第388話 群雄たちと小佐々純久

新たなる戦乱の幕開け

 永禄十二年 とある日 在京小佐々大使館

「大使、また来てます」

 大使館の洋間、昼休みに佐吉と将棋を指している純久のもとに、一人の訪問者があった。最近、遠方からのお客様が増えましたね、と佐吉が言う。

 純久はそれどころではない。36対6で圧倒的に負け越しているのだ。将棋を教えて最初の6回しか勝てていない。

「誰だ?」

 純久は右から左だが、一応聞く。

「はい、須田相模守とおっしゃる方にございます」

「須田、須田……聞いた事がないな」

 純久は時計を見る。ちょうど昼休みが終わって未の一つ刻(1300)を指している。

 純久にしてみれば常に時間がわかるので重宝しているのだが、純正いわく分針がない! と叫んでいるらしい。

 この時代の技術ではまだ誤差が大きいので分針がない。

 この時計も誤差がでるので毎日巻き直している。純久は立ち上がって体を伸ばし、佐吉に茶を用意するように伝えて応接の間に向かう。

 頑張れ工部省、そして工学部。もうそろそろ振り子時計できるか?

 洋間に慣れていないのか(当然だ)、満親は椅子から立ち上がる。正対してあぐらを組むように座り、礼をしようとするので『ああ、そのままで』と純久は止めた。

「それがし、上杉弾正少弼様が家臣、須田相模守と申します」

 居住まいをただし、満親が純久に向かって礼をする。純久も姿勢をただす。

「小佐々弾正大弼様が家臣、小佐々治部少丞純久にございます」

 自己紹介をして着席を勧める。

「お名前から察するに、治部少丞様は……」

「叔父にござる」

 中央から東の外交を司る京都の大使であるから、相当信頼のおける人物と踏んでいたのだろう。事実純久は、純正が素顔を見せられる数少ない人物の一人である。

 満親は純久と知己を得て、間違いない、と思っているのかもしれない。

「なるほど、そうでござったか……しかし……」

「どうされましたか?」

「いえ、なにぶん無学にて、こちらにあるものは、見たことのないものばかりでござるな」

 苦笑いなのか愛想笑いなのかわからない笑顔で、満親が尋ねる。

 洋間自体が珍しいし、壁には掛け軸ではなく洋画、そして時計、床は絨毯がしいてあり、テーブルに椅子である。

 出されたお茶も紅茶であるから仕方がない。お茶菓子もカステラだ。

「ははは、それは、それがしも結構な南蛮好きでござるが、わが主がまた大の南蛮好きでござってな。京に来たときに困らぬようにと、肥前と同じようにしておるのです」

 事実そうなのだから、純久は包み隠さずに話す。

「さようにございますか」

 満親も笑う。

「して、こたびはどうされましたか」

「はい、わがあるじ弾正少弼様は、弾正大弼様とお近づきになりたいとの仰せにて、まかり越しました」

「そうでござったか。知己が多いに越したことはござりませぬ。わが主もお喜びになることでしょう。そうするとまずは交易になりますが、越後はなにが産物でしょうか」

 さっそく交易の話になった。

 平戸道喜に神屋宗湛、島井宗室に仲屋宗悦と御用商人を抱えている純正だが、大名のお墨付きがあれば商売も促進されるだろう。

「そうですな。まずは青苧あおそでしょうな。それから米に越後布、海苔のり、それから……」

「やはり土地が違えば産物も違いますな。青苧は京で相当な人気のようで。ああ、それから『くそうず』なるものは……」

「ああ、臭水(くそうず・原油の越後地方での古名)の事ですか。あれは民百姓まで知っておりますが、まさか治部少丞殿がご存じとは」

 純正が言っていたのである。

 越後の使者が来たら聞いてみて、と。石油がとれるとなると、これは期待大である。もう少し先にはなるだろうが、国産であればいい。 

 ■またとある日

「最近、前よりも遠方からのお客様が増えましたね」

「そうだな」

 純久は空返事だ。52対6で負けがこんでいるのだ。

「申し上げます。甲斐より、原隼人祐様とおっしゃる方がお見えです」

「佐吉よ、これはおれが優勢だから、勝ちでいいか」

