第394話 六分儀の完成と、果てしなき正確な時計への渇望

新たなる戦乱の幕開け
六分儀の完成と、果てしなき正確な時計への渇望

 元亀元年(1570) 三月 諫早城

 

 三好日向守(長逸)殿、並びに三好下野守(宗渭)殿、岩成主税助(友通)殿

 既に御聞きと存じ候えども、先の先の将軍を弑し奉りし大罪のため、御幕府より追討の命を受け候。その執行はそれがしの一任となる旨、肝に銘じるよう申しつけ候。

 これより朝廷ならびに幕府への非礼または敵対行為、また我らが信をおく織田家、その麾下の諸大名並びに親織田勢力への、兵を用いて害する行いありと認めた時は、追討致す所存に候。

 この旨肝に銘じ、軽挙妄動の無きよう申しつけ候

 従四位上検非違使別当小佐々弾正大弼純正

 

 三好三人衆には上記のような通告文を送った。要するに、おとなしくしていろよ、という意味だ。もちろん、軍事行動を起こした場合は開戦である。

 義昭は命令に従わない朝倉義景に対して、上洛前に滞在していた事や元服をした事もあって討伐をためらっていたが、ついに3月、信長に討伐令を発した。

 正式には織田軍を中心とした幕府軍である。その尖兵として越前入りをしたのは他ならぬ浅井長政であった。

 若狭においては対立勢力が消滅し、一応の平穏を得ていたが、越前入りは視野に入れていたため、そのまま金ヶ崎へ向けて進軍することは可能であった。

 しかし、あと一ヶ月ほどで田植えの時期である。

 長引けば浅井軍にとっても士気が落ちて不利になる。越前の北を押さえている一向宗にとっても、4月に入れば田植えで戻らねばならないだろう。

 それは義景にとっても同じなのだが、逆に言えば、義景は一月ほど持ちこたえれば、幕府軍と一揆軍を耐えしのぐ事ができる。

 そのため信長も短期決戦を狙って出陣したのだ。

 

「完成しました! 完成しましたぞ殿!」

 血相を変えて居室のドアをたたき、叫んでいるのは従兄弟の太田和九十郎秋政である。

 天文学者で純アルメイダ大学において教鞭をふるい、自身も研究者として領立天文観測所で日夜観測を続けている。

「九十郎……何事だ?」

 純正は目を細めながら問いかけた。ぜえぜえと息を切らせながら呼吸をしている。

「ゆっくりでいい、息を整えてからで」

 やがて呼吸を落ち着かせた秋政が告げる。

「殿の前回の御指南より四ヶ月。この度、ようやく新たなる道具を完成させました。これを手にすれば、我が家中の船乗りたちがより安心して、間違いのない航海を遂げられましょう」

 秋政の瞳には誇りと期待が宿っている。

 さすがだ。途方もない数の試行錯誤があっただろう。技術的に作り上げた工部省にも、礼をいわなくてはならない。そう純正は考えた。

「あの日、俺が口にした考えをもとに、これほどのものを作り上げるとは……九十郎、おぬしには驚かされるばかりだ」

 秋政は謙遜している。

「ありがとうございます、殿。しかし、殿のお考えがなければ、それがしもこのような道具を作り出すことは出来なかったでしょう。真の航海での効果、それを試す日を楽しみにしております」

「そうだな。そうだ、これは名前はどうする? 名がないと不便であろう」

「は、それは殿におつけいただきたく」

「そうだな。あの大きいのが四分儀であろう。であれば、六分の一ならば……六分儀、でどうだ」

「はは、よろしいかと存じます」

 純正は笑顔で秋政の肩を叩いた。

「そうか、これで我が家中の航海の術が一段と進めばよいな」

 はは、と秋政。周りの目があるのでこの言動だが、二人だけなら抱き合って喜んでいるだろう。

「よし、じゃあさっそく海軍士官を集めて講習会を開いてくれないか」

「かしこまりました」

 秋政は深々と頭を下げた。彼の目には、新しい発明に対する誇りと、それを正しく伝える重責が浮かび上がっていた。

「じゃあ、これで緯度が今までより正確にわかるようになるのだな? 経度に関してはどうなのだ? 今は 正確に測れるのか?」

 秋政は深くうなずいて、説明を始めた。

「殿のおっしゃるとおり、この六分儀を用いれば、緯度はかなり正確に測定することが可能となります。特に夜空の星を観測することで、われらの位置をより的確に知ることができます」

 純正は興味津々だったが、秋政は苦笑いを浮かべながら続けた。

「しかしながら、経度に関しては……それはまた別の問題です」

 残念そうに下を向き、ゆっくりと話しだす。

「経度をしかと知る術、今のところはござりませぬ。その秘術は今も探求の最中にござる。遠き欧州の船乗りも、それに難儀していると聞き及んでおります」

 純正はしばらく沈黙し、考え込んだ。……じゃあどうやって? ある意味経験と勘なのか? ああ、地図がでたらめにゆがんでいるのは、そのせいだったのか?

