元亀元年 九月一日 諫早城
「殿」
「なんだ?」
土居清良が発言した。
「表向きが無理なら、裏からで良いのではないでしょうか」
「どういう事だ?」
「昨年の尼子蜂起軍には、山名の助力がありました。ゆえにこたびも尼子を直接助けるのではなく、山名を助ける、さらにその山名を助けるという体で赤松に兵糧矢弾を送るのです」
「なるほど、あくまで小佐々が助けたのは赤松であり、尼子とは一切関わり合いのないこと、という体にするのだな」
「はい、送った米を赤松や山名がどうするかまでは、われらが知る事ではございません。尼子にしかと渡れば良いだけのことにございます」
「うむ、その通りだ。では、山陰はどうだ? 三河守」
あくまでもまだ、表だって毛利と敵対はしない。
「はい、尼子は今、但馬の山名の庇護下にて時期をうかがっているようですが、山名を守護とする因幡では、この書状の通り、毛利方の武田高信が力を伸ばしております」
うむ、と純正。
「山名豊弘を擁立して傀儡の守護としている高信に対して、因幡の山名豊国、但馬の山名祐豊は対立しており、その山名の助けを得るというのも、どうやら本当のようにございます」
「なるほどの。……では、返書の内容としては、助力することはやぶさかではない。しかし赤松、山名を通じてご助力いたす、としたためよう」
「殿、よろしいでしょうか」
純正が尼子への対応を決めた後に、鍋島直茂が口を開いた。
「なんじゃ、直茂」
珍しく会議の最初からまったく発言せず、周りの者の意見ばかり聞いていた直茂である。
「はい、実は殿にお聞きしたいこと、確かめたい事がございます」
直茂は正対し、居住まいを正している。
「なんじゃ、改まって。なにが聞きたいのじゃ」。
「はい、まずは三村の件、そして殿のお覚悟についてにございます」
「よくわからぬが、どういう事じゃ?」
戦略会議はいつも真剣なのだが、今回の直茂の態度は、少しおかしい。
「伊予攻めの頃より、殿は山陽の大名国衆から三村を選び、通商をしつつ支援を行って参りました。また、来島通総を通じてさらなる誼を通じております。しかしながら……」
誰もが直茂が言わんとする事を理解した。
三村は毛利の支配下にある大名である。しかし小佐々と毛利は不可侵と通商同盟を結んではいるものの、その関係は冷え切っていると言わざるをえない。
一条を支援し、四国に介入する時点から、毛利との関係は怪しかったのだ。そして西園寺と宇都宮の件で、毛利の野心が露見した。
今はまだ、それを毛利に突きつけていないだけなのだ。しかし、その状況でもなお、なぜに三村に加担するのか、直茂には理解できなかった。
「殿のお考えは遠く千里を見通しておられます。われら凡夫には想像もつかぬ事を、お考えになっていらっしゃると存じますが、願わくばそのお考えをお聞かせ願いたく存じます」
「そうか……そうだな、その通りだ」
まさか自分は転生人で、歴史の未来を知っているから、とは言えない。しかもすでに大幅に歴史を変えているので、純正が知っている歴史になるとは限らないのだ。
それでも少しでも優位に事をすすめるため、毛利と袂を分かつであろう三村と、今のうちから親交を結んでおこうとしたのだ。
しかし、あまり秘密主義なのも良くない。
信用されていない、と思われれば、戦力の低下を招く。そこで純正は、おそらくこうなるであろう、という推論を話す事にした。
事実、そうなる可能性も高いのだ。
「では、何から話そうか、そうだ、まずは織田家だ」
織田家? 全員が顔を見合わせた。なぜここで織田が出てくるのだ? 毛利や浦上、宇喜多や赤松、山名がでるならわかる。なぜ織田なのだろうか。
「一昨年、弾正忠殿は公方様を奉じて上洛され、幕府を再建された。『天下布武』の名の下に、静謐を得んがためである。ここでいう天下は畿内の事にて、西国や東国は含まれておらぬ」
まだ全員が、狐につままれたような顔をしている。
「弾正忠殿は当初、それで良かったのじゃ。畿内をまとめる幕府を立て直し、自身は岐阜に戻って、領国の経営に専念するつもりだったのだ」
