2024-12

八紘共栄圏を目指して

第795話 『哱拝・ヌルハチ・楊応龍』

文禄二年六月十日(1593/7/8) 寧夏鎮「陛下、明が我が国の独立を認めましたな。これでようやく、民を安んじる事ができ、平穏が訪れるというものです」 哱拝が独立を宣言後に明国の軍勢は撤退したが、和平は成立したものの、いまだ正式に明は寧夏国...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第313話 『技術革新と大老会議』

文久三年六月二十九日(1863年8月13日)  強力な海軍を創る。 その一環として次郎がオランダに発注した2,500トン級鋼鉄艦である『大成』が川棚に到着したのは、去年のちょうど今ごろである。 世界でも最先端の同艦の設計図をもとに、同型艦を...
八紘共栄圏を目指して

第794話 『割譲開始』

文禄二年五月十一日(1593/6/10)  明国から割譲された広州、寧波、天津の3港は、海西地方として肥前国に組み込まれた。総督府は広州である。居住民に関しては向こう2年の間は自由とし、その間に肥前国籍とするか明国籍とするかを選ばせた。「お...
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第312話 『岩倉具視の出世と大哨戒網』

文久三年五月十五日(1863年6月30日)  -発 六位蔵人次郎左衛門 宛 左近衛権少将様(島津久光) 斯様かように短き略式なる書面にて失礼仕り候。 生麦の儀、いまだ解決に至らず候間そうろうあいだ(解決してませんので)、イギリスの出方により...
八紘共栄圏を目指して

第793話 『オスマン帝国の受難』

文禄二年四月十一日(1593/5/11)  「馬鹿な! そのような事があってたまるか! 何かの間違いではないのか?」 当時の大宰相であったカニイェリ・シヤヴシュ・パシャが、コンスタンティノープルの宮殿で報告を聞いたのが5年前の1588年の事...
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第311話 『イギリスの分析』

文久三年五月十一日(1863年6月26日) 「ふむ……」 イギリス東インド・清国艦隊司令官のオーガスタス・レオポルド・キューパー少将は、本国から指令のあった調査報告書を読んで目頭を押さえている。 1.江戸で消費される米その他の食料品の9割は...
八紘共栄圏を目指して

第792話 『賠償金の受取~黄金の雫』

文禄二年三月十日(1593/4/11) 京都 大日本国政庁「これはこれは……まさに圧巻であるな」 大日本国の財務副大臣である羽柴秀吉は、目の前にある66万貫文の永楽通宝を見てあっけに取られていた。肥前国(肥前州)の役人が特別歳入として届けて...
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第310話 『和宮の懐妊と家茂上洛』

文久三年三月二十四日(1863年5月11日)  極秘  1863年3月25日 駐日英国公使館代理公使 エドワード・セント・ジョン・ニール殿 親愛なるニール殿、貴殿より届いた1862年12月20日付の書簡を読んだ首相と私は、大変驚愕きょうがく...
東アジアの風雲

第791話 『条約締結と新しい秩序』

文禄二年二月八日(1593/3/10)諫早城「御苦労様でした、叔父上」 居室でくつろいでいた純正に報告をしている政直であったが、公務以外のときは叔父と甥である。「いやいや、まさかわしがあの明国との交渉にあたるとは……考えもみんかったわい」「...
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第309話 『議会紛糾』

文久三年二月六日(1863年3月24日) 「首相! これは一体どういう事なんでしょうか? 説明をお願いします」 野党である保守党のエドワード・ヘンリー・スタンリーは激しい口調で首相のパーマストンを糾弾した。 エドワードは政府の侵略戦争に反対...
東アジアの風雲

第790話 『降伏交渉、再び』

文禄二年一月七日(1593/2/8)諫早城「これはこれは、寒い中ようこそ来られました。冬の海は厳しゅうございましたでしょう」 肥前国外務大臣の太田和利三郎政直は、明国全権の顧憲成を迎えて言った。 部屋は石炭ストーブで快適な温度に保たれている...
東アジアの風雲

第789話 『東南アジアの国々と万暦帝』

文禄元年十一月四日(1592/12/7) 琉球王国 首里城「肥前国が明に勝ったか……」「予想はしておりましたが、やはり我らの決断は正しかったようです」 伊地親方の言葉に長嶺親方が同意した。伊地親方は事実上の行政のトップとなる三司官であった。...
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第308話 『イギリス本国の外交指針』