「ダメです。このまま残すか、やり直しにしましょう」

 佐吉は容赦がない。

「はじめてお目にかかります。原隼人祐と申します。こたびは主、武田大膳大夫様の命により罷り越しました」

 武田、と聞いて純久は少し耳が大きくなった。

「小佐々治部少丞にございます。どうぞおかけください」

 床にあぐらをかいて礼をする人があまりにも多いものだから、入室の前に事前に説明するように佐吉に命じていたのだ。

 おかげでスムーズに会談に入れるようになった。

「それで、こたびはどのようなご用件でしょうか」

 相手に紅茶を勧めながら、自らも一口飲んで、純久は隼人祐に聞く。

「はい、さればわが殿は、弾正大弼殿と親交を深めるべく、それがしを遣わされました」

 隼人祐は終始笑顔である。

「なるほど、親交を深める……ですか。具体的にはどのように?」

「はい、まずは通商を行い、お互いに人の行き来を多くしてまいりましょう」

 信玄は甲相駿三国同盟を破棄し、駿河へ侵攻した。

 さらに、今川から独立した家康と交わした、大井川以西には手を出さないという約束を破って、遠江へ信濃から侵攻してきている。

 織田とは表向き友好関係ではあるが、徳川とは一触即発といってもいい状態が続いているのだ。昨日の敵が味方になり、その逆もある戦国の世においても、あからさますぎる。

「なるほど……。承知しました。その件については主と協議しますので、また日を改めて、という事で」

 純久は早々に切り上げることにした。

 通商と言っても、小佐々にとって絶対に必要で、他では手に入らないものが甲斐にあるわけでもない。危険は冒すべからずだ。 

 ■さらにまた、とある日

「最近、前よりもさらに、遠方からのお客様が増えましたね」

「あー、そうだねー」

 それどころではない。74対6で圧倒的に負けているのだ。

「大使、お客様がお見えです」

「ああ! また負けた! あー、くそ……え? あ、うん。わかりました」

 二回りも歳が違う佐吉に負け越しているのが、相当気になっているらしい。

 気晴らしで始めた将棋が、気晴らしではなくなっている。それでも休憩時間にやっているのだから、業務に支障はない……はずだ。

「お待たせいたしました。小佐々治部少丞と申します」

「はじめて御意を得まする、北条左京大夫様が家臣、松田左衛門佐にございまする」

 年齢は四十前後で中肉中背の男である。

 嫌悪感を抱くような容姿と立ち居振る舞いではないが、精悍さやさっそうとした雰囲気はない。普通に仕事ができそうな雰囲気の男であった。

 小佐々の京都大使館では紅茶が定番になりつつあったが、純正が言うコーヒーはまだ手に入っていない。

「さあ、どうぞ」

 と紅茶を勧めてみたものの、松田憲秀は特に用件はないようだった。

 いわく、京都に用事があり、ついでに寄った、そんな感じである。

 それだけ聞くと忙しいのになんだ、という感じだが、要するに営業職で言うところの『ごあいさつ』である。

 特別なにかを求めるでもなく、ただ、小佐々とはどういう家中なのか? 純正や純久はどんな人間なのか? 

 そういう情報を探りにきただけのようにも思えた。

 正式に大使館を設立したのは昨年、永禄十一年の四月である。

 京都所司代になって三好の襲撃を防ぎ、検非違使と兼任で京の町の治安を守っている。大友を降し四国に進出している小佐々が、どう映っているのか?

 大使館に来る面々とその内容でおおよそ見当がつく。

 三好の次は織田か小佐々かと言わんばかりに誼を通じ、通商を願ってくる者もいれば、松田憲秀の北条のように様子見の大名もいたのだ。

 好むと好まざるとに関わらず、中央政界をはじめとした周辺の大名が、純正を意識し、取り込もうとしていく流れが顕著になってきていた。

「おーい、佐吉。書類仕事が終わったら、またやろうか」

「大使、いい加減諦めませんか。たまってますよ」

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