第366話 観音寺騒動ならぬ三雲騒動

西国の動乱、まだ止まぬ
出入り禁止

 永禄十二年 十一月十日 南近江 三雲城

 織田信長の圧倒的な軍事力の前に、昨年の永禄十一年、六角氏の主城である観音寺城が落とされた。

 実際には支城である箕作城がわずか一日で落とされ、次いで和田山城の城兵の離散にともない、守れぬと判断しての逃走であった。

 それから一年が経ち、六角承禎は考え、ある結論に達していた。

 信長と、和睦する。

 すでにまともに戦って勝てるような彼我の戦力比ではない。それは承禎もわかっており、朝廷や幕府を押さえている信長に名実ともにかなわないと判断しての決断である。

 それを受け二週間ほど前から、家臣と国人衆の説得には重臣の三雲定持が取り掛かっている。ほどなく意思統一はなされるであろう。

 現当主の義定は次男であるが、兄はともかく承禎の影響力は大きい。

 そして今、承禎の居室には息子二人が並んでいる。

 現当主六角義定と、兄の前当主六角義治である。兄義治は七年前の永禄五年(1562年)に家督をついでいたが、翌年重臣の後藤賢豊父子を謀殺するという暴挙にでた。

 当然ながらなんの罪もない重臣親子を殺したことで、家臣と国人の心は離れ、永禄九年(1566年)に隣国の浅井長政が六角領へ侵攻してきた際も、防戦一方となったのだ。

 その翌年に、義治は責任をとる形で主君の権限を抑える六角氏式目に署名させられた。また、同時に義定が家督をついだ。

 言ってみれば、観音寺騒動からの流れは、すべて義治の自業自得である。

 しかしその異常なまでのプライドの高さと、名門佐々木家の嫡流であると同時に、六角家の家督をついでいたという自負から、フラストレーションは日々積もっていくばかりであった。

 今、承禎の目の前にはその息子二人が座っている。織田との和睦話をするために承禎が居室に呼んだのだ。

「義治、義定、お主達に話がある」

「何でしょう父上、また織田との和議の話でしょうか」

 義治は強硬派であり、織田信長との和議には反対していた。

 名門六角家が、なぜ尾張の田舎侍ごときの下風に立たなければならないのだ。そういう考えをブレることなく持っていたのである。

「そうだ。わしは信長と和議を結ぶ。これは決まったことだ」。

「な、何をおっしゃいますか。それがしは何も聞いておりませぬぞ。義定、お主聞いておるか」

 義治は憤慨して弟の義定に確認する。

「それがしも聞いておりませぬ。しかし父上、織田との和議、なりましょうや」

 義定はやさしく、温厚である。

「父上、いったいどういう事ですか。義定、お主も成るか成らぬかではない、考える事すら愚かだ」

 義治の憤りは収まらない。

「それについては、同門である九州の小佐々弾正大弼殿に文を出し、すでに仲介役として取り計らってくれるという確約ももろうておる」

「な、なにを」

「まあ、しばし耳を傾けよ。わしはの、深く思いをめぐらし、案じたのじゃ。そして今のわれらと信長の力を比ぶれば、到底太刀打ちできぬ。さらには朝廷や公方様を味方につけておる。それゆえ判断したのだ」。

「父上、それではわれらの誇りはどうなるのですか? 我々はただ信長に従うだけですか?」

 服属の是非はともかく、義治の疑問はもっともである。ただ従うのか、それともある程度条件を飲ませるのか。

「家門の誉れや権威や秩序、わしはそれこそが大事と考えておった。今でも大事じゃと思うておる。しかしな、それだけではこの戦の世、家を守っていくことは出来ないのだ」

「しかし父上……条件次第によっては、六角の名を末代まで恥ずかしめる事になりますぞ」

「心配するでない。そうならぬよう、弾正大弼殿に仲介を頼んだのじゃ」

 おそらく純正の仲介、実際は京都大使の純久がやるのだろうが、著しく六角の家名を辱めるような条件は極力出さないであろう。

 領土の割譲や人質、兵の供出に賠償金、三好三人衆との関係断絶はあり得るだろう。また、交易の権益の提供や結婚も考えられる。

 織田家に従うのは当然だが、三好との断絶は絶対条件になるであろう。三好は純久が追い払ったとは言え、依然として讃岐・阿波では勢力を保っているのだ。

 領土の割譲に関して言えば、六角の直轄地は少ない。一番六角家が多いというだけで、国人の集まりという古い体質の支配形態なのだ。

 また、淡海の南側や街道はすでに織田が奪っている。

 直轄地以外の土地を割譲となれば、六角からというより、該当の国人から割譲という事になる。年貢による収入や、なにがしかの権益をえるための割譲であるが、国人の反発は必至だ。