文久三年一月二十九日(1863年3月18日) 「晋作よ、松陰先生はああ言ったが、お主の考えは如何いかがなのだ?」 高杉晋作と久坂玄瑞、桂小五郎は城下の料亭で話をしていた。「ん? 僕の考えかい?」 晋作は小五郎の質問を聞いていたのかいないのか...
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第307話 『文久遣欧使節の帰国と朝廷と長州』

文久二年十二月十一日(1863年1月30日) 川棚港「兄上! あれっきりと申し上げましたよね! 弘化四年の砌みぎり、人は宝だと仰せになって、某それがしに全国行脚を命じられました。これが最後だと! 某は信之介様のもとで学びたいと!」 そう言っ...
東アジアの風雲

第788話 『和平ではなく降伏の使者であろう?』

天正二十一年九月三十日(1592/11/4) 諫早城「なに? 和平ですと? 降伏の間違いではないのか、御使者どの」 明国から終戦の使者として礼部尚書の顧憲成が肥前国を訪れ、外務大臣の太田和利三郎政直(63歳)と面会したときの政直の第一声であ...
東アジアの風雲

第787話 『激昂』

天正二十一年七月二十三(1592/8/30) 紫禁城 前回、顧憲成が朝鮮出兵の上書を上げたときは運が良かった。 皇帝が朝議に出席しないため、臣下は朝議で決まったことを報告して裁可を仰ぐことになる。それも宦官かんがんが代わりに行うので、自らに...
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第306話 『第一回大老院と薩摩』

文久二年十二月九日(1863年1月28日) 江戸城 現在でいう組閣が行われ、政事総裁職に松平春嶽、将軍後見職に一橋慶喜が選出された。 ・筆頭大老は安藤信正(まとめ役) ・大老衆は島津忠義、毛利敬親、山内容堂、伊達慶邦、前田斉泰(5名) ・老...
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第305話 『人事は尽くしたので、他にやるべき事をやる』

文久二年十一月二十日(1863年1月9日) 肥前大村 生麦事件が歴史通りに発生し、その対応に忙しかった次郎ではあるが、大村藩内ではさらなる技術革新が行われていた。 パーシー・ホッグを救えなかった事実に苦悩する一之進ではあったが、愛弟子の長与...
東アジアの風雲

第786話 『大明出師と港湾封鎖、その後』

天正二十一年六月五日(1592/7/23) 鴨緑江において肥前国陸軍による明軍相手の掃討戦が終わり、朝鮮軍への引き継ぎが行われていたころ、海上では港湾封鎖が執拗しつように行われていた。「うむ……これで良し、と」 海軍総司令の深沢義太夫勝行は...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第304話 『公式記者会見』

文久二年十月二十九日(1862年12月20日) 神奈川奉行所 「Well, first of all, thank you all for taking time out of your busy schedules to join us....
東アジアの風雲

第785話 『掃討戦』

天正二十一年三月十四日(1592/4/25)「勝ったか……」  丙路の戦いは肥前国軍の圧勝に終わった。 2万の明軍は壊滅し、生き残った者たちは敗走した。森や谷底、死体の中に身を潜めて追撃から逃れようともがいたが、わずかな物音さえ死の宣告に思...
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第303話 『ジョン・ラッセルとパーマストン』

文久二年十月二十八日(1862年12月19日) イギリス 極秘 1862年9月10日 ラッセル外務大臣閣下 横浜より、憂慮すべき事件についてご報告申し上げます。去る8月26日、生麦村において、上海の貿易商であるC.L.リチャードソン氏を含む...
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第302話 『厚顔無恥と知らぬ存ぜぬ』

文久二年十月二十八日(1862年12月19日) 横浜 イギリス公使館 <エドワード・セント・ジョン・ニール> どうする? どうする? どうする? 上海からの当事者始末の報告とその信憑性の疑わしさ。もし生きていれば、狙われた事を恨んで証言をす...
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第301話 『対面と交渉』 

文久二年十月二十七日(1862年12月18日) 横浜 上海から済生丸が横浜に寄港して1か月半がたったが、パーシーの葬儀はごく小規模に執り行われた。プロテスタント教徒であったために、オランダ人居留地より牧師を呼び、キリスト教式で行われたのだ。...
東アジアの風雲

第784話 『2万対3千』

天正二十一年三月十三日(1592/4/24)  明軍丙路 丙路を通る楊鎬ようこう軍は決戦を前に十分な休息をとり、隘路あいろを白雲へ向けて進軍中であった。「副官、では策の通りにいたそう」「承知しました」 当初、昨日の作戦会議では隘路を一点突破...
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第300話 『状況急変』

