第357話 手押しポンプと水銀とトリチェリと忠右衛門

西国の動乱、まだ止まぬ
トリチェリ

 永禄十二年 十月二十二日 諫早城 巳の一つ刻(0900)

「事の発端は、殿が手押しポンプなるものの製作を命じられ、完成したときからでした」

 諫早城から小佐々城より少し先、天久保村にある工部省の開発工房へ向かう馬車の中で、忠右衛門は話しはじめた。

「できあがった時は妖術の類かと驚き、恐れたものでしたが、それがしも技術者の端くれ、なぜ水が汲み上がるのか、ずうっと考えておりました」

 え? なにそれ、蒸気機関と関係あるのか? 確か、あれは……いつだ? 五、六年前の永禄六年の七月だったか。マカオからの文献で試作改良したんだった。

 純正の頭の中はクエスチョンマークの羅列である。広く、浅い。それが歴史以外の純正の頭の中である。

 産業史や科学史という分類があって、そっちの知識でもあれば理解できたのだろうが、あいにく純正の歴史知識は戦史に特化しているのだ。他の歴史は本当に広く浅い。

 蒸気機関を語るのに、気圧の問題は避けて通れない。後で科学をもっと勉強していればよかったと後悔するのだが、今そんなことを言っても仕方がない。忠右衛門の話の続きを聞く。

「物というものはすべて、なんでも、何らかの力が加わって動くものです」

 そう言って手を座席の綿に押し付けへこませる。

「ですからポンプが水を汲み上げる時に、なんらかの力が加わって、目には見えませんので、空気の重さで……と、空気とはこの浮かんでいる目に見えない気のようなものですが、空気には重さがあるのです。それは……」

 目の前の何もない空中で、身振り手振りで空気を表現しようとする。非常に長くなるので、うん、重さがあるのはわかった、と話を先に進めさせた。

 空気の重さ、いわゆる気圧の事を言っているのだろうが、普通が1気圧で、物体すべてにかかっている、という事くらいしか知らない。

 本当はじっくり話を聞いてあげたいが、時間がない。

「ああ、それで空気に重さがあって、その重さで水が押し上げられるのでは? と考えたのです」

 うむ、と純正は答えた。

「ただ、そこでそれがしには、もう一つの疑問が生じたのです」

「なんだ?」

「はい、このポンプですが、最初は海辺の塩田の塩場で使っておりました。海の水を汲み上げて使うためです。そして次第に金や銀の鉱山でも使われました。溜まっていく水を汲み出すのに使ったのです」。

 うむ、とうなずきつつも、これは話が長くなるぞ、と純正は覚悟した。

「しかし、いつだったか忘れましたが、鉱山管理者から報告があったのです。内容は、五間(9.1m)を超えたあたりから水が汲み上がらない、との事」

 覚悟を決めた純正はしっかりと聞く。ここは科学の復習だと思うようにした。しかしこれ、どっかで聞いたことなかったか?

「大串だけではなく、波佐見の鉱山からもありました。あちこちから同じ報告があったのです」。

 弟子である源五郎は、黙ってうなずきながら待機している。
 
 「これは、場所や種類に関係ないと考え、やはり水の重さで下に押す力と、空気の圧力で上に押す力が同じ高さまでしか『ぽんぷ』は汲み上げられない事の証拠だと考えたのです」

 忠右衛門はまた身振り手振りで教えようとする。大気圧の概念がある純正は、専門知識はないものの、理解できる。

「そこでそれを実証しようと思い、五間(9.1m)の柱をつくって実験したのですが、安定しないので観察がしずらく、細部に渡って観察することが難しかったのです」

 純正は鉱山に行ってやれば? と言おうとしたが、暗くて狭いし邪魔になるだろうから、無理だな、とすぐに諦めた。

「もっと短い長さで観察をしやすく出来ないかと考え、試行錯誤を繰り返し、水のかわりに水銀を使えば、一間ほどの長さでも十分に観察できることが判明したのです」

 手押しポンプの開発の一年後くらいに温度計が完成し、同時に水の温度計の代わりに水銀を使っては? というちょっとした技術論争があったのだった。

 純正は水銀=有毒だと思っていたが、少量なら問題ないと思い出し、利用研究を許可したのを覚えている。

「ちょっと待て」

 純正は、こいつらなにげにすげー事やってんじゃね? と思い始めてきた。

 今は永禄十二年で1569年だ。確かガリレオ・ガリレイだって、5歳なのだ。いやいやヨハネス・ケプラーにいたっては生まれていないんだぞ? コペルニクスの後くらいじゃないか?

 ボローニャ大学やパドヴァ大学から、留学生が純アルメイダ大学に来る日が来るかもしれない。やばくね?

「よろしいですか?」

「あ、うん、すまん、続けて」

「そうして実験を続けた結果、二尺五寸の長さで水銀が止まったのです。そしてその上には、なにもない、すなわち真空ができたのです」

 うわー、やっちゃったよ。なんかわからんけど、ものすごい場面に遭遇している気がする。

「殿、真空とは……」

「ああ、いやいい。なんにもない空間ね、空間。それで?」

「はい、これは山を登って実証もしました。しかし登れば登るほど、水銀を押し上げる力が弱くなるのです」

「ああ、気圧の低下ね」

「は?」

「いや、なんでもないない、続けて」

「これは空気の重さが軽くなっていると考えます。押さえつける力が弱まっているという証拠です。これは……直接的には蒸気機関にかかわりませんが、重大な発見のような気がするのです」

 はい、その通りです。間違いなく重大、とんでもない大発見です。

「そんな事はない。科学というものは、発明にしても何がどこで繋がっているかわからぬものだ。励めよ」。

「はあ、ありがとうございます。そして、ここから先は息子から報告がございます」

 ちょうどそのころ、諫早を出発して一刻半(3時間)たった頃に小佐々城についた。天久保まではまだしばらくだが、下車して昼食をとることにしたのだ。

「忠右衛門に源五郎、朝は食べたのか?」

 二人して顔を見合わせている。

「まさか、食べてないとか言うなよ。駄目だぞ、ちゃんと食べないと。ヒラメキも脳がちゃんと働かないといけないんだ。一緒に食べよう」。

 脳? と聞きかえす二人に、ああごめん気にするな……とモゴモゴした。ダメだ科学の話聞いたらポロッとでた。

 注意しなければ、と思いつつ、軽く三人でうどんを食べ、少し休んでから天久保の開発工房へ向かった。小佐々城から天久保までは四里(16km)ほど、半刻(1時間)もかからない。

 工部省技術開発研究所(略して工技研)につくと、部屋ではなく場外試験場へ案内された。

 そこには真ん中に直径7~80センチの青銅製の半球が2つくっついたものがあり、その両端に馬が8頭ずつ、合計16頭繋がれていた。

 なんじゃこりゃ? それが純正の感想である。蒸気機関は? 目の前にあるよくわからない装置に目を奪われた。

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