 ならば服属のみでよし、となる可能性もある。

 家督の件は織田家の影響力を増すためだが、すでに織田家に服属する時点で、六角家の求心力は低い。

 承禎は義治に、すでに家門がどうの、という段階ではないという事を言いたいのだ。

 織田家に下ったとしても、南近江と伊賀の国人衆を束ねる、惣領家としての六角家の体裁さえ保ってくれればいい。

 そう承禎は考えていたのだ。これしか方法はない、と。

 ■義治の居室

「我慢がならぬ、父上はいつからあのように弱腰になったのだ」

 育った環境が人をつくる、とは良く言ったもので、義治は名門意識を着て歩くような人間に育っていた。

 家督をついだと言っても実権は父である承禎が握っていた。

 やることなすこと否定しかしない重臣の後藤賢豊を殺害したのも、父子の対立から独立したいとの意思表示であった。

 結果として家臣団が離れ、六角の弱体化につながったのだが、本人は自分が悪いとは思っていない。

 当主の言うことを聞かない家老を無礼討ちしただけだと考えていた。

 もっとも、六角の弱体化は承禎が三好長慶との政争に敗れ、野良田の戦いで浅井に負けてから顕著であった。そして観音寺騒動がとどめを刺したのである。

「兄上、そうは言っても、織田と和議を結ばずどうやって六角の家を保ち大きくしていくのですか」

 義定は冷静に兄を諭そうとするが、聞く耳を持たない。

「義定、お主までそのようなことを。当主とは言え、弟は兄を尊ぶものであるぞ」

 それを言えば父親に対してもなのだが、義治には関係ない。

「ふん、織田を良しとしないものは大勢いよう。三好に朝倉、本願寺に延暦寺。きりがないわ」。

 確かに、義治が言っている事はただしい。しかし義定も反論する。

「確かにそうでしょう。しかしわれらは織田と国境を接しております。浅井とはもちろんの事、まわりは敵だらけです。そしてともに織田と戦うとして、誰が盟主になるのですか。烏合の衆となっては、滅びますぞ」

