永禄十二年 十月二十五日 薩摩(鹿児島) 内城 巳一つ刻(0900)
上座には宗家当主の島津義久が座り、向かって右手に次兄の義弘、三男の歳久が座っている。左側は家久である。薩州島津家は一門衆であるので上座に近い方に島津義虎が座っている。
島津は本家を、相州島津家の義久の祖父忠良がついでいる。他に羽州島津家、豊州島津家等の分家が多数あったが、国人の反乱や内輪もめが相次ぎ、勢力を弱めては滅亡していた。
有力国人としては日向の北郷氏、大隅の加治木肝付氏、そして薩摩南部を治める佐多氏や頴娃氏がいた。島津宗家の本城である内城に、これだけの面々が集まる事はそうそうなかった。
まるで正月の祝いのようだ。それだけ異例である。
そのような異様な雰囲気の中、心中穏やかでない人物がいた。薩州島津家当主の島津義虎である。義虎は誰が何を考えているのか、義久はどう考えているのか、今後薩州家はどうすべきか決断するために、来た。
「みなの者、よく参じた。こたびは島津家にとり、諸君にとりても大事な決意を告げんとして招集したのだ」
上座の義久が、ゆっくりと、そしてはっきりと全員に聞こえるように告げた。島津は小佐々に降伏した。その事後処理として、島津宗家の当主として国人に告知をするのだ。
しかし、反乱はだれに対してするのだ? いや伊東の使者は反乱ではなく挙兵と言っていたな。それは島津に対してではなく、小佐々に対して挙兵し抵抗するということか。
義虎はどうするべきか決めかねていた。宗家が降伏するとする。まず第一に考えなければならないのは、薩州の我が家門である。すなわち領民も含めてだが、どうなるのだ? それが一番の問題である。
「島津は、屈服した。小佐々に屈服したのだ。無念である。何度思い返さんとも悔しゅう思うれど、厳しきを忍び、辛きを耐えんとして、要求に応じたり」
しいんと静まり返った座の中で、義久は悲痛な面持ちで話し始めた。
「これについては異議もあるであろう。わしも考えた。一戦交えば、勝たざれども一矢報えん。先祖の英霊に、よく戦ったと褒められんかもしれぬ」
しかし、と義久は続ける。
「わしは島津宗家の当主と共に、薩摩の守護、三州の守護なり。それを大義とし、名分として肝付、伊東、かつ相良と戦うて来た。であるならば探題の意向には、名、実ともに逆らう事あたわず」
力も及ばず、さらに名分として掲げてきた三州守護による統一も、九州探題である宗麟を従える純正には逆らえぬ、との論理だ。
しかしどうしたことだ? これがあの四兄弟なのか? すっかり牙を抜かれた獣のように、大人しくなってしまっているではないか。義虎はそう考えた。以前の四兄弟と同じとは思えないのだ。
義虎と同様、居並ぶ国人たちも動揺を隠せない。
「殿、よろしいでしょうか」
義虎はたまらず聞いた。おそらくここにいる全員が聞きたい事だったろう。
「われらは、どうなりましょうや。島津の宗家は本領は安堵なのですか。それとも減封ですか」。
義久は、想定していた質問に答えるように、明確に答えた。
「宗家は、減封となった。日置郡と鹿児島郡。谿山《たにやま》郡と頴娃《えい》郡、揖宿《いぶすき》郡の一部にて、おおよそ十四万石じゃ。十万石少のうなった」。
義弘は目をつむり、膝の上の手を握りしめている。歳久、家久も似たようなものだ。
「では、われらは? われらへの仕置きはあったのですか」
義虎はさらに聞く。それこそがもっとも聞きたい事なのだ。
「それについては、召し上げる、その後に分担をする、と言うておった。残念な事だが、われらにそれを止めることはできなんだ。しかし、小佐々も考えていよう。悪いようにはしないはずじゃ」。
なんと楽観的な事を。取り潰しもあると言うことではないか。
「くれぐれも、軽挙妄動は慎むように。仕置きの沙汰があるまでは、動いてはならぬぞ」
動いてはならぬぞ、だと?
宗家が守られたから、それでいいのか? いやいや、国衆の事は考えているだろう、考えているだろうが、どうにもできない、というのが事実ではないだろうか。
一門とは言え、何も知らされていない時点で、ただの国人である。
義虎はそう結論づけるしかなかった。事ここにいたっては、宗家は国衆をまとめる事ができなくなったのだ。まとめることを許されなかった、というのが正しいのかもしれない。
周囲の国人衆はざわついている。当然だ。正式な小佐々の使者がくるまでは、どうなるかわからない。義久は他に聞きたいことがないか確認をし、ないのを見定めてから退座した。
「義虎殿」
はっとして見ると、歳久である。
「心配はごもっとも。われらも、苦渋の決断にござる。しかし薩州は一門です。小佐々もむげにはしますまい。すでに使者が行ったのではありませんか」。
気休めのつもりかわからないが、残念ながら使者は来ていない。別の使者は来たが。
「いえ、使者はまだ来ておりませぬ。残念ですが、沙汰を待つしかありませぬな」
「そうですか。では、私はこれにて。なにかお困りごとがあったら、遠慮なくおっしゃってくださいね」
そう言って、最後まで残っていた歳久も退座した。四兄弟はもういない。
さて、本当に待つしかないのか。ざわつく国人衆の中で義虎が思案していると、北郷、加治木肝付、佐多、頴娃の四氏が近づいてきた。北郷時久、肝付兼盛、佐多忠将、頴娃兼堅である。
「義虎殿、どうなされるおつもりか」
北郷時久が聞いてきた。北郷氏の所領は日向にあり、伊東の影響を受けやすい地域でもある。伊東からの密使は来たのだろうか。
「どう、とは?」
義虎はしらばっくれた。しかし言わんとしていること、聞きたいことは誰もがわかっていた。
「なにを、なにを言われるか、所領の事です。このまま座して死を待つおつもりか」。
座して死を待つ? なにか知っているのか? 義虎は直感した。
「座して死を待つとは? まるで取り潰されるのがわかっているような物言いではないか」
「いや、そうではござらん。小佐々はいったん召し上げる、と申しておるのでしょう? であれば、後はどうなるかわからん、と言っているのです」
勝久の言は断定しているように聞こえたが、義虎は聞き流した。まずは小佐々の本意を確かめる必要がある。
「だからといって、家が潰されるわけではない。これだけの家を潰したとあっては、その後の政に影響が出るであろう」
こいつらは、わしを乗せようとしているのか? 反乱の旗頭にでもするつもりなのだろうか? 冗談ではない。
乗せられて自滅するのだけは避けなければならないが、もし伊東の言う通り、日向、肥後、薩摩、大隅のいたるところで反乱が起きれば? 小佐々とてただでは済むまい。
どうすべきか? 義虎の自問自答はつづく。
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