第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 

 嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門>

 さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ?

 本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。




「御免候!」

「はいよ。どなたかな?」

「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老の太田和次郎左衛門と申す者にござる」

 といって俺は名刺を渡す。意外と名刺の歴史は古くって、中国の皇帝が結婚する時に、相手の親に木や竹の『刺』と呼ばれるものに名前を書いたのが始まりとか。

 日本でも19世紀には使われていて、不在時に置いて帰ったり、取り次ぎを頼む時に渡していた。幕末、そうこの時期は、例えば外国人との名刺交換も記録に残っている!

 脱線した。

「はあ……これは、どうも。おいら……ごほん。それがし、旗本小普請組、勝麟太郎にござる。して、その御家老どのが、いったいそれがしに何用にござろうか」

 明らかに怪しんでいる。

 旗本小普請組といえば、無役の、ようするに窓際族である。そうは言っても取り潰す訳にもいかず、わずかではあっても俸禄が幕府より支給されていた。

 仕事と言えば城の修理やその他の雑用になるのだが、この時にはその賦役も金納に変わっていた。困窮する旗本も続出するなか、内職をする者も後をたたなかったのである。

「実は勝殿、貴殿の才器を見込んで、我が家中にお招きしたいのです」

「はあ?」

 だろうね。そうだろうさ。勝海舟でなくったって、そうなるさ。俺だってそう思う。新手のオレオレ(いや、古手?)かと思うよね。

「ごもっとも。つまる話もなんですから、上がらせて貰ってもよろしいか?」

「いや、あ、ちょっと!」

 ちょっとだけ強硬手段にでた。やっぱり中には入れてくれない。当たり前か。

「勝殿、それがし、すでに来訪の目的は告げ申した。嘘偽りのない当て所(目的)にござる。勝殿の才器を見込んでのお願いにござる」

 真剣な眼差しで勝さんを見る。

「さ、されど、いきなり来て大村、肥前でござろう? 来いとは。いくらなんでも意味がわからぬ。今少し説明をしていただかねば」

 よし、では説明しよう。あー隼人、おれ小久保さんの時も思ったけど、お前毎回こんな事してんのな。うん、ご苦労さん。ありがとう。

「では、ご説明いたしましょう。ん? その手に持っているのはDoeff-Halma Dictionaryではありませんか?」

「今何と?」

「ですから、ドゥーフ・ハルマの辞書にござろう?」

「なんと! ドゥーフ・ハルマをご存じなのですか?」

「そりゃあ知ってますよ。英語でさえTOEIC……いやいや、苦手でオランダ語勉強する時に使いましたからね。この時代で有名な蘭和辞典でしょ」

「この時代? 英語? といっく?」

「ごほん。お忘れくだされ。我が大村家中では先頃印刷機が完成して、辞書やらなにやら印刷しているんですよ。この辞書はオランダ語を学ぶ学生用に百冊以上は配布され、領内の図書館にも二~三部ほどございますから」

 活版印刷。グーテンベルクの発明から、天正遣欧使節によって日本にもたらされたが、再版の際の費用が高くつくなどの理由で普及せず、木版が主流となったのだ。

 幕府は海外情報の流入を恐れて、ドゥーフ・ハルマの一般への・・・・刊行を許可しなかったので、ものすごく数が少なく、高価だった。

 ただし大村藩では、領立の図書館内での閲覧と、学生と官職についている者への貸し出しに限定している。この辺は幕府の目を盗んでといったところだろうか。

 あくまで民間へ、ではなく官での利用なのだ。

 要するに藩が厳重に管理をするので、情報流出はない、と。

 まったくこの期に及んで流入もくそもないだろうが。ため息だ。

「なんと、百冊以上……」

「はい。象山殿などは、今はましになりましたが、図書館に入り浸りでございましたからな。わはははは」

「今、象山殿と仰せになりましたか?」

「はい」

 あれ? どした?

「蘭学を志し、学んだ者で先生の名をしらぬ者はおりません。それがしも教えを請おうと思っておりましたが、いつのまにか江戸から去ってしまい……信州の松代に帰ったとも聞いておりました。その先生が、大村にいらっしゃるのですか?」

 うーん、入門は確か再来年だと記憶していたけど、こんなに早くから知っていたのか。まあ木挽町で象山さんが開塾してからの入門だもんね。本来は今、松代藩で研究しつつ活躍しているところ。

「ええ、象山殿だけではなく、高島秋帆殿や高野長英殿、みなわが大村にて学んで・・・おります」

「なんと……そのお二人までも。それは、誠にございますか」

「誠も誠。嘘偽りなど申して、それがしになんの得がありましょうか」

「……」

 考え込んでいる。悩んでいる。勝海舟の私塾の開塾が来年だから、開塾してさらに翌年に、それと並行して入門したのかもしれない。いずれにしても、海舟が欲してやまないものが、大村にはある。




「御家老様」

「なんじゃ?」

「藩邸に小久保健二郎と名乗る者が来ておりますが」

「おお! そうか。丁重におもてなしして、待っていただけ」

「ははあ」

「では、勝殿。じっくり考えて頂いても構いませんが、それがしあと一月も江戸の藩邸にはおりませぬゆえ、それまでにお決め下され」




 それから何度か俺は勝邸と藩邸を行き来して、勝海舟は大村に行くことに決まった。幕臣である小普請組であったが、具体的に仕事があるわけでもない。

 それにその賦役は金納であったために家計を圧迫していた。俺はその負担を肩代わりし、いや、正確には給料の一部として勝海舟を迎えたのであった。




 ■大村政庁

「石だ」
 
 というのは石工の橋本勘九郎。
 
「いや、素焼きの土管では?」

 ある技術者が発言する。
 
「いやいやレンガであろう」

 高炉や反射炉、コークス炉を設計して運用し、レンガを生産している技術者は言う。大村城下で下水道整備をするにあたって、何を素材にして配管工事をするのかを論議していたのだ。

 経済的な面、技術的な面、耐久性の面、衛生的な面。様々な要素を考慮しなければならない。

「ここは、ポルトランドセメントでしょう?」

「ポルトランドセメント?」

 一同がオランダ人技術者を見た。

 ポルトランドセメントとは1824年にイギリスで開発されたもので、石灰と粘土を混合し、それを焼成して出来上がるセメントである。材料である石灰石と粘土があり、焼成が可能な高炉がある。そして技術的な事を考えての事であった。

「高炉セメント」

「「「「ん?」」」」

 通りかかった信之介の言葉に全員が固まった。




 次回 第121話 (仮)『セメントの続きと臭水樽揮発問題』

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