第807話 『斜陽のイスパニアと隆盛のポルトガル』

 文禄三年十一月二十七日(1595/1/7) スペイン マドリード王宮

 フェリペ3世は重々しい表情で窓辺に立ち、マドリードの王宮から広がる景色を眺めていた。彼の目には、かつての帝国の栄光と現在の苦境が映し出されているようだった。

「陛下」

 側近が声をかけた。

「イギリスとの小競り合いに関する最新の報告が届きました」

「どうせ良くない報せであろう?」

 フェリペ2世は深いため息をつき、振り返った。

「アルマダの敗北から立ち直れぬまま、我が国の力は衰えるばかりだ」

 スペインはセバスティアン1世が存命のために同君連合は発生せず、東南アジアにおいては肥前国に2度にわたって敗れ、なおかつアルマダの海戦でイギリスにも敗北していた。

『日の沈まぬ帝国』という称号を得る事はなかったのだ。

 即位と同時に莫大な負債を背負い、宗教関連ではユグノー戦争に介入してはネーデルランドの反乱を誘発したフェリペ2世ではあったが、レパントの海戦でオスマン帝国の艦隊を破ったのもつかの間、アルマダにてイギリスに敗北した。

 その後艦隊の再建を試みたものの、イギリスへの攻撃は失敗に終わっている。

 度重なる軍事費増大による国庫の破綻は防げず、財源を中南米の金銀とネーデルラントの税収に頼って産業育成を怠ったつけも回っていた。

 イギリスとの間では新大陸の一部利権を譲渡することで講和にこぎつけたが、両国の関係改善には至らず、現在も小競り合いが続いている。

「新大陸からの富も減少の一途を辿っています」

 と財務大臣が報告した。

「陛下、財政状況は危機的です。ここは屈辱に耐えてでも各国と停戦協定を結び、内政に努めて国力を回復し、産業を育成して財政を健全化しなければなりません」

 カトリックの盟主として、『異端者に君臨するくらいなら命を100度失うほうがよい』と豪語していたフェリペ2世であったが、その信念とともに国を没落させるわけにはいかなかった。

 ■ポルトガル リスボン王宮

 リスボンのテージョ川。

 陽光が水面にきらきらと反射し、川風は潮の香りを運んでくる。壮麗なリベイラ宮殿の執務室では、セバスティアン1世が窓辺に佇んでいた。紺碧の空と川のきらめきを映した彼の瞳には、静かな自信が宿っている。

 執務室の扉をノックする音が響いた。

「陛下、本年度の歳入歳出見込みをお持ちしました」

 宰相クリストヴァン・デ・モウラの落ち着いた声である。

「入れ」

 セバスティアン1世は穏やかな声で応えた後、重厚な樫の机へと向かい、座った。

 クリストヴァンは一礼し、革表紙の書類を差し出す。セバスティアン1世はそれを受け取ると、一枚一枚丁寧にめくり始めた。時折、彼の指が机を軽く叩く音がトントンと響きわたる。

「奴隷貿易廃止から10年。肥前国との同盟は、我が国の経済に大きな変化をもたらしたようだな」

 セバスティアン1世の声には、確かな手応えが感じられた。

「はい、陛下」

 クリストヴァンは深々と頭を下げる。

「東インド貿易からの収益は、前年比8%の増加を見込んでおります。特に、肥前国の技術を導入した新型帆船による輸送効率の向上が大きく貢献しております」

「8%とは素晴らしい。新型帆船の成果は期待以上だったか」

 セバスティアン1世の顔に笑みが浮かぶ。

「その通りでございます。マカオ経由の日本との貿易も順調で、銀の輸入量は増加しております。また、アフリカにおける香辛料栽培事業も軌道に乗り始め、かつての奴隷貿易に匹敵する収益を上げ始めております」

「具体的にはどのような香辛料なのだ?」

 セバスティアン1世は身を乗り出した。

「主にコショウ、ジンジャー、カルダモンでございます。中でも、モザンビークで栽培されているコショウは、上質な香りと辛さで高い評価を得ております」

 クリストヴァンは、香辛料の豊かな香りを思い浮かべるように目を細める。

「ふむ……我々の決断は正しかったのだな。奴隷貿易に頼らない経済の構築が、着実に実現しつつある」

 セバスティアン1世は満足そうに頷いた。

「国内の繊維産業も活況を呈しており、欧州市場への輸出も増加傾向にあります。これも肥前国から導入した新型織機による生産性向上のおかげでございます」

 クリストヴァンは続けるが、その表情がわずかに曇る。

「一方で、懸念材料もございます。スペインとの関係悪化により、陸路での貿易に支障がでておりましたが、現在ではほぼ不可能となっております」

 セバスティアン1世の眉間にしわが寄る。

「ふん、まあ同盟破棄をして久しい。こうなる事は予測済だ。陸路ではなく海路でビスケー湾を北上し、フランスに売ってはドーバーを越えてイギリスにネーデルランドと売れば良い。スペインの商人が欲しがっても倍の値段でも買えぬようになる」

「はい。現在はそのように販路の変更を順次行っている最中です。それにスペインは、我が国の奴隷貿易廃止と肥前国との同盟を快く思っていないようです。特に新大陸における労働力不足の深刻化が、その原因かと推察されます」

「我々の進む道は正しい。人の命をタダ同然に買い、馬車馬のようにこき使えば利益もあがろうが、そんな事は長続きするはずがない。しかし、そうはいってもスペインと戦争をするつもりはない。国境の警備と艦隊の増強はどうだ? 歩兵には『Rasenju』が十分い行き渡っておるだろうな?」

 セバスティアンの問いにクリストヴァンはテキパキと答える。

「はい、国境警備は強化されており、肥前製大砲を配備しております。艦隊も新型帆船の建造を進めており、規模と質の両面でスペインを凌駕する勢いです。歩兵への『Rasenju』の配備も完了しており、兵士の士気は非常に高く、訓練も万全です。仮にスペインが侵攻してきたとしても、十分に撃退できる態勢を整えております」

「うむ。良いだろう。しかし油断は禁物だ。スペインの動向を常に監視し、いかなる事態にも対応できるよう準備を怠るな。我々は、正義と繁栄の道を歩み続ける。そして、その恩恵を世界と分かち合うのだ」

 セバスティアン1世の声には、揺るぎない決意が込められていた。

 事実、スペインは他国に戦争を仕掛けられる状況ではなかったのだ。即位後すぐに破産宣告(国庫支払い停止宣言:バンカロータ)を行い、その後3回も実施していた。

 火の車なのである。

「かしこまりました。スペインとの関係悪化は避けられぬ状況ですが、我が国は更なる発展を遂げることでしょう」

「ああ、我々は正しい道を進んでいる。恐れるものは何もない」

 次回予告 第808話 『イングランドとオランダとフランス』

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