第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

 天正八年九月十八日(1579/10/8) 

 徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。

 景勝・景虎両陣営の和睦を図っていた勝頼の策は、家康の奥三河侵攻により破綻するのである。その後は春日山城周辺にあって、景虎側への抑止となった。

 当然氏政は、この勝頼の行動を非難し、敵対心を露わにした。
 
 しかし景虎の救援が優先である以上、非難するのみに終わり、氏照・氏邦が樺沢城を奪取して坂戸城奪取に取りかかるも、冬の到来を前に撤退せざるを得なくなったのだ。




 ■天正八年十月八日(1579/10/27)  京都 大使館
 
「景虎方の兵糧がかなり厳しいようですな」

 純久は刻一刻と入ってくる情報を見ながら、純正に語りかける。

「そのようだな。叔父上、もう石炭ストーブの準備か?」

 旧暦の10月である。それに戦国時代は小氷河期で今よりも寒い。そのため日によってはかなり寒い日もあり、ストーブがあるのに、寒さを我慢する必要も無い。

「ええ。暑さをしのぐぐことは能わぬが、寒さはこうやって炭を入れれば事足りる。使用人が番をしておりますから楽ですぞ」

「争いがないというのが一番だな。幸いにして俺には嫡男もいるし、次男もいる。跡継ぎ争いにはならんだろう」

「上杉のこれからは、あまり気にしていないようで」

 純正は確かに関心が無かった。
 
 別にどちらが勝ったとしても、味方になるか敵になるかである。それに北条はいずれ敵になるだろう。武田にしてみても地政学的な面で考えて、景勝に味方するのは予想できた。

「まったくない、という訳でもない。戦が始まればいつの世も困るのは民であるからな。越後の民は不幸よな」

「誠に。そういえば、岐阜の会談はいかがでございましたか?」

「うむ。問題なかろう。中将殿も元を辿たどればわれらと考えは同じ。天下への野心はあるが、今その野心を持っても民が苦しむだけだと仰せであったよ」

 純久は驚いた。

「中将様は、野心があると仰せだったのですか?」

「ああ、されど何も驚く事ではない。誰もやらぬのならわしがやる、という意味での野心じゃ。オレがやるならオレでも構わぬとな」

 信長は純正の事を認めて言ったのだ。
 
 純正であれば身を退いてもいいという意味だ。もちろん国力的に考えても、織田が単独で小佐々にかなうはずがない。純正もそういう意味で聞いたのではなかった。

 あくまでも気持ちの問題なのだ。純正と信長が同じ思いであれば、大同盟の中で争いは起きないであろう。大事な事は代替わりしたとしても、何代先になっても、弱体化しない制度づくりである。




「奥三河で、小競り合いがあったようですが……」

「ああ、あれか。武田と徳川の事であれば、以前から構いなしと言っておるゆえ、別段驚く事ではない。徳川殿ならこの機を逃さないだろうと思っていたが、やはりひとかどの人物だな、徳川殿は」

 こうなるだろうと見越していたが、当の武田と徳川には純正の心中は計り知れないだろう。しかし、この一件をもって三河と遠江が完全に徳川領になったのだから、今後の紛争は許さない。

 その為、大同盟が中央政府になる過程で、内部での問題は完全に無くしておく必要がある。信長も奥三河の件は知っていたが、あくまで知っていたというだけで、無関係である。




 ■天正九年二月一日(1580/2/15)  

 年が明け、雪解けを待つ前に景勝は動いた。
 
 北条の援軍が来る前に方をつけようとしたのだ。御館にこもる景虎に総攻撃をかけ、方々に火を放っては、北条勢の橋頭堡きょうとうほであった樺沢城も奪還した。

 こうなっては勢いは止められない。和睦を図ろうとして脱出した上杉憲政が景虎の長子と共に殺害され、景虎も脱出して逃亡を図ったが、途中で裏切りにあい自害して果てた。

 乱の勃発から約一年。ここに上杉家を二分した内乱は一応の終結をみた。ただし、抵抗を続ける勢力はまだあり、旗頭である景虎を失ってもなお景勝は戦いを続けなければならなかったのだ。




