが如何に大事かはわかるであろう?」
一馬は意味ありげに越中の方を見た。越中はうなずいて、歩兵隊の2人に語りかけた。
「我々兵站は、常に物資の輸送経路や保管場所の安全確保に頭を悩ませている。気球部隊からの情報があれば、危険な地域を避け、より安全かつ効率的に物資を輸送できる。それは……ひいてはお主らの安全にもつながるのだ」
「然れど……」
歩兵隊の2人はまだ納得していない様子だった。
「米、塩、味噌、醤油、野菜、果物、肉、魚、それに加えて武器、弾薬、火薬、それに我ら兵士の衣服や薬、その他諸々。これらを船や馬車、機関車を使って運ぶのだ。天候や海賊や盗賊など様々なことを考えて、滞りなく物資を届けるのが我々兵站の仕事である。もし兵站が滞れば如何なるか、貴様は想像できるか?」
下士官は唇をかみ締めたまま何も言わない。
「戦場で弾薬が尽きれば、刀一本で敵に立ち向かう羽目になる。食料が尽きれば飢えに苦しみ、満足に戦えなくなる。薬がなければ病に倒れた兵士は助からない。兵站は、いわば軍の血液だ。血液がなければいかに優れた武士であろうと、動くことすらできんのだ」
越中は一息置いて、2人をにらみつけた。
「貴様らは気球部隊を金の無駄遣いだと言ったが、偵察によって敵の動向を事前に把握できれば、無駄な戦いを避けて兵士の命を守れる。それはつまり、無駄な物資の消費を抑えることにもつながる。いいか、これからの戦争は、情報と兵站が勝敗を大きく左右する。殿下はそのことをよくおわかりである。貴様らのような古くさい考えでは、このさき生き残ることはできんぞ」
越中の言葉に、2人はぐうの音も出ない。一馬は満足そうにうなずき、越中に声をかけた。
「どうだ越中、今日は一緒に飯でもどうだ? 久々にうまい酒が飲みたい気分だ」
「ああ、それもいいな」
2人は肩を並べて歩き出した。
肥前国軍令 第一〇號
発令 文禄三年六月五日
件名 空軍の新設に関する件
第一條 陸海軍に属する気球部隊を独立せしめ、空軍を新設する。
第二條 空軍は、航空機の開発、運用、整備等を|掌《つかさど》るものとする。
第三條 空軍には、参謀部、人事部、情報部、装備部、航空機開発研究所を置く。
第四條 空軍の長は、空軍大将とし、戦略会議室の隷下とする。
第五條 空軍の編成、装備等に関する事項は、別に定む。
第六條 陸海軍の気球部隊は空軍の派遣部隊とし、後に陸海軍の気球部隊として独立するものとする。
第七條 規模の拡充とともに空軍省を新設し、空軍大臣の所管とする。
附則 本令は、公布の日より之を施行する。
理由
一、蒸気機関の発達に伴い、航空機技術は急速に発展し、軍事上の重要性を増しつつある。気球部隊は既に偵察任務等で一定の成果をあげており、さらなる発展の余地あり。
一、気球部隊を陸海軍より独立せしめ、空軍として新設することは、航空戦力の強化に資するものなり。
一、空軍の新設により、航空機の開発を促進し、将来の戦争に備える。
以上の理由により、空軍の新設を決定する。
公布 文禄三年六月五日
肥前国王
関白太政大臣 花押
次回予告 第804話 『陸海軍再編』
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