2024-03

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第40話 『捕鯨砲の開発と洋式捕鯨船の建造に向けて』(1840/2/17)

遡ってビンタの翌日 次郎邸「いい? 納豆菌は超強力なんだから! 当日食べたら接近禁止だからね!」「あ、……うん」 次郎はお里の剣幕に驚き、昨日ひっぱたかれたほっぺたをなでる。「里やん、そんな怒らんでも……」 一之進が横からフォローする。「あ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第599話 加賀一向宗、騒乱の幕引き(1574/2/10)

天正三年一月十九日(1574/2/10) 加賀「では三河守殿、どうあっても織田家との|諍《いさか》、弓を伏せて越前討ち入りを取りやめる気にはなりませぬか」 太田和利三郎政直はもう二刻(4時間)も話し込んでいる。それでも七里三河守|頼周《らい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)  この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。 そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入してい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第38話 『椎茸の種駒製造からほだ木まで』(1840/1/2)

天保十年十一月二十八日(1840/1/2) 玖島くしま城下 次郎邸とお里邸「えーっとまず、菌糸を手に入れなくちゃいけないけど、ホームセンターはないよね。ハイハイ……」 お里は次郎から頼まれていた椎茸しいたけ栽培のための準備に余念がない。まず...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。3年前の元亀元...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて

天正二年九月十日(1573/10/5) 安芸日野山城 吉川元春居城「殿、武田大膳大夫様が郎党、曽根九朗右衛門尉様がお見えにございます」「うむ、通すが良い」 日野山城は中世山城でありながら、堀切や竪堀といった一般的な防御施設が見あたらない。地...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。「御免候、こちらに深澤太郎殿はおられる...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策

天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館 信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。「はじめて御意を得ます。織田兵部卿様が...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03)

天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城「その後、唐津の件はいかがあいなった?」「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和ながよし)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余りを...