第198話 『安政二年のオランダ風説書と鹿児島藩、薩摩海軍』

 遡ること8か月前の安政二年六月二十五日(1855年8月7日)

 安政乙卯おつう賀蘭風説別段風説書

 今年はオランダも平和で隣国はじめヨーロッパ諸国と親しく交わり、交易・航海共に活発である。

 1854年末から1855年初にかけて暴風雨に見舞われ、多数の船が破損し、人民が溺死する損害があった。

 ~中略~

 オランダとしては、長年の貴国との交易ならびに交誼こうぎの事もあり、諸外国とは意見を異にするところです。

 しかしそれでもアメリカをはじめ、イギリスやロシアは昨年結ばれた貴国との和親条約に不満があり、交易を求めるために共同して長崎もしくは下田に来航する恐れあり。

 ただちに武力をもって通商を求めるとは思わないが、その武力を背景に強く迫ってくると思われる。

 わが国としては貴国にできうる限り助力したいと考えてはいるが、世界情勢の流れには逆らえない事を、心に留めておいていただきたい。

 ~後略~

 オランダ商館長

 ヤン・ドンケル・クルティウス

 1855年8月7日

 ■江戸城

「伊勢守(阿部正弘)殿、此度こたびの風説書、如何いかが思われますか」

「如何もなにも、あらましたる事(予想通り)ではございませぬか。攘夷じょういは難しいとはもうせ、開国せずにすめばそれでよし。然りながら、そうできぬ時勢となっておる事も重々承知しております」

 老中首座(当時)の阿部正弘は、同じく老中の牧野忠雅の質問に淡々と答えた。

それがしとしては、開国止むなしとしてもなるべく時をかせぎ、オランダより西洋の知見を取り入れて、その上での開国が望ましいと存じます」

「水戸殿は、如何お考えであろうか」

「……水戸殿も、攘夷攘夷と仰せではあるが、その攘夷が易きものでない事は重々おわかりでしょう。その証拠に、先の条約の中身については感心しておられた。もし本当に攘夷を断行すべしと考えて居るならば、然様な事はない。ペリーを斬れと仰せであった時分に比べると、随分と丸くなられた」

 正弘のその言葉に忠雅は少しだけ笑い、続ける。

「ふふふ……然様にございますな。然りとて、真に開国となれば黙ってはおらぬでしょう。伊勢守どのも周りを整えるばかりでは、なかなか上手くいかない面もでてまいりますな」

 忠雅の的をえた答えに、正弘は何も言えなかった。

 和親条約でひとまず諸外国の勢いを受け止める事はできたものの、もはや開国は避けられぬものとなりつつあったのだ。

 ■安政三年三月七日(1856/4/11) 鹿児島城

 薩摩藩では一月に海軍を創設し、小規模ながらもその体を成すようになってきた。もっとも、何をもって海軍とするかであるが、複数以上の戦闘艦艇を所有し、それを継続的に運用可能な組織体だと認識している。

 献上されなかった昇平丸であるが、大砲10門を搭載する、3しょう(マスト)のバーク式帆船である。その他にも江戸で試運転に成功した、蒸気船雲行丸の二隻をもって海軍とした。

「江戸にて雲行丸の試運転はつつがなく終わったのであろう?」

 腹心の市来四郎に斉彬は尋ねる。

「は、江戸より回航せし雲行丸にございますが、鹿児島にて運転したならば、動きはいたしますが、かまの蒸気漏れがあり、思うように力が出せぬとの事にございます」

「然様か。それでは造りし罐が悪いのであろうかの。鹿児島にて修繕が叶わぬのであれば、大村へ運んで修繕せねばなるまい」

 斉彬は地球儀や地図、時計や望遠鏡などの西洋器具が置かれている部屋で、蒸気船の模型を眺めながら言った。

「ガラスは如何じゃ?」

「は、集成館にて研究しておりましたものが、ようやく実を結びそうにございます。年内には大がかりな製造を始められそうです」

 厳しい報告と嬉しい報告、両方を聞きながらさらに斉彬は続ける。

「然様か、であれば薩摩切子を大いに作って売らねばならぬな。わはははは、よいぞ、よいぞ」

 上機嫌である。

「篤は如何しておる?」

「は、公家の教養を身につけるべく、幾島殿について日々学ばれておりまする」

「然様か。苦労をかけるが、この日本の行く末がかかっておるでな。精進せよと伝えるのだ」

「はは」

 心なしか悲しげな斉彬であった。

 ■一月後 大村藩 川棚港

「おい、なんだありゃあ? 和船なのか洋船なのかわからんな」

「それになんだ? 罐はいているのか? 煙は出ているようだが、ちっとも進んでねえじゃねえか」

 大村湾に入ってきた雲行丸を遠目に見ている藩士は、その鈍行さを嘲ったのだ。

「あいた! 何すんだこの野郎!」

 何かで頭を殴られた男は振り返る。

「ほう、このわしを『この野郎』呼ばわりとは……。大村家中にも礼儀がなっておらぬ者がおるのだな」

「こ、これは失礼しました、儀右衛門様」

 二人の藩士は一人は頭をさすりながら、一人は平身低頭で謝った。田中儀右衛門久重、からくり儀右衛門である。

「何もないところからあれだけの物を造るのに、どれだけ心血を注いで来たことであろうか。お主らは出来上がったものを、ただ使うだけであろう。産みの苦しみがわからぬ者が、使いこなせる訳がないであろうが! 今少し敬意を払うのだ」

「申し訳ありませんでした!」

 田中久重は大村藩において初めて、本を参考にして蒸気機関を製造し、洋式の帆船で海軍の一号艦となっていた川棚型に備え付け、実用化までこぎ着けた立役者である。

 その後の蒸気機関開発の指標となったのは間違いない。

「ああ! 儀右衛門様、こちらにいらっしゃいましたか。探しましたぞ」

 そう言いながら駆け寄ってくるのは、薩摩藩士で機関士見習い、海軍兵学校生徒の町田良右衛門である。

「このたびは我が家中の雲行丸の蒸気罐を修繕していただけると聞き、誠に有難うございます」

「なに、一から蒸気罐を造った者同士、助け合わねばと思うたのみじゃ。それに、すでに分かっている事を再び行うことで、新しき学びもあろう」

 そういって久重は、二人の藩士を言い含めるかのように再び見て、良右衛門とともに雲行丸の着岸予定地まで向かうのであった。

 次回 第199話 (仮)『吉田寅次郎、高杉晋作とともに帰郷する』

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