天正元年(1572) 四月十四日 イスパニア マドリード王宮
「それが……明のさらに東、ジパングの艦隊にございます」
「……使者よ、余は真実を申せと言ったのだ。……嘘やデタラメを申せと言うたのではないぞ!」
フェリペ二世は傍らにあったオブジェを使者に向かって投げつけ、声を荒らげ、立ち上がって糾弾した。
「申し訳ございません! しかし! しかし本当なのです! 本当にジパングの船が陛下の船を沈めたのでございます! 証人、証人がおりますので、連れてきても良いでしょうか! ?」
あまりの怒りに恐れおののいていた使者であったが、ひねり出すような声で嘆願した。
「……証人、じゃと? 良い、わかった。通すが良い。特別に謁見を許してやる」
しばらくしてフェリペ二世の前に連れてこられたのは、フィリピーナ艦隊の生き残り、ホセ・デ・エステバンである。
その横には漂流者で通訳のルイス・デ・カルデナス、そして宇野家治と紙屋甚六がいる。
「なんじゃこれは? 二人はわかるが、もう二人……なのか? まるで猿のように小さく奇っ怪な顔をしておるではないか」
怪訝な顔をしてあからさまに不信感を表すフェリペ二世に対して、副王の使者が答える。
指を指された家治と甚六は顔を見合わせ、悪口を言われているのだろうと想像しつつも、我慢した。
「こちらは、フィリピーナ艦隊の生き残りであるホセ・デ・エステバン殿。そして商人のルイス・デ・カルデナス殿、後の二人はジパング人の騎士と商人です」
「なに? それでは辻褄が合わぬではないか。そちは、わが艦隊はジパングの船に沈められたと申したぞ。ではなぜ、そのジパングの騎士とやら、商人とやらがここにいるのだ?」
「それは……」
ジパング人はジパング人同士で争っていて、イスパニアになる前のアラゴン・ナバーラ・グラナダ・カスティーリャと同じだという、ヌエバエスパーニャの副王との同じやり取りを使者は行った。
「ふむ、さようか……。してその二人……は何の用で余の前におるのだ?」
「それは、敵の敵は味方、という事でございます。陛下の船、フィリピーナ艦隊の船を沈めたのは、この者らの敵である領主なのです。そしてこの者らは、陛下の敵である『KOZASA』の情報を持っております。味方につけておくと、必ずや陛下のお役に立てると存じます」
「ふむ、左様か。……よかろう、許す。交易を許す故、この余に無礼を働いた『KOZASA』の事を事細かく知らせるのじゃ」
家治と甚六は、小笠原諸島と相模との定期便、商人の往来を希望した。
さらにヌエバエスパーニャからの硝石の大量輸入を約束させ、様々な技術支援、留学生の派遣なども行うことが取り決められたのだ。
もちろん、北条領での布教を許す、という条件付きである。
■四月十六日 越中 富山城
広間には、上杉謙信と須田満親、揚北衆以外の武将がならぶ。それに対するのは立花道雪、高橋紹運、島津義弘、三好長治、一条兼定、龍造寺純家である。
太田和利三郎が全権として謙信と同列に座る。利三郎と道雪以外は、全員謙信より年下である。
「これは……ずいぶんとお若い方々ですね。そして、中納言様はお見えではないのですか」
須田満親が、小佐々陣営を見渡して言う。
「わが主、権中納言様は京にて政務を執っておられます。この軍にばかり刻をかけられぬのです。ご心配には及びませぬ。それがし、名代として参ったからには、それがしの言が主の言と思っていただいて構いませぬ」
満親が何かを言おうとするのを、謙信が手で制した。
「よい、満親。では利三郎殿、和議を進めるにあたっての題目(条件)を教えていただこう。こちらはそれを呑めるか呑めないかで判じよう」
すでに謙信が交渉の材料にしようとしていた能登の上杉水軍は壊滅し、畠山の庇護下にあるという。
小佐々の水軍に船をことごとく沈められ、廃城に籠城するも結果は無惨であった。
相手が出す条件を、どれだけ緩和させるか、というのが焦点となったのだ。
「然れば申し上げます。こちらの題目は以下のとおりにございます」
一つ、能登と越中からの上杉軍の完全撤兵。
一つ、能登と越中に関する一切の介入を禁じる。
一つ、越中における上杉の所領は、すべて能登畠山の差配とする。
一つ、佐渡の本間家と上杉家の断絶。一切の関わりを断つ事。
一つ、越後のすべての湊の小佐々籍の船の帆別銭免除。
一つ、直江津、柿崎、柏崎、出雲崎、蒲原、新潟津、岩船の割譲。
「な! 直江津に新潟津の割譲だと! ? これは越後の海、主な湊全てではないか! これを割譲せよとは、われらに死ねと言っておるのか! ?」
須田満親が叫ぶも、謙信は表情をかえない。
「落ち着きなされ、相模守殿。死ぬと仰せだが、誠に死ぬのですか? 飯も食えずに飢えて死ぬというのですか?」
「そ……そうではないが、湊の利得がなくなれば、強き軍旅(軍隊)は養えませぬ。そうなれば間違いなく他国に踏みにじられまする」
満親は、国としての体をなさない、すなわち死、という意味の事を言っているのだ。もちろん、利三郎はそれを理解している。
「では満親殿、踏みにじられなければ良いのですな?」
「左様、ゆえに強き軍旅が要るのです。そのために湊の利得は手放せませぬ」
「……他国に軍に出ず、守るに要るだけの最も少なき軍旅を養えればよい、と分きたる(理解している)が、よろしいか」
利三郎はゆっくり、謙信と満親の顔を見ながら、話す。満親は、謙信の顔を見るが、無表情のままである。
今始まったばかりだが、須田満親はすでに何日も交渉しているような焦燥を覚えていた。
次回 第569話 難航する交渉と上杉小佐々代理戦争の余波
コメント