天正元年(1572) 四月二十四日 京都 大使館
「ほーれほれほれ、ばあ~」
表情筋がないのか? というくらい顔を緩ませているのは、関白二条晴良である。ここは小佐々の在京大使館で、純正をはじめ舞姫に藤姫、そして子供達がいる。
晴良の娘の藤子が産んだ篤姫はまだ八ヶ月だが、だーだー・まんなん・ばぶーなど、よくわからないがこれぞ赤ちゃんという言葉で晴良とじゃれている。
「おじいさま、まいちよにございます」
「おおお、そうかそうか。こっちにおいで」
純正の嫡男で数え四歳になる舞千代が、たどたどしい挨拶を晴良にすると、さらに晴良は満面の笑みで頭をなでる。
純正には去年長女の蓮姫も生まれ、一緒に連れてきているのだが、実は純久とオンの間にも去年二人目の子供が生まれ、嫡男の常陸丸は舞千代と同い年なのだ。
越中から上杉勢が撤退した後、完全に引き継ぎが終わるのに時間がかかるとしても、必要な将や兵以外はいなくなった。
時をおかずして、増山城と支城にいた神保長住と椎名康胤は、降伏した。
担ぐべき盟主が降伏し撤退したのだから、独力では抗いようもない。開戦にあたり純正は、二人にも内応するよう調略を行っていた。
しかし最後まで行動を起こさず、謙信に従ったのだ。
その結果は長住も康胤も本領を大幅に削られ、守護代どころか、ただの国人まで没落した。
二人の代わりに守護代となったのは、阿尾城の菊池武勝である。神保氏張の所領以外の射水郡を知行としたが、放生津の湊は例外であった。
純正は畠山義慶に対して、謙信から奪った放生津の湊の権益を贈ったのだ。
この件では守山城の神保氏張が抗議をしてきたが、二人には大きな差があったのだ。
勝手に撤退して城に籠もっていた氏張と、やむをえない状況で申告のあと撤退し、畠山勢と一緒に上杉軍と戦った武勝では雲泥の差がある。
氏張は約束を破った訳ではないが、保身に走りすぎた。純正に与える心証が違いすぎたのだ。
その他、斎藤家をはじめとした降伏した国人衆は本領を安堵し、斎藤利信には千石を加増した。
本願寺領を除く越中の三分の二を支配するにいたった純正であったが、名目上の守護は畠山義慶とした。
改易とした上杉方の国人は、希望者と面談の上、官吏として採用したのだ。
「御屋形様、ようやく終わりましたな」
「うむ、上杉が相手ゆえ、はじめは苦労も多かったが、なんとか勝つことができた」
純久がねぎらいの言葉をかけると、苦笑いしながら純正は答えた。犠牲は出たが、越中から上杉を駆逐したのだ。
そして勅書の通り、畠山を守護とした静謐が訪れた。
神保対椎名の構図は完全に消え去り、上杉対武田、上杉対本願寺の代理戦争もなくなったのだ。越中は小佐々の一強となり、大規模な紛争の種は消えたと言えるだろう。
完全に上杉からの移譲が終わるまで、不慮の事故に備えて大名軍が越中に駐留した。
しかしどの大名家も知行地を増やすより、港湾や街道の整備を優先していたため、加増を希望するものはいなかった。
「さて、残りは七尾城の遊佐続光と温井景隆だが、どういたそうかの……」
万策尽き、どうにもならぬと観念したのか、二人は降伏して処分をまっていた。
純正的には越中はともかく能登での事なので、正直なところどうでも良かったのだが、親を討たれた長綱連と連龍の怒りはすさまじかった。
武士らしい自刃など絶対に許さないと譲らず、罪人として処罰し、一族根絶やしにする事を望んだのだ。
畠山義慶は綱連と連龍ほどの憎しみは持っていなかったものの、遊佐続光と温井景隆の二人が家中を乱し、無法にも人を殺したことは事実である。
最終的に純正の判断待ちとなり、純正は二人を謀反人として処罰した。残された家族に関しては、後追い自殺も追放されるも、本人の自由としたのだ。