純正が何を言いたいのか、理解をしようと真剣に四人は聞いている。
「しかし、たちゆかぬ。公方様は将軍と幕府の権威を高めようとしているのだろうが、勝手に御内書を乱発して、かえって大名の家中を混乱させている」
さらに、と純正は続ける。
「奉行も奉行で勝手に訴訟を執り行って、横領が横行する始末である。そのような幕府に諸大名が従うわけもない」。
純正は、やれやれ、というジェスチャーをする。本当に馬鹿な話だ。
「さらにそれを奉じた弾正忠殿が、尾張の守護代ですらない傍系の出というのも、気に食わない連中が反旗を翻す理由だ。実にくだらぬ」。
話せば長くなる、という前置きをしていたので、誰も口を挟まない。
「それゆえ弾正忠殿は朝廷と幕府を尊重しておる。その一方で自身の勢力を拡張し、誰にも文句をいわせず静謐を得るために、他を従え力によって天下を一統しようとしておるのだ」
まだ、誰も純正の話の先が読めない。
「さて直茂、武によって他を従えるなら、まずはどこを攻める?」
急に聞かれて少しとまどう直茂だったが、しばらく考えた後に答えた。
「されば、まずは強きと結び、弱きを攻めまする。それゆえ織田家は当家を同盟相手に選び、当家も畿内で影響力を得るため結びましてございます」
「うむ、その通りだ。そして戦って勝つ事の他に、自らの力を伸ばすにはどうすればよい?」
「それは……外交にて服属を迫り領国を広げ、またはある程度の権益を認めた上で、支配下に置いていく事が考えられます」
信長の伊勢侵攻は力による支配だが、松永や若江三好(三好義継)、畠山高政などは支配権を認めた上で傘下に収めている。
要するに硬軟織り交ぜた外交により、勢力を伸ばしているのだ。
「今、丹波は日和見だが、摂津三好はもう抗えまい。われらか織田につくより他はない。次は山陽を例にとるぞ。備前、美作、播磨で、その三国で一番力を持っているのは誰だ?」
「それは……備前美作の浦上宗景にございますか?」
「その通り。今、織田は毛利と元就公以来の関係を続け、親交がある。しかしいずれ織田は西へ行き、毛利は東へ行く。ゆえにぶつかる。その時優位に事を運ぶためにはどうするか?」
「浦上と結ぶ事でしょうか」
直茂は短く答えた。
「結ぶ、というのは正しくはない。おそらくは公方様の、もしくは、これはもっと先かもしれぬが、弾正忠殿が支配権を認める朱印状を出せばどうなる?」
! 全員がはっとした顔をして、場がざわつき始める。
「これはどちらが先かの話になるが、毛利が浦上を服属させた後なら、明らかに内政干渉であり、浦上の所領を安堵するのは毛利であって織田ではない」
さらに、と純正は続ける。
「仮に服属させる前であっても、弾正忠殿の野心が毛利に火をつける形になり、親織田から反織田になるであろう。そして宇喜多も、変わらざるをえない」
宇喜多? 全員の視線が純正に集まる。
「宇喜多は浦上の家臣であったが、一度反旗を翻し、敗れて降ったとは言え、ほぼ対等の立場である。そして備前を平らげようとの野心もある。到底その朱印状に納得はできまい」。
純正はゆっくりと、全員を見回して言う。
「毛利も宇喜多も認めぬゆえ、宇喜多は毛利と結ぶであろう。するとどうなる? 三村が納得できるか? 親兄弟の敵でこれまで戦ってきたのだぞ? はいそうですかと和睦などできぬ」。
ああなるほど、という顔をしている。全員合点がいったようだ。三村は毛利を離れ、織田に近づく。
しかしここで三村が織田に近づけば意味がない。
純正にとってはまったくうま味がないのだ。織田ではなく、小佐々を頼ってもらわなければならない。だからこそ今、誼を通じているのだ。
「しかし殿、一つ問題がございます」
メンバーのその一言が、これからの小佐々のあり方を、徐々に変えていく事になるのだった……。
会議は、まだ、続く。
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