 これも、事実である。しかし、戦略的にみても戦術的にみても、三好とさえ連携がとれなかったのだ。連合などできるだろうか。義定は冷静に考えていた。

「何を申すか義定! 屁理屈ばかりこねおって! 見ておれ、今に俺が正しい事がわかる! 父上があくまで織田と結ぶのなら、そうだ、もうこれしかないのだ」

 義定は諦めた。理屈で議論が出来ないのである。感情論ばかりだ。

「そうですか、ではもう何も言いません。そこまでおっしゃるなら、父上を説得してください」

 血走った目と荒い息づかいの義治をみて、義定は悟ったかのように部屋をでた。

 ■数日後 近江国甲賀郡 宇田村 鷹場

「お見事にござる」

 鷹狩に来ていた承禎と家臣の三雲定持は、獲物が予想以上に捕れた事に満足していた。冬は鷹狩の季節である。多くの大名がたしなんでいたのだが、承禎も例外ではなかった。

 承禎と義定、三雲定持をはじめとした数名の家臣が、護衛の近習の数名を伴って毎年行う鷹場で狩りをしていたのだ。

「さて、そろそろ帰るか」

 承禎の一言で鷹狩がお開きになり、一行は帰路についた。帰り道、左右が林になって見通しの悪い道にさしかかった時の事である。

 ぱああああああん、と乾いた銃声が鳴り響いた。

 全員が殺気立ち、周囲に目をやる。

「曲者じゃ、探せ! 追えい!」

 暗殺者と思しき人影をみつけた家臣は全員で追いかけるが、承禎はうずくまっている。腹のあたりに当たったようだ。出血が多い。血でみるみるうちに赤く染まる。

「お館様! お館様!」

 ■三雲城 承禎の居室

 鷹狩中に鉄砲で狙われて以来、承禎は寝込んだままである。ひっきりなしに医師が出入りしているが、誰も面会ができない。意識不明と回復を繰り返しているのだ。

 近習が数人護衛に立っているが、義定も時おり来ては父の回復を心待ちにしている。当主としての役目はあるものの、できるだけ時間をつくって父のそばにいようと努めていた。

「どけどけ! どくのだ!」

 ドスドスと音を立ててやってきたのは、義治である。

「義定よ、父はどうなのだ。生きているのか、死んでいるのか」

 義治の言葉に、義定は耳を疑った。なぜ生きているのか死んでいるのかを聞くのだろうか。義定の中で、そうでないように願っていた事が現実になった。

「兄上、父上はご無事です。ただ養生が必要にて誰にも会わせてはならない、と医師が言っておりました。それゆえ私もここにいるのです」。

「そうか、それはよかった。お目通りは叶わぬか。そうか、それは、残念だ……。わかった、快方に向かったら知らせてくれ」

 義治はそう言うと、足早に去っていった。鷹狩に同行していた義定はそのまま付き添っていたのだが、別件で城下を離れていた義治は、あとで銃撃を知ったのだ。

 ■数日後 承禎の居室

「父上、無事に目を覚ましてくださり、心から感謝申し上げます」

 義治が父承禎の顔を真っ直ぐに向いて声をかける。

「父上、このような形でお目にかかれて、何よりの喜びです」

 義定も、快方に向かっている父をみて喜びもひとしおだ。

「二人とも、心配かけてすまぬな。この通り、完全ではないが快方に向うておる。義治よ、近う」

 はは、と承禎の言葉に誘われるように義治は近づく。

「義治よ、家督を譲りてから既に数年、いろいろとあったの。ゆえあって今は義定が当主となっておるが、思うところもあるであろう。この乱れし世で生き抜くためには、時には親兄弟であろうと刃を交えねばならぬこともあるのじゃ」

「……父上、いったい何をおっしゃっているのですか」

「ゆえに義治よ、思慮深く、思慮深くあらねばならぬのだ」

「ですから父上、一体何を……」

 義治はわけがわからない。

「捕らえよ」

 承禎の声とともに戸が開き、数名の武者が義治を取り囲み、取り押さえる。義治はバタバタをもがき抵抗するが、屈強な男数名に押さえつけられては動く事もできない。

「父上、いったい何をなさるのですか! この者たちにそれがしを離すようにお命じください!」

 承禎は悲しそうだ。自らの手で実の息子を捕らえなければならない。

「義治よ。わしを襲った刺客を捕らえた。すべて白状したぞ。おぬしは足がつかぬよう、何人も間に人をいれて事を起こしたようだが、その間の者も、命と引き換えに洗いざらいしゃべった」

「父上! 何をおっしゃるのですか! そのようなどこの馬の骨かわららぬ者の言葉を信じるのですか!」

 義治は必死に逃げようと、わめく。

「一人ではないのだ、全員じゃぞ、全員がお主から命じられたと申しておった」

 それにな、と承禎は続ける。

「これは、家臣、国人の総意なのだ。お主がいては国がまとまらぬと。わしとしては、わしとしては、なんとかしたい。じゃがおぬしはわしの傷の具合より、生死の方が大事だったようだからな」

 承禎は本当に悲しい目をして告げる。

「連れて行け。二度と六角の領国に入ることは許さぬ」。

 武者二人に両脇を抱えられ、身動きも取れずに引きずられる様に連れて行かれる義治を、義定は見ていられなかった。目をそらしている。義治はなおも叫ぶ。

「父上! 父上! なにとぞ、なにとぞもう一度お調べください! なにとぞ……くそ、くそ、くそう! おのれ承禎よ! おのれなどもはや父ではないわ! 織田の犬に成り下がりおって! これでは六角も終わりじゃ! 終わりじゃあ!」

 叫び声は次第に小さくなり、聞こえなくなるまで義治が騒いでいる様子がわかった。

 六角義治は追放となり、二度と領内に戻る事はなかった。承禎は苦渋の決断をし、断腸の思いで息子義治を追放したのだ。世にいう三雲騒動である。

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