第216話 『江戸出府と将軍継嗣問題』

 安政四年十一月九日(1857/12/24) 

 下田、箱館、長崎を開港地としてアメリカ人を居住させ、長崎において限定的な交易を行うという成果をあげたハリスの残りの目的は、江戸へ出府して将軍家定と謁見し、大統領の親書を渡す事であった。

「太田和殿、本当にこれで良かったのでしょうか」

然様さよう。頭では得心しておりますが、やはり異国の者が江戸に向かうなど……」

「御二方のご懸念はごもっともなれど、全ては何を当て所(目的・着地点)といたすかにございます」

 交渉を終えて日米追加条約を結んだ井上信濃守清直と中村出羽守時万ときつむの顔は、大役を無事果たしたという達成感と同時に不安感があったのだ。

 ※ここでいう追加条約は史実と違い、レートは現行で保留(和親・下田附録)とし、領事裁判権はないが、長崎での管理貿易を許可。その他は史実に準拠。

「鎖国、これはすでになし得ぬ事と御二方ともお考えでしょう。ならば開国も止むなしにございますが、問題は如何いかに開国するかにございます。これまで二百五十年以上外国との付き合いは、朝鮮、清、琉球と、そして和蘭のみにございました」

 次郎はそう言って続ける。

「ついこの間まで和蘭ですら通商国ではあるが、正式な国交のある通信国ではなかったのです。いわんや港を開き通商を行い、国交を樹立するなど、様々な障り(障害・問題)をお考えかと存じます。れどなさねばなりませぬ。此度こたびは水戸の権中納言様(徳川斉昭)は大層反対なされたと聞きおよびますが、要人の警護、これを第一に考え警備の仕組みを整え、なんら障りなく出府を終わらせる事が肝要かと存じます」

 次郎は自分と純顕すみあき、そして利純が襲われた事を暗に示して、襲撃の危険性を訴えたのだ。

「分かり申した。それについては我らのお役目ではござらぬが、然る筋にしかと伝え、万難を排して執り行えるよう、尽力いたしましょう」

「お願いいたします」




 結果、ハリスは江戸へ出府し、将軍家定と謁見する事となる。幕府は街道に通行規制を敷き、一般人の通行を制限したが、ハリスが江戸に着く頃には、多くの群衆が米国総領事の到着を一目見ようと集まっていた。

 そしてこの一連の流れは、ペリーの来航からすでに4年が経過していたが、幕府より詳しく次郎によって岩倉具視を通じて、関白鷹司政通はもとより孝明天皇へと知らされていた。




 ■京都 岩倉邸

「おおお、次郎さん。もうすっかり具合もよくならしゃって、以前と変わりあらしゃいませんな」

「ええ、おかげさまで」

 次郎はそういって岩倉具視に返事をする。条約に関してもそうだが、極端な外国嫌いであった孝明天皇を開国派にして、無駄な争いを避けようというのが次郎のそもそもの目的であった。

 ※即位より前から接点を持っていたので、外国嫌いになるまえに、外国好き、少なくともプラマイゼロの状態になっている。

 鷹司政通はいかにもお公家! という感じで、反対に岩倉具視はおよそ公家らしい雰囲気などない、破天荒な人物である。

「時に次郎さん、米利堅やエゲレス、魯西亜や仏蘭西と条約を、ああ和蘭ともそうですが、結んだおりの事、公儀からの報せではまったく次郎さんの名前を聞きませぬが、これは一体どういう事であらしゃいますか」

「ははは、そうでしょうそうでしょう。確かに某は見聞役として交渉に同席しましたが、御公儀にしてみれば、ただの見聞役。それ以上でもそれ以下でもございませぬ。また、内裏にてそれがしを含めたわが家中が、ここまで昵懇じっこんにいたしているとも、ご存じないのでしょう」

「なんと」

「しかしてこの次郎左衛門が、条約の中身に関して誤りを正し、日本に害なす条文を変えさせたなど、日本の政を司る御公儀にしてみれば、如何に書面の上とて、書くわけにはいかぬのでしょう。某はまったく気にはしておりませんが、岩倉様に然様にご心配いただき、光栄の至りにございます」

 次郎はそう言ってへり下った。

「次郎さん、そなたがこの朝廷のため貧しい公家のため、お上のため、日本のために行っている事はこの岩倉、感謝に堪えぬ。此度の病院を設ける事についても、九条様の事を案じての事であろうこと、真に有り難く思う。それ故そなたを疎んじる者もおるかもしれぬが、どうか、どうか体だけは、大事にいたすのじゃぞ」

「有り難きお言葉、もったいのうございます。近々御公儀は、各国と通商を結ぶ事となりましょう。その際には勅許をいただけるよう使者が来るかと存じます。どうか、関白さまを通じて天子様に勅を賜りますよう、お願い申し上げます」

