永禄十二年 十月二十二日 諫早城 巳の一つ刻(0900)
「事の発端は、殿が手押しポンプなるものの製作を命じられ、完成したときからでした」
諫早城から小佐々城より少し先、天久保村にある工部省の開発工房へ向かう馬車の中で、忠右衛門は話しはじめた。
「できあがった時は妖術の類かと驚き、恐れたものでしたが、それがしも技術者の端くれ、なぜ水が汲み上がるのか、ずうっと考えておりました」
え? なにそれ、蒸気機関と関係あるのか? 確か、あれは……いつだ? 五、六年前の永禄六年の七月だったか。マカオからの文献で試作改良したんだった。
純正の頭の中はクエスチョンマークの羅列である。広く、浅い。それが歴史以外の純正の頭の中である。
産業史や科学史という分類があって、そっちの知識でもあれば理解できたのだろうが、あいにく純正の歴史知識は戦史に特化しているのだ。他の歴史は本当に広く浅い。
蒸気機関を語るのに、気圧の問題は避けて通れない。後で科学をもっと勉強していればよかったと後悔するのだが、今そんなことを言っても仕方がない。忠右衛門の話の続きを聞く。
「物というものはすべて、なんでも、何らかの力が加わって動くものです」
そう言って手を座席の綿に押し付けへこませる。
「ですからポンプが水を汲み上げる時に、なんらかの力が加わって、目には見えませんので、空気の重さで……と、空気とはこの浮かんでいる目に見えない気のようなものですが、空気には重さがあるのです。それは……」
目の前の何もない空中で、身振り手振りで空気を表現しようとする。非常に長くなるので、うん、重さがあるのはわかった、と話を先に進めさせた。
空気の重さ、いわゆる気圧の事を言っているのだろうが、普通が1気圧で、物体すべてにかかっている、という事くらいしか知らない。
本当はじっくり話を聞いてあげたいが、時間がない。
「ああ、それで空気に重さがあって、その重さで水が押し上げられるのでは? と考えたのです」
うむ、と純正は答えた。
「ただ、そこでそれがしには、もう一つの疑問が生じたのです」
「なんだ?」
「はい、このポンプですが、最初は海辺の塩田の塩場で使っておりました。海の水を汲み上げて使うためです。そして次第に金や銀の鉱山でも使われました。溜まっていく水を汲み出すのに使ったのです」。
うむ、とうなずきつつも、これは話が長くなるぞ、と純正は覚悟した。
「しかし、いつだったか忘れましたが、鉱山管理者から報告があったのです。内容は、五間(9.1m)を超えたあたりから水が汲み上がらない、との事」
覚悟を決めた純正はしっかりと聞く。ここは科学の復習だと思うようにした。しかしこれ、どっかで聞いたことなかったか?
「大串だけではなく、波佐見の鉱山からもありました。あちこちから同じ報告があったのです」。
弟子である源五郎は、黙ってうなずきながら待機している。
「これは、場所や種類に関係ないと考え、やはり水の重さで下に押す力と、空気の圧力で上に押す力が同じ高さまでしか『ぽんぷ』は汲み上げられない事の証拠だと考えたのです」
忠右衛門はまた身振り手振りで教えようとする。大気圧の概念がある純正は、専門知識はないものの、理解できる。
「そこでそれを実証しようと思い、五間(9.1m)の柱をつくって実験したのですが、安定しないので観察がしずらく、細部に渡って観察することが難しかったのです」
純正は鉱山に行ってやれば? と言おうとしたが、暗くて狭いし邪魔になるだろうから、無理だな、とすぐに諦めた。
「もっと短い長さで観察をしやすく出来ないかと考え、試行錯誤を繰り返し、水のかわりに水銀を使えば、一間ほどの長さでも十分に観察できることが判明したのです」
手押しポンプの開発の一年後くらいに温度計が完成し、同時に水の温度計の代わりに水銀を使っては? というちょっとした技術論争があったのだった。
純正は水銀=有毒だと思っていたが、少量なら問題ないと思い出し、利用研究を許可したのを覚えている。
「ちょっと待て」
純正は、こいつらなにげにすげー事やってんじゃね? と思い始めてきた。
今は永禄十二年で1569年だ。確かガリレオ・ガリレイだって、5歳なのだ。いやいやヨハネス・ケプラーにいたっては生まれていないんだぞ? コペルニクスの後くらいじゃないか?
ボローニャ大学やパドヴァ大学から、留学生が純アルメイダ大学に来る日が来るかもしれない。やばくね?
「よろしいですか?」
「あ、うん、すまん、続けて」
「そうして実験を続けた結果、二尺五寸の長さで水銀が止まったのです。そしてその上には、なにもない、すなわち真空ができたのです」
うわー、やっちゃったよ。なんかわからんけど、ものすごい場面に遭遇している気がする。
「殿、真空とは……」
「ああ、いやいい。なんにもない空間ね、空間。それで?」
「はい、これは山を登って実証もしました。しかし登れば登るほど、水銀を押し上げる力が弱くなるのです」
「ああ、気圧の低下ね」
「は?」
「いや、なんでもないない、続けて」
「これは空気の重さが軽くなっていると考えます。押さえつける力が弱まっているという証拠です。これは……直接的には蒸気機関にかかわりませんが、重大な発見のような気がするのです」
はい、その通りです。間違いなく重大、とんでもない大発見です。
「そんな事はない。科学というものは、発明にしても何がどこで繋がっているかわからぬものだ。励めよ」。
「はあ、ありがとうございます。そして、ここから先は息子から報告がございます」
ちょうどそのころ、諫早を出発して一刻半(3時間)たった頃に小佐々城についた。天久保まではまだしばらくだが、下車して昼食をとることにしたのだ。
「忠右衛門に源五郎、朝は食べたのか?」
二人して顔を見合わせている。
「まさか、食べてないとか言うなよ。駄目だぞ、ちゃんと食べないと。ヒラメキも脳がちゃんと働かないといけないんだ。一緒に食べよう」。
脳? と聞きかえす二人に、ああごめん気にするな……とモゴモゴした。ダメだ科学の話聞いたらポロッとでた。
注意しなければ、と思いつつ、軽く三人でうどんを食べ、少し休んでから天久保の開発工房へ向かった。小佐々城から天久保までは四里(16km)ほど、半刻(1時間)もかからない。
工部省技術開発研究所(略して工技研)につくと、部屋ではなく場外試験場へ案内された。
そこには真ん中に直径7~80センチの青銅製の半球が2つくっついたものがあり、その両端に馬が8頭ずつ、合計16頭繋がれていた。
なんじゃこりゃ? それが純正の感想である。蒸気機関は? 目の前にあるよくわからない装置に目を奪われた。
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