文禄四年二月十五日(1595/3/25) フランス パリ フォンテンヌブロー宮殿
「陛下、司教様の使いの方がお見えです」
「なに? またか? ……通すが良い」
「ははっ」
フランス国王アンリ4世は側近からの報告を聞き、うんざりしながら司教の使者を通した。
「これはこれは御使者どの。今日はまた、どのようなご用件でしょうか?」
アンリ4世は微笑みながら使者を迎え入れた。その穏やかな声には、疲れを隠しつつも王としての威厳が漂っている。使者は深く頭を下げ、手にした書簡を掲げた。
「陛下、枢機卿様より、ナントの勅令撤回を求める請願書を持参いたしました」
若い使者は豪華な衣装を身に纏っているにもかかわらず、どこか緊張した面持ちで形式的に頭を下げた。その瞳の奥には、アンリ4世に対する冷ややかな光が宿っている。
「陛下、カトリック教会の権威が脅かされているとの声が広がっており、多くの信徒が不安を抱いております。特にプロテスタントへの寛容政策は、我が教会の教えに反するものであり、直ちに改めるべきとの御意見でございます。また、ポルトガルとの関係を危惧する声も多く、陛下には是非ともご考慮いただきたいと……」
「御使者どの。一度にそんなにまくし立てられても困ります。それにポルトガルとの連携は神の御心とはあまり関係ないでしょう」
アンリ4世は穏やかな口調で遮ったが、その声にはわずかながら苛立ちが滲んでいた。パリの街は今日も活気に満ちている。この平和を守るため、どれだけの犠牲が払われたことか。
「この国は長い間宗教戦争に苦しんできました。私は、この手でその苦しみを終わらせると誓いました。この道を選ぶ以外に、私には道はなかったのです」
彼は振り返り、使者を真剣な眼差しで見つめた。
「カトリックもプロテスタントも、皆フランス人です。ナントの勅令は、互いに共存し未来を築くための、なくてはならない第一歩なのです」
使者は王の強い意志を感じ取り、言葉を失った。王の言葉は彼の心に小さく響いたものの、表情には出さなかった。
アンリ4世はさらに言葉を続ける。
「教会の権威を否定するものではありません。ただ、すべての臣民に平等な機会を与えたい。それが王としての私の務めです。どうかこの思いを大司教様にお伝えください」
使者は再び形式的に頭を下げ、退出していった。
「ふう……シュリー卿よ、もう5年も経つというのに、まだ宗教問題は解決せぬか……。内政に外交、やらねばならんことが山ほどあるというのに……」
シュリー公マクシミリアン・ド・ベテューヌ。アンリ4世の特別顧問である。
「陛下、確かに宗教問題は依然として難しい課題ではございますが、この5年間で我々は大きな進歩を遂げております」
「ほう、具体的にはどのようなことかな?」
シュリー公は自信に満ちた表情で説明を始めた。
※財政再建
国家債務の削減に着手し、間接税の導入により貴族層からの税収も増加。産業振興では、絹産業の導入が順調。特にリヨンでの生産が活発化。
※インフラ整備
パリのポン・ヌフ橋の建設の他、各地で新しい道路の建設が始まり、商業の流れが活発化。
※貿易政策
国内製造業保護のための輸入制限。奢侈禁止法の制定により、国内の金銀の流出を抑制。
※雇用創出
公務員の雇用拡大、公共事業の拡大により多くの新たな雇用を創出。ルーヴル宮殿の拡張工事は、多くの職人たちに仕事を提供。
※農業政策
オリビエ・ド・セールの農業実用マニュアルの配布。
オランダやフランドルからの入植者募集。サントンジュの湿地帯開拓。
「うむ、うむ。少しずつではあるが、成果が出ているようだな」
アンリ4世は窓際に立ち、パリの街を見下ろした。
「はい、陛下。私の全てを捧げて、フランスの繁栄のために尽くす所存でございます」
「さて、シュリー。ポルトガルとの関係について、どう思う?」
アンリ4世は突然話題を変えた。シュリー公は慎重に言葉を選びながら答えた。
「陛下、ポルトガルは20年以上前から肥前国と交易を行い、その技術を導入して産業を活性化させております。彼らの成功から学ぶべきことは多いと存じます」
アンリ4世は興味深そうに聞き入った。
「うむ、肥前国には昨年使節を遣わした。今ごろはついているだろう。具体的には?」
「陶磁器産業や造船技術、さらには農業技術など、ポルトガルは東洋の知識を巧みに取り入れております。我々も同様の戦略を取ることで、フランスの産業をさらに発展させることができるでしょう」
「なるほど」
アンリ4世は深く考え込んだ。
「ポルトガルの成功を参考にしつつ、フランス独自の道を探るのだな。よし、その方向で検討を進めよう」
「かしこまりました。早速、具体的な計画を立案いたします」
次回予告 第812話 『オランダ-1594-』
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