「うむ、安心いたすがよい。麻呂は無論の事、関白様もお上も、そなたの行いには全幅の信をおいてあらしゃいまする。心配にはおよばぬぞよ」

「有り難き幸せに存じます」




 ■大村藩庁

「して殿、此度は如何なる御用向きにございましょうか」

 登城した次郎を待っていたのは、上座に座る藩主の純顕と、次郎からむかって右手には弟の利純がいた。

「修理がいて驚いた様だな。まあ、深い意味はない。此度の事があってなおさら修理には藩政に加わってもらわねばならぬと思うたまでじゃ」

 此度の事とは、もちろん襲撃事件の事である。

 幕府の調べと同様に大村藩でも調査を行っていたが、どうやら水戸を脱藩した浪士と江戸の商人、そして幕府の、もしくは親しい者の関与が疑われたが、証拠不十分で確定していなかったのだ。

 大村藩はそう目星をつけていたが、幕府からは明確な答えがなかった。親幕府と思われていた利純であったが、幕府と大村藩の捜査に対する熱の入れ方の違いに、若干の違和感を感じていたのは確かである。

 次郎の考えに反対はしなくても、公儀こそは……と考えていた利純の思想に、変化が表れていたのだ。

「は、然様な事は……某ごときが口を挟む事ではございませぬ」

 それを聞いて純顕は『ははは』と笑うが、利純も笑顔を見せて言う。

「次郎よ、わしは異国の事や兄上とそなたがやって来た事には疎い故、これからよろしく頼むぞ」

「はは、身命を賭して」

 なごやかな雰囲気の中、純顕が言葉を発した。

「次郎、これを如何に思う?」

 次郎は渡された2通の書状を読んで、ふむう、とうなり、しばらく思考を巡らせた。差出人の1通は薩摩藩主島津斉彬であり、もう1通は高松藩主、松平讃岐守頼胤よりたねからであった。

 内容は2通とも、現在の将軍家定が病弱で言動も定かではない(脳性麻痺まひとも言われている)ため、後継者を立てなければならないというものである。

 将軍の意向を差し置いての後継者争いに利純は顔色を悪くしたが、斉彬は水戸の徳川斉昭の子である慶喜を、頼胤よりたねは紀州の徳川慶福を推すものであった。

 両者とも、丹後守純顕、そしてその後ろにいる次郎の加勢を願う内容に他ならない。

「公方様がご存命であるにもかかわらず、斯様かような内容の文を書いて寄越すとは……。確かに世情は混迷を極めている。然れば分からなくもないが、いささか得心いかぬ」

 やはり、利純は不機嫌である。次郎は静かに息を吐き、目を閉じて思考を整理した。ゆっくりとまぶたを開け、純顕と利純の表情を慎重にうかがいながら、口を開く。

「殿、これは誠に難しい選択を迫られる事態でございますな」

 純顕はうなずく。

「然様。何方いずかたを選んでも、何方かの恨みを買うことになる」

「いえ、それだけではございません。確かに、何方かを推せば、もう一方の恨みを買うことは避けられません。然れどそれ以上に懸念すべきは、我が家中がこの争いに深く関与することの是非でございます」

 次郎は慎重に言葉を選びながら続けた。

「如何なる意味だ?」

 次郎は2人の顔を見比べながら説明を続ける。

只今ただいまの事様(状況)を鑑みますに、公方様後継の問題は単なる公儀の中の問題ではなく、国を二分する大きな争いになりかねません。我が家中が早々にどちらかにつくことは、将来に大きな名残(影響)を及ぼす恐れがございます」

「ほう、それで?」

「私見ではございますが、只今は、いずれを推すとは明言せず、情勢を見守るのが得策かと存じます。然すれば両陣営との関わりを保ちつつ、家中の安全を図ることが能うと存じます」

「然れど、然様な曖昧な態度は、かえって両方から不信を買うことにならぬか?」

 利純は次郎に質問する。もっともな質問だ。

「然に候わず(違います)。南紀派の首魁しゅかいは井伊掃部頭様(井伊直弼)にございますが、これは掃部頭様みずからの文ではございませぬ。すなわち、南紀派の中にも我らを要すと思う者、思わぬ者がいると言う事。加えて、差出人の讃岐守様は水戸の後見をなさっておいでだったお方、言わば本家に弓引くような行いにござる。いずれも一心同体とは言い切れませぬ故、ここは静観の一択にございます」

「うべなるかな(なるほど)」

 利純がそういって頷くと、純顕が続く。

「さすが次郎であるな。では、此の件は何方にも丁重にお断りをするといたそう」

「はは」




 大村藩は、将軍後継には今のところ、ノータッチだ。




 次回 第217話 (仮)『長崎亜墨利加商館と管理貿易と九州の情勢』

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