文久二年九月五日(1862年10月27日) 長崎 -発 次郎 宛 一之進 重畳、患者の容態を優先し、横浜で回復の後、協力を願う- 長崎へ到着した済世丸は医療物資の補給を行い、出港した。 横浜を目指し、患者を診療所に移した後に完全に回復させ、...
東アジアの風雲

第783話 『乙軍大将祖承訓の決断』 

天正二十一年三月十三日(1592/4/24)  泰川郡北部 甲軍が隘路あいろを突破したという知らせは、乙・丙へい両軍には伝わらなかった。甲路と乙路の間、現地点間の距離は13kmもあったからだ。部隊間の連携など、最初から明軍の作戦には入ってい...
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第299話 『帰途』

文久二年九月二日(1862年10月24日) 上海沖「もうちっと居たかった気もするが、仕方ねえか」「晋作さん、仕方ないですよ。御家老様と御公儀からの命となれば、逆らえません」「そうか……僕にとっては狭い日本より随分と暮らしやすいと思うのだが…...
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第782話 『血染めの隘路』

天正二十一年三月十三日(1592/4/24)   暁と共に、3つの狭間で両軍の激突が始まった。  史憲誠にとって、この甲軍隘路の地形が極めて危険な戦場となることは明白だった。そこで彼は夜明けと同時に先鋒部隊を派遣し、慎重な姿勢を保ちながら前...
東アジアの風雲

第781話 『決戦前夜』

天正二十一年三月十二日(1592/4/23)  竜岩浦 西部軍団「さて、では我らも北上するとしようか」 敵である明軍の補給物資を接収し、補給部隊の再編も終わった島津義弘が号令を発した。竜岩浦から明軍の本隊がある義州府までは約45km、2日な...
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第298話 『埠頭の攻防とそれぞれの思惑』

文久二年九月一日(1862年10月23日) 夜 上海 埠頭ふとう「rukko! eh log chor nahin! (待て! ちょっと! 人たち、あれ、犯人、違う!)」「おお晋九郎! 遅いぞ! 何やってたんだ!」 息を切らしながら説明して...
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第297話 『謎の男、その正体と目的』

文久二年九月一日(1862年10月23日) 夜 上海 埠頭ふとう バシャ! バシャ! バシャ! 「おいおいおい……こりゃあ御家老様が襲われた時よりひどいじゃないか」 騒ぎが収まるまで待っていたのだろう。 銃声がやみ、清国人(紅幇ほんぱん)数...
東アジアの風雲

第780話 『隘路』

天正二十一年三月九日(1592/4/20)  鴨緑江沖「敵兵の収容が終わりました。生存者は751名です。兵糧は……40万貫(約1,500トン)ほどとなりそうですが、弾薬は……」「ご苦労、もう良い。赤崎長官、如何いかがいたす?」「兵糧に関して...
東アジアの風雲

第779話 『決死の行軍と鴨緑江沖海戦』

天正二十一年三月八日(1592/4/19)  義州府 義州府の楊鎬ようこうの本隊のもとに、敗残兵を引き連れた沈有容が到着した。兵数は1万。焦燥しきった沈有容の姿は下流域での敵の攻撃のすさまじさと、被害の大きさを物語っている。「よくぞ戻った」...
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第296話 『租界潜入』

文久二年九月一日(1862年10月23日) 上海 イギリス公使館「失礼します」 明らかにそれと分かる風貌の男が、公使館内でパークスの部屋のドアを叩いて入り、開口一番に告げた。イギリス租界一円を管轄している警察署の署長である。 すでに捜索開始...
東アジアの風雲

第778話 『撤退の代償』

天正二十一年三月五日(1592/4/16)  鴨緑江東岸 山中  悪夢のような砲撃から逃れ、夜通し走り続けてようやく夜が明けた。 渡河地点より上流にある砲撃の届かない山中に退避してきた沈有容しんゆうようは、深い疲労感に襲われていた。辺り一面...
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第295話 『イギリス租界と2人の行方』

文久二年八月二十一日(1862年9月14日) 肥前 川棚港「なんじゃこのどでかい船は……平三、本当にこれで間違いないのか?」「はい、これで間違いございません」 男は使用人の男に聞いた。 乗る予定の船は、聞いていた普通の客船ではなかったのだ。...
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第777話 『背水の陣、鴨緑江』

天正二十一年三月四日(1592/4/15)  鴨緑江沖 晴れ 鴨緑江河口に轟音ごうおんが響き渡る。黒煙を噴き上げる出雲をはじめとする肥前国第一艦隊から、次々と砲弾が放たれたのだ。その光景は李舜臣の目に焼き付いた。「これは……まるで雷神の怒り...
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第294話 『交渉開始とイギリスの魔の手』