 ■小田原城

「おのれ勝頼め! 『約を違えて行いを共にせずは信ずるに値せぬ』だと? 我らが動けぬのを知った上での出兵であっただろうに! 確かに佐竹や宇都宮を黙らせるのに刻はかかったが、それは盟を破っても良い事にはならぬぞ!」

 氏政は勝頼の背信行為に怒り心頭であったが、後の祭りである。相甲同盟の存在価値が、日ノ本大同盟の結成により無くなった事に目を向けず、対応してこなかったのは氏政の失策なのだ。

 相甲同盟は、信玄と氏政の戦略的利益が合致して結ばれた。
 
 確かに、大同盟が成立するまでは機能していたのだ。しかし勝頼が織田・徳川と和睦して、小佐々が主導する大同盟に加入した時点で、相甲同盟は意味をなさなくなった。

 史実では長篠で大敗した勝頼は領国経営が厳しくなり、同盟を堅固にするために氏政の妹を正室に迎えているが、今世では8年前に大同盟に加盟して、長篠の戦いもない。

 国力で言えばはるかに豊かになっていたのだ。

「殿、こうなっては詮無き事にございます。それよりもまず、小佐々の上洛要請をいかがするかを考えねばなりませぬ。佐竹や宇都宮は鎮めたゆえ、上洛能わぬ由(理由)にはなりませぬ」

「ではいかがいたすのじゃ? 捨て置きたいところではあるが、そうもいくまい」

 前回、純正からの上洛要請に添えぬ理由として、佐竹や宇都宮が和睦の約定を破っては国境を侵しているので動けない、という返事をしておいたのだ。

 しかし、越後に出兵した。国境問題は解決したのだ。この上で動けない、というのは理由にならない。

「然れば……そうですな。そもそもの上洛を求めるよし(理由)は、先の海戦の顛末てんまつの説明にございましょう。さればわざと(わざわざ)上洛せずとも済む事にございます。文にて事の様を述べればよし」

「それで通るか?」

「わかりませぬ。されど内大臣様が道理のわかるお人であれば、文で済む事にもかかわらず人を寄越せとは、言いますまい。至極もっともな理屈にございます」

 確かに、戦闘の理由説明の為だけに上洛せよとは、少し乱暴な気もする。戦闘行為があった事は確かだが、被害を受けたのは北条である。先に仕掛けたのは北条だと言うが、それを証明するのは、すべて小佐々兵なのだ。

「ただし、幾分かは刻がかせげましょうが、向こうが正当な由で上洛を求めて来た時は、応ぜねばなりませぬぞ」

「……それは、致し方あるまい。良し。では早速その旨を書いて送るのだ」

「はは」




 御札披見ひけん、先の戦の事と次第を詳らかに致すことは本望に候得共そうらえども、件の上洛の求めにつき申し上げたき儀これ有候。

 そもそも此度こたびの件、案外の至りに候。

 以前わが城において、内大臣様御配下五島孫次郎殿に申し伝え候間そうろうあいだ、わざと上洛の要無しと存じ候。

 別紙にて事の端(発端)ならびにその成り行きをつぶさに書き記し候間、よくよく初中後しょちゅうご御工夫(最初から最後までご覧になって)あり、然るべき様お取りなし専要に候。

 何篇にもわが北条に表裏無きところ分明、仰せたてられるべく候事、よろしくお願い申し上げ候。

(手紙を読みましたが、過日の海戦の詳細を明らかにするのは本望ですが、その件で言いたい事があります。そもそも今回の件は予想外の事です。その事は内府様の部下に以前話したので、わざわざ上洛する必要はないと思います。別紙にて詳細を書いていますので、よく読んで善処お願いします。北条は敵対する意思もありません。その事、どうか内大臣様へお取りなしください)

 恐々謹言。

 二月一日 氏政

 小佐々治部大丞殿




 次回 第675話 (仮)『北条の返事と大同盟政府へ。ガス灯、点る』

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