1571年~1575年(忘備録)

元亀二年(1571年)

1月
籠手田艦隊 バンテン国王謁見

2月
信長越前攻め

3月
信玄西上作戦実行
海軍兵学校・陸軍士官学校第六期生卒業
純アルメイダ大学第四期生卒業

4月
山陰山陽にて反乱
マニラにてスペイン艦隊ならびに上陸軍との戦いにて敵艦隊壊滅させるも被害甚大

5月
中国地方反乱鎮圧
但馬~播磨間の街道整備と生野銀山の鉱山開発、餝磨津(姫路港)の拡張整備
二俣城陥落 三方ヶ原の戦い
第十回遣欧留学使節団派遣
小佐々家石高 七百九十三万八千三百四十五石(7,938,345石)

6月
野田城陥落 信玄狙撃

7月
武田軍退却
武田信玄死亡
第四回遣欧使節帰港
蝦夷地開拓

8月
異見十七箇条

9月
将軍義昭逃亡
武田家、小佐々家に通商和親条約締結打診

10月
三好義継自刃(若江三好滅亡)
小佐々家、織田家に対し武田家との和睦実現にむけての調停を行う
信長の了承により、武田家と小佐々家との通商和親条約締結

11月
耐火レンガの完成
信長、松永弾正、石山本願寺他に和睦条件を提示
石山本願寺、小佐々家に織田家との仲介を頼むも、条件緩和ならず
賠償金満額支払いにて和睦
台湾にて明使節と会談
北条氏使節、ヌエバ・エスパーニャ副王に謁見
耐火レンガの完成
台湾にて明国使者と会談
中国探題、四国探題の設置要請と小佐々家中の者任命要請

12月
蝦夷地より探険・交易団帰港
第五回練習艦隊帰港
第六回練習艦隊出港(籠手田安正・9)
※今回より、練習艦隊と探検艦隊は分離独立
東南アジア・インド方面を従来通り練習艦隊
探検艦隊は北方と南方(籠手田安経)に分離
女真族に使者を派遣することを決定

 

元亀三年(天正元年)1572年

1月
信長、純正連盟の奏上により改元(史実より1年早い)
信長は正四位下参議兵部卿に叙任され、純正は従三位権中納言近衛大将
織田・徳川と武田の和睦交渉開始、東濃の岩村城返還と徳川に五万貫の支払い
幸若丸元服、松島(小佐々)勘九郎行純となる
越中一向一揆に、上杉との和睦を提案
上杉に越中一向一揆との和睦を提案
能登畠山に交易、親交の使者をおくる

2月
マニラ沖海戦の結果がセバスティアン1世の知るところとなる
ポルトガルにてじゃがいも、とうもろこしの大規模栽培始まる(ている)
信長、三度目の越前攻め、朝倉、滅亡
太田和利三郎、越後へ、日高喜越中本願寺へ和睦の斡旋を行う
日高喜、能登へ向い純正と義慶の会談をとりつける(和親・修好・安保)
琉球に対して明より小佐々征伐の助力要請使臣(格好だけ?)
小佐々家開発援助(KDA)、武田家に始まる
越前国守就任に関して景紀不満、就任ならず

3月
小佐々純正、畠山義慶と会談。通商、安保を結ぶ。

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