「しかし、なんで緯度はわかるのに、経度はわからないんだ?」

 秋政はしばらく考えた後、説明を始めた。純正にわかるように、頭の中で整理しなおしているようだ。

「緯度は太陽や星の位置に基づいて、測定できます」

 純正は聞き入っている。

「太陽が南中するとき、ええと、日が真南にあって一番高いときですが、その時の高さを調べれば緯度はわかるのです。北へ行けば行くほど低くなりますので」。

「なるほど、それはあらかじめ、もう何十年、何百年の計測の記録で明らかなのだな」

「その通りです。しかし、経度をしかと測るためには、正確な時刻が必要となります」

「……それは、なぜじゃ」

「……少々お待ちください」

 しばらく秋政は考えていたが、一言そう告げると出て行ってしまった。30分ほどして戻ってきた秋政は、地球儀と蹴鞠のようなものを持ってきた。

 観測所やその他いろいろ探し回ってきたようだ。どうやら秋政の教え欲に火が付いたらしい。

「これをごらんください」

 地球儀を見せ、日本や中国、ポルトガルやその他の地域を指さして、これらがすべて地球という星の一部である事を説明する。

「そうしてこの星は、日の出から日の入りまでの間に一回まわるのです」

 秋政は純正を見ながら、理解しているかどうかを確認しつつ先に進む。蹴鞠を持ち、テーブルの上に置く。

「これが日です。学者の中では太陽と呼ばれています。こうやってくるくるとまわると、日が見える時と見えない時があります。これが昼と夜です」。

 純正は秋政の自転の説明を、小学校だったか中学校だったかで習う内容なので、うんうん、とうなずきながらわかったフリをする。

「では殿、一つ質問します。ここにいる人と、ここにいる人では太陽の高さは同じですか? 違いますか?」

 赤道近くと北極近くを指さして秋政は質問する。

「このように、丸くなっているのなら、仮にここで真上に見えたとして、同じ時にここでは、斜め、地の果てに、より近く見えるのではないか?」

「その通りです。さすが、殿。このように、北へ行けばいくほど、低く見えるのです。これによって緯度がわかります」。

「なるほど、では経度はどうなのだ」

「はい、では緯度はこの、横の線、経度は縦の線だとお考えください。日の本では一日を十二支でわけ、それを半刻、四半刻でさらに分けておりまする」

 うむ、と純正。

「しかし欧州では一日を二十四にわけ、地球を一日でまわるのなら、つまり三百六十度でございますが、おわかりになりますか?」

 太陽の動きと天体の動きは小学校と中学校で習うので、そうとう古い復習にはなるのだが、知らない秋政は学生に教えるように話す。

 ここで理解が止まると先に進まないからだ。

「うむ、わかるぞ。つまりその三百六十度の二十四分の一が、要するに日の本でいうところの半刻が、十五度という事だな」

「その通りでございます! すばらしい! そして、たとえばこの肥前、小佐々の天文台を基準にするならば、太陽が真南に来たときが正午、午三つ刻で十二時となります」

 壁に掛かっている時計と、地球儀と、蹴鞠を指さしながら説明する。

「その時に、もし仮に、しかと測れる時計があるならば、肥前の西のこの、例えば……ええと、この澳門(マカオ)ですが、おおよそ半刻遅れていることになり、午一つ刻(1100)という事になります」

 ふむふむ、と考えながらうなずく純正。逆算している。

「逆に考えれば、太陽が真南、南中時には諫早では午三つ刻(1200)、西に十五度で午一つ刻(1100)、東に十五度で未一つ刻(1300)となるのです」

「なるほど、時刻と経度が関連しているのか。興味深い」。

「新大陸やアフリカ、インド、東インド(東南アジア~日本)を航海している欧州の航海者たちも、この問題に頭を悩ませています」

 秋政は言う。

「経度を測るのは非常に難しいので、実際には経度をしかと測るよりも、経験や地図、海流や風を利用した推測などが重要視されているのです」

「しかし、それでは正しい地図はつくれまい?」

 実際に、海図はいびつで不正確極まりない。ただし、今小佐々領内では、三角測量とコンパスの利用で、いままでにない地図ができあがりつつある。

 それでも島嶼部や離島までの距離は不正確なのだ。

「はい、ポルトガルの航海者や地図製作者が使用していた経度の基準は、今までの公式な記録や航海者各人の経験、知識に基づくものであると考えられます」

「なるほど、では世界に先駆けて、正確な時計をわが小佐々家が作れれば、世界を股にかける商売もできるであろう」

 九十郎の瞳に光が灯った。

「まさにそうでございます、殿。正確な時計があれば、我々は経度の問題も克服できるでしょう。それにより、いまだ知らぬところへの航海もより安全に、そして効率的になるでしょう」

「しかし、そのような正確な時計を作れるのか?」

 純正の目には期待が輝いていたが、秋政がそれに答える。

「殿、慈恩針心という琉球出身の時計職人がいるのですが、その慈恩が中心となって研究を進めております。まだ完成には至っておりませんが、確実に前進しています」

 純正は手をたたいて喜んだ。

「すごいぞ!  その研究に予算を投入しよう! 必要な資金や資材は惜しまない。小佐々の未来を変える術なのだからな」

 GMT(グリニッジ標準時)がHST(肥前標準時)になるかもしれない。そして、大航海時代を覆す歴史と技術が、生まれるかもしれなかった。

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