第618話 対イスパニア戦、再び?(1575/2/20)

 天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城

『フィリピン全土占領の大儀とそれに付随する戦略会議』が純正の主導で開催された。

 開催というより議題に上った案件で、最重要課題の一つだったために、特別に時間を割いたのだ。

「フィリピン全土を占領した方が良いという意見がでたが、みんなの考えはどうだ?」

 純正は閣僚全員を見渡して意見を募った。

「戦の是非にかかわるかわかりませぬが……」

 外務大臣の太田和利三郎が発言した。

「イスパニアとは、いずれ雌雄を決する時がくるかと存じます。……が、それが今かと聞かれれば、是とは答え難きかと存じます」

 利三郎は慎重論だ。

「それはいかなる理由だ?」

「は。我らは宣戦の布告なしに襲われました。それゆえ、仮に戦を仕掛けるにして大儀はあるかと存じます。さりながら、戦をするのであれば、必ず勝てるという算段なくばやってはなりませぬ」

 純正の問いに答えた利三郎に、陸軍大臣の深作治郎兵衛兼続がさらに問う。

「外務大臣、すでに聞き及んでおるかと思うが、イスパニアは欧州にてネーデルランドの反乱に手を焼いている様子。呂宋まで艦隊をは遣る力はないのではありませぬか?」

 2年前にオラニエ公率いるオランダ軍が、スペイン軍を破って独立の気運が高まり、アルバ公が失脚したという情報は純正も知っていた。

 ポルトガルからの情報でもあり、国外局を設けた(設ける以前から)情報省からも同様の情報を聞いていたのだ。

「その儀は確かに聞いております。それだけ聞けば、イスパニアを打ち破り呂宋より遠きへ追いやる事も能うでしょう。されど、イスパニアはわが日ノ本の何倍もある新大陸を領土とする大国。その国土の広さと言えば、明よりも広いと聞きます。事は慎重に運び、外交にて解決する事を考えてはいかがか?」

 治郎兵衛はため息をつき、純かたは膝をトントンと叩いた。

「では外務大臣、お伺いします。我らは呂宋にて勝ちはしましたが、多くの命を失い、船も沈み、城も修繕が要り申した。よくよく考えれば、その償いの銭も領土も、イスパニアから得てはおらぬではありませぬか」

「さよう、台湾は我らが頭となって領有しておるが、呂宋は違う。首長たちからは自治を認めてくれるなら、我らに従うとの申し出は、もう何年も前から出ておるのだ。これが何を意味するか。我らは彼らも守らねばならぬという事です」

 海軍大臣の深堀純賢の発言に、治郎兵衛も同意する。海軍も陸軍も、敗戦にはならなかったものの、その一戦で大きな痛手をおった事に変わりはない。

 文永・弘安の元寇げんこうと同じく、得るものがないのだ。それに平和など得られていない。スペインはすぐ南のセブ島にいるのだ。

 ポルトガルと二分しているといっても、スペインは世界帝国である。キリスト教の布教とあわせて世界征服を企んでいたとしても過言ではない。

 キリスト教の布教という点で言えば、明らかにポルトガルに分がある。中国本土はもちろん、東南アジアや日本でも着実に信者を獲得しているからだ。

 しかしスペインは、フランシスコ会やドミニコ会をフィリピン総督の代理として小田原に送っており、氏政に謁見している。
 
 現在のフィリピン総督は3代目のフランシスコ・デ・サンデ・ピコンだ。

 スペインは虎視眈々こしたんたんとフィリピンの征服を考えているのは明らかだが、それがいつで、どの程度の規模なのかは全く予想がつかない。

「ふむ……。3人の考えは良くわかった。イスパニアが敵だと言う事に変わりはない。利三郎よ、外交で事がすめばそれに越したことはない。されど、今の段階で外交をして我らが得られるものはないのではないか?」

 確かに何もない。賠償金を請求したところで払うわけはないだろうし、不戦協定など結ぶはずもない。今はたまたま・・・・戦闘が起こっていないだけなのだ。
 
 停戦すらしていない。
 
 戦闘はあったが、宣戦布告がない以上、厳密には戦争ではない。しかし、純正達の論理がスペインに通じるはずもないのだ。

「それは、確かに……」

 利三郎にしては珍しく歯切れが悪い。

「よし。イスパニアに関してはいつ開戦となっても良いように準備をするとして、時期に関しては情報を集め、精査してから決める事とする。皆の者、いかがじゃ?」

 純正は決を採る。外務省は反対(慎重)姿勢であったが、純正はそれに対しては何も言わない。むしろそこで迎合して、賛成に回る方が嫌だと思っている。
 
 同時にポルトガルとの外交ルートを通じて、スペインの動向を探ることにした。
 
「台湾と呂宋の陸軍を増強しなければならぬな。新鋭艦を随時第1~第3艦隊に配備して、海軍も同じく増強しよう。明の動向もつぶさに調べねばならぬな。千方よ、明と琉球はいかがじゃ」

「はは」

 短く返事をした藤原千方が明と琉球の情勢を話し始めた。
 
 琉球では3年前の天正元年4月に尚永王が即位し、その治世となったが、王として特筆すべき点はない。

 暴君という訳でもなく、改革を行って琉球を良くしていこうという賢君でもない。朝議で決まったことに判を押し、つつがなく流れ作業のように政治が行われていた。

 為政者として言えば、数えで12歳になっていた王世子の尚寧の方が賢君になるであろうとの噂があったくらいである。

「その琉球でございますが、現国王の尚永はいたって普通の王であり、外交を司る伊地親雲上ぺーくみーと長嶺親雲上が、それぞれ外交と財政に功ありとして昇進しております」

「ふむ」

「伊地親雲上が正二品三司官座敷の親方うぇーかたとなり、長嶺親雲上が従二品紫官の親方となって朝廷内で力を持つようになっております」

「そうか、その2人は聞いている。よく善政を敷いては民の信頼も厚く、親小佐々で有名なのであろう? 昇進したのか」

「は。ただ朝廷内の気運としては、以前からあった、明国の支配から離れて小佐々に与するというものが、いよいよ現実味を帯びてきたのでございます」

「その儀については、外務省からも報告がございます」

 外務省、異国渉外局の景てつ玄蘇である。

 

 スペインへの対抗姿勢を強める純正は、否応なしに琉球と明国、女真や朝鮮との関わりあい方を決めなければならなかった。

 次回 第619話 琉球王国、日本(小佐々)に冊封? 明西同盟成立と揺れ動く極東情勢
 

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