第153話 『公儀からの質問状』

 嘉永五年八月十八日(1852/10/30) 大村藩庁

て次郎よ、この、ごほっ……長崎奉行の志摩守(牧義則)殿からの書状じゃが、どうにも公儀から問いただすようにとのお達しのようじゃ」

「殿、大事ございませぬか? 誰かおらぬか! 俊達先生を……ええい、一之進を呼ぶのじゃ」

 次郎は立ち上がって純顕に近づこうとし、大声で医師を呼ぼうとする。

「待て、大事ない、大事ないのだ」

「然れど……」

「案ずるでない。己が体は己が一番ようわかっておる。大事ない。それよりもこれだ」

 純顕はそう言って次郎の行動を制し、医者を呼ぶなと命じたのだ。純顕は書状を次郎に渡して見せる。

「これは……」

「うむ。先だっての和蘭オランダ風説書に対して、いかに処すべきかとの問いじゃ。あからさまに問うては公儀の沽券こけんに関わると思ったのだろう。志摩守殿(長崎奉行)を通じて聞いてきおったわい」

 純顕の顔色は良くはない。

 いつも血色が良い訳ではないので、普通と言えば普通である。
 
 しかし次郎にとっては、同い年で主君ではあるが、友人のような親しみやすさを感じていた純顕の容態は、人ごとではないのだ。

「それで、如何いかがお返事をなされるおつもりなのですか?」

「ふふふ。それをお主に聞こうと思うて呼んだのじゃ。わしとしては開国すべき、というのは変わらぬが、奴らの条件をそのまま呑むのも面白くはない。一旦は断って腰を据えて話し合い、我らに利のある条件、というよりも害のない条件で約を結ばねばならぬと考えて居る。如何じゃ」

 やはり聡明そうめいなお方だ。そう次郎は思い、うっすらと笑みが浮かんだ。

「なんじゃ、如何した?」

「いえ。まさに殿のお考え、神機妙算の如しにございます」

「お主を見ておると、世辞にしか聞こえぬのう……。ふふ、まあ良い。して、如何じゃ? 何か付け足す事はあるか」

「……うですね、それがしの考えを申し上げるならば、鎖国は祖法ゆえ曲げられぬと、こう通すのが良いでしょう。いま和蘭との貿易を、わが家中をはじめ佐賀や福岡が行って、ようやく幾分か慣れてきたところにございます。いきなり国を開くは、時期尚早やもしれませぬ」

 次郎はしばらく考えてから答えた。どうやら色々な考えがあり、まとめるのに時間がかかったようだ。

「ふむ、それで?」

亜墨利加アメリカも簡単に通商ができるとは思うてはおらぬでしょう。まずはいくららかの港を開き、石炭や薪、水や食料を安心して補給できるように求めてくるかと存じます」

 純顕は次郎の発言を聞き逃すまいと、身を乗り出して聞き入っている。

「それは何ゆえじゃ?」

「清国にございます」

「清国?」

「はい、英吉利エゲレスはアヘン戦争で清国に勝って以来、清国と交易をしております。然りながら亜墨利加は清国と交易はしておるものの、本国から清国までの補給地がありませぬ。弘化三年の来航と同様にございます。それ故まずは、わが国に対してそのように求めてくるかと存じます」

「なるほど。では開国は時期尚早、加えてゆるりと腰を据えて交渉せよ、という訳か」

 交渉役は林大学頭ではなく、初回の交渉は浦賀奉行の戸田氏栄と井戸弘道だ。中島三郎助がファーストコンタクトをする。

「そこで殿、ひとつお願いしたき儀がございます」

「……ほう。何じゃ? 何ぞまた悪巧みでも考えておるのか?」

「悪巧みとは人聞きが悪うございます」

「では何じゃ?」

「は、その交渉には殿もご同席いただきたく存じます」

「なに! ? わしがか?」

 純顕は驚きを露わにした。無理もない。さすがの純顕も、外様の小藩の藩主である自分が、国の命運を左右する交渉に参加するなど、考えもつかない事だからだ。

「然に候。然れど恐らく、公儀は許さぬでしょう。ここで重しは、それほど重きお役目でも承れる自信があると、公儀にお伝えすることにございます。然れば殿の公儀内におけるお立場は、いや増すばかりかと存じます」

「ふふふ、次郎よ。お主も悪よのう」

 どこかで聞いた事のある台詞だと次郎は思いつつ、詳細を純顕に話し、退座した。




どうせ来年の6月には徳行丸、昇龍丸、蒼龍丸、飛龍丸の蒸気船4隻で浦賀に向かうのだ。その計画は着々と進んでいた。




 ■川棚造船所 

 佐久間象山は、曙丸のスクリューシャフト回りの問題に頭を悩ませていた。これまでの航海で、軸と船体の接合部分からの浸水が大きな課題となっていたのだ。

「このままでは、長い航海は難しいではないか」

 象山は眉間に深いしわを刻み、鋭い眼差しで遠くを見つめながら、重々しい口調で言った。

「先生、如何いかにすれば浸水を防げるのでしょうか」

 稲田東馬が尋ねると象山は口元に手を当て、目を細めながらしばらく考えた後、慎重に言葉を選ぶかのようにゆっくりと答えた。

「軸と船体の間の隙間を埋める、何か新しい方法が必要じゃ。これには相当の時がかかるだろう」




 こうしてスクリューの改良が始まったのだが、当初は試行錯誤の連続だった。麻縄、綿、獣毛など様々な材料を試し、編み方や油脂の染み込ませ方を何度も変えては試験を繰り返した。

 一ヶ月が経過した頃、象山は最初の試作品を手に取った。

「まだまだじゃな。これではすぐに劣化してしまう」

 佐藤大全が作業場に顔を出した。

「象山殿、進捗はいかがでしょうか」

「佐藤殿申し訳ない。まだ満足な結果は得られておらぬ。然れど諦めるわけにはいかん。もう少し時をいただきたい」

「承知いたしました。焦らず着実に進めてください。我々も全力で支援いたしますぞ」




 果てなき挑戦はつづく。




 次回 第154話 (仮)『石油精製法その弐』

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