第432話 負の連鎖を断つとき

波乱必至!非難囂々!侃々諤々の十ヶ国首脳会談(G10)③負の連鎖を断つとき 第2.5次信長包囲網と迫り来る陰
波乱必至!非難囂々!侃々諤々の十ヶ国首脳会談(G10)③負の連鎖を断つとき

 元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城

 宇喜多家と宇喜多直家をどうしたいのか? 

 純正の問いに三村元親は即答できない。父を殺した憎き敵が目の前にいるのだ。どんな形でも良いから仇を討ちたいはずなのに、なぜか答えられない。

「それは……」

 一同が固唾をのんで見守るが、続かない。

「修理進殿、なにも敵と対峙しておるわけではないのです。言った中身で、これからのわれらの付き合いが変わるわけでもない。忌憚のない考えを聞かせてください」。

 純正は別に言質を取ろうとしていた訳ではない。ただ純粋に、元親(三村元親)の本音が聞きたかったのだ。しかし、出てこない。

「……修理進殿。何も言わないという事は、何も望まないという事になるが、そうなのですか?」

「な! それは! そうでは、ありませぬ。確かに、殺したいほど憎んでおります。しかしいざ、どうしたいのかと問われると、無論仇は討ちたいのです。しかし……」

 再び場に静寂が訪れるが、純正の発言で変わった。

「言わんとしている事はわかりました。親の仇だなんだと申して、その実は、仇を討ったとしても何も変わらぬ。死んだ父親は帰ってこない、そう考えているのではありませんか?」

 元親はじっと純正の顔を見る。無言だ。

 うまく言葉に出来ない自分の心中を年下の純正に言い当てられ、当たらずとも遠からずという感じである。元親は26歳だ。

「これは宇喜多家と三村家の事だけではありませぬ。ここにいるみんな、いや、この戦国の世に生きている全ての者に、言えるのではないでしょうか」

 なんだか青臭い理想論を語っている様に見えるが、純正の現代人としての、根源的な部分なのである。みんながよりそって仲良くなれば、戦国時代なんて起きないのだ。

 もちろん、理想と現実は違う事を、純正自身がこの9年で思い知っている。それに、現代でさえ、解決されていない。

「御屋形様、ひとつ、よろしいでしょうか」

 発言を求めたのは、四国総督にして、小佐々家の扶持持ち大名の筆頭とも言える大友宗麟である。官位は正四位下で純正と同じであり、まだ九州探題ではあるが、六ヶ国守護は辞任している。

「おお宗麟殿、かまわぬぞ」

 かつては北九州に覇を唱え、九州の王とまで言われた男の発言は大きい。誰もが一目置いている。

「修理進殿、大友左衛門督にござる。わしは、わしは……父上に疎まれておった。今となってはその理由はわからぬが、廃嫡されようとしたのだ」

 全員が宗麟の話に耳を傾ける。

「家中がわしを推す者達と、庶子である塩市丸を推す者達とに分かれ、ついには殺し合いにまでなった。襲撃を恐れたわしを推す者達は、父と塩市丸、そしてその生母を襲ったのじゃ」

 世に言う二階崩れの変である。義鑑はその数日後に亡くなっているが、襲撃した者も壮絶な死を遂げた。

「わしは家督をついだが、ついぞ長い間家中のしこりは取れなんだ。そして三年後、一族の庶流であった一萬田の討伐を、家臣の諫めも聞かず強行したのだ」

 さらに、と宗麟は続ける。

「ついで永禄のはじめ頃、ささいな諍いが元で、一族の庶流である立花鑑光を誅殺した。その結果どうなったと思う? 御屋形様、筑前の仕置きの儀、無礼を承知ではばからずに話してもよろしいか?」

「よい、許す」

「立花は養子の鑑載が、高橋は弟の鑑種がついだが、両家とも筑前にあって大友の要となる家門だったのだ。それが、いっせいに背いた。秋月、原田、宗像を巻き込んだ大乱となったのだ」

 思えば純正も、事の経緯をもう一方の当事者から聞いた事はない。

「鎮めるのに一年以上かかり、その間わしは、筑後の衆にも重き軍役を課し、尖兵として使ったのだ」

 宗麟はほんの数年前だというのに、まるで遠い昔の話をするかのように、続ける。

「結局われら単独では鎮められず、御屋形様、当時はわしが立場は上だったゆえ呼び捨てにしておったが、御屋形様が筑前を話し合いで鎮めたのだ」

 会場がどよめく。

「わしはまんまとやられた、と思った。筑前は小佐々家の支配下になったのだ。事前に取り決めた起請文があるゆえ、反故にはできぬ。そして筑後といえば……」

 若手、いわゆる純正より年下の三人は目を輝かせている。

「いっせいに純正、いや、申し訳ございませぬ御屋形様」

「よい」
 
 純正は笑顔だ。

「御屋形様に恭順の意を示し、こぞって服属したのだ。わしは怒り狂った。しかし、冷静に考えてみれば身から出た錆なのだ。恨みは恨みしか生まぬ。そしてそれは、力の衰えを早めたのだ」

 その先の話は、いかにして大友家が斜陽となり、小佐々の傘下に入って命脈を保ち、いままた家中で存在感を現しているかという流れになった。

「おのおの方、よろしいか。恨みの連なった鎖は、いずこかで断たねばならない。それがどちらの側かというだけの違いだ。それを肝に銘じて会議を進めていきたいと思う」。

 元親はイエスでもノーでもないような顔をしているが、一時の直家をなじった時の顔では、もうない。

「元はと言えば、毛利家が備中や美作に兵を起こして進んだせいであろう? いや、これは毛利家を悪く言っているのではない。どこまでが良くて、その先は悪いなど、誰にもわからぬ」

 つまり純正は、毛利には毛利なりの、自己防衛のための名分があったという事を言いたかったのだ。そして西日本では、史実で言う秀吉が行った『惣無事令』をやろうとしている。

「では右衛門尉殿、児島の本庄はよろしいか」

「は、異論ございませぬ」

「ということだ、修理進殿」

「……? どういう事にござるか?」

「聞いての通り、児島郡は以前の通り、三村家の所領となるという事じゃ」

 いかに血を流さず、禍根を残さずに解決するか? 交渉開始である。

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