文久二年八月十九日(1862年9月12日) |玉蘭閣《ぎょくらんかく》「なるほど。で、イギリス人の旅行客が巡撫じゅんぶだか知府だかの……ああ、大名って言うんだったか。その行列を遮って進もうとして、その2人が銃を撃ち、他のイギリス人が無礼を働...
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第776話 『海軍と朝鮮水軍と李舜臣』 

天正二十一年三月一日(1592/4/12)  漢陽(ソウル)外港 済物浦(仁川) 灰色の空の下、済物浦付近は異様な緊張感に包まれていた。 静かに波音を立てる水面に、大小様々な船がひしめき合っている。その中心に鎮座する巨大な黒い船体。煙突から...
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第293話 『青幇と黄金栄』

文久二年八月十九日(1862年9月12日) 玉蘭閣ぎょくらんかく 晋作とその一行は重厚な扉を押し開け、『玉蘭閣』の中へと足を踏み入れる。 そこは豪華絢爛けんらんな装飾と、妖艶な雰囲気に満ちた別世界だった。華やかな衣装をまとった人々が行き交い...
『転生した以上、幼馴染+αと美少女ハーレムをつくってイチャラブ学園生活を送ると決心したオレ』

第60話 『3年生を送る会』

1986年(昭和61年)3月10日(月) 体育館はリハーサルで盛り上がっている。 柔らかな日差しが体育館の窓から差し込んでいる中、悠真と礼子がペアを組んで3年生を送る会の出し物の練習をしている様子に、周りの視線が自然と集まっていた。「じゃ、...
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第292話 『フランス租界と青幇』

文久二年八月十九日(1862年9月12日) ホテル『宏記洋行』 夕方 「おい! 晋作は何処いずこだ! まったくあいつは読めん! 何をしているのだ?」「申し訳ありません。昼まではいたのですが、ちょっと目を離した隙にまかれました……」 中牟田倉...
東アジアの風雲

第775話 『肥明戦争』

天正二十一年二月二十四日(1592/4/6)  鴨緑江東岸 「申し上げます! 観測班より伝令、敵に動きあり! 敵、渡河する模様にございます」「ふむ、やはりこれを狙っておったか」 現場は夜半から小雨が降っており、視界は悪くないものの、4月にし...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第42話 『偽りの日常』

2024年11月26日(水)SPRO 槍太拉致事件から一週間後のSPRO東京本部は、表面上は普段と変わらぬ活気に満ちていた。職員たちはそれぞれの持ち場で業務をこなし、廊下では談笑する声も聞こえる。 しかし修一は、その平穏さの裏に潜む異様な緊...
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第291話 『上海租界とリボルバー』 

文久二年八月十八日(1862年9月11日) 上海 フランス租界 ホテル『宏記洋行』  部屋には佐賀藩の中牟田倉之助、薩摩藩の五代友厚、そして大村藩士の峰源助がいた。彼らは皆、晋作と同じく通商のために上海に来ていた同志である。「おお、晋作君か...
東アジアの風雲

第774話 『朝鮮出兵-3-鴨緑江の対峙』

天正二十一年二月十八日(1592/3/31) 朝鮮・明国国境 鴨緑江「申し上げます! 敵日本軍、鴨緑江の対岸に陣をはり、待ち構えております!」 明軍の総大将である楊鎬ようこうは斥候の報告を聞いて考え込む。 軍は鴨緑江の西岸から数キロ離れた地...
東アジアの風雲

第773話 『朝鮮出兵-2-海軍と紫禁城』

天正二十年五月十三日(1591/7/3) 諫早城「待ってました!」 勝行はそう言って対明国海軍の構想を話し出した。 朝鮮半島から明国沿岸、そして日本列島までが描かれた東シナ海の地図の前で説明をするが、その地図は鴨緑江を境に精度が大きく変わっ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第290話 『生麦事件交渉-5-10万ポンドの要求』

文久二年八月十八日(1862年9月11日)  日本側とイギリス側の会談は連日にわたって続き、ついにニールは上海租界における捜査協力を認めるに至った。 今回のニールの目的は、100対0の勝利でなくともイギリス優位で交渉を進め、賠償金を勝ち取り...
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第289話 『生麦事件交渉-4-交渉の糸口』

文久二年八月十三日(1862年9月6日)  ■川棚 AM6:00「機関は問題なし、よし、出港するぞ!」 ■横浜「え? 勘弁してくださいよ。今からすぐなんて無理ですよ。今何時だと思ってるんですか? それに今から準備できたとしても12時ですよ」...