しかし、追放処分を希望した者は小佐々の領内で、外界との関わりを遮断してひっそりと暮らすように命じた。どこかの反小佐々勢力と結託されては面倒だからだ。
「人の、生き死にとは、何度見ても慣れぬものですな」
純久がもの悲しげに言う。
「そうですね叔父上、この子らが大きくなる頃には軍もなくなり、人を殺める事のない世の中になっていてほしいものです」
二人とも家族をなくした葛の峠の戦いを思い出したのだろう。
なぜか意気投合して走り回っていた舞千代(純正の嫡男)と常陸丸(純久の嫡男で純正の従兄弟)が、それぞれの父親の近くに寄っていき、二人は子供を膝の上に乗せ、頭をなでる。
執務室から離れた部屋での一幕である。
上杉戦が一段落したので、大使館の業務は次官の蜷川新右衛門親長と秘書の佐吉にまかせ、純久は久しぶりの休みをとった。
もちろん、交替で全員が休みをとる。
佐吉の他に事務能力の高い小姓を採用して秘書にしていたし、その他の人員も増員していたのだ。
一行は二日ほど京の都を巡って堪能した。途中、決裁を求めてやってくる役人もいたが、純正も純久も上手くそれをまいては楽しんでいた。
純久や藤姫にとっては庭であるし、純正も何度も来ていたが、舞千代(4)にとっては初めての経験である。
肥前はおろか、諫早を出るのもはじめてであった。
京都が地元の常陸丸(4)は、なぜか兄貴風をふかせて、行く先々で舞千代に色々と説明をする。知ったかぶりも含めてである。
それを眺めている大人達にとっては、本当に微笑ましい一時であった。
オンは普段から控えめなイメージがあったが、いいお母さんになっていた。実は二人で京都に赴任以来、忙しすぎて新婚旅行もまだだという。
この時代に新婚旅行という概念はなかったが、純正自身が休みを利用して向かう能登旅行に、いっしょにどうか? と誘ったのだ。
京都や大阪の主街道は、信長の上洛と小佐々との同盟、大使館の設置や純正の検非違使等々の就任でかなり整備されている。
移動手段は馬もあるが、馬車も用意されていた。
一行は大津まで陸路で行き、そこから船に乗って琵琶湖を北上する。
常陸丸が『これが海だよ! 大きいだろ?』と言うと、舞千代が『えー、これ海じゃないよ。だってしょっぱくないもん』と言っては水をすくって舐めてみせる。
みっともないから止めなさい、と舞姫に怒られても舞千代は気にしない。そんなこんなで北岸に到着し、ふたたび陸路で若狭に向かう。
常:『うわー、でけえーなんじゃこりゃあ』
舞:『しょっぱい! ねえ! これが海だよ』
しょっぱい大きな海もあれば、しょっぱくない海(琵琶湖=近江の海=おうみのうみ=あふみのうみ=淡海乃海)もある。
そんなやりとりが続く、二人にとっての大冒険の社会勉強であった。
■下越
「申し上げます! 新発田・鳥坂・本庄・竹俣・上関城、すべて抜かれております」
先着していた本庄繁長、新発田長敦、中条景資らが無念そうに告げる。
懸命に奪還を試みるも、蘆名の防御は堅い。同盟相手の伊達の後詰めもあり、苦戦しているようだ。
急きょもどった一万二千の兵であるが、越中までいき戦果もあげずに戻ってきたのだ。正直士気は低い。早く終わってほしいと思う人間も多かった。
和睦交渉が遅々として進まず、というより、謙信が純正の条件を呑まずにあのまま越中にいたならば、空中分解していたかもしれない。
しかし、そこはさすがの謙信である。
優先順位を考え、苦渋の選択ではあるが、捨てるべきを捨て、残すべきを残すために戻ってきた。
次回 第572話 純正の帰国と三職推任問題
コメント