第242話 『箱館ロシア領事館と大村藩、そして幕府。……やはり攘夷じゃあ!』

 安政六年十一月三十日(1859/12/23) 箱館 ロシア領事館

「さて、|如何《いか》なる|故《ゆえ》にて|斯様《かよう》な仕儀とあいなったか、しかとお伺いしたい」

 松前藩家老の松前勘解由と立石昭三郎は、ロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチを前に、憤りを抑えながら平静を装って|尋《たず》ねた。
 
 茶江での事件は、電信により三日後には箱館奉行所に伝わり、当然奉行所から領事館へ伝達されている。

 ゴシケーヴィチは重々しい表情で答えた。

「茶江での件については、貴国の奉行所より詳細な報告を受けております。目下我々も調査しておりますが、銃撃戦にまで発展し、双方に負傷者が出たという報告を受け、これが事実であれば、誠に残念でなりません」

 ロシア側は当たり前だが通信網がない。

 したがって、箱館奉行所から報告を受けてから動いたとしても、すでにかなりの時間が経過している。そして撤退したロシア兵に事情聴取をするだけであるが、そもそも時間がかかる。

「事実であれば、ですと?」

 勘解由は厳しい表情で尋ねた。

「申し訳ございません。私の言葉遣いが不適切でした。貴国からの情報を疑っている訳ではありません。ただ、貴国と我が国両国の間で発生した事案ですので、我が国としても独自の調査をし、それに基づいて行動しなければならない、こう申し上げているのです」

 ゴシケーヴィチは慎重に言葉を選びながら答えた。

 立石昭三郎は静かに、しかし強い口調で言った。

「貴国の調べは得心いたす。然れど事実は事実。銃撃戦があり、負傷者が出たことは動かしがたい現実にござる」

「その通りです。銃撃戦が起き、負傷者が出たという報告・・・・・・・に際し重く受け止めております。我が国としても、この事態を深刻に捉えております」

 ゴシケーヴィチはうなずいた。勘解由は冷静に尋ねる。

「然らば、この事態に対する貴国の見解を伺いたい」

「なにぶん情報が少なく、現時点での見解を申し上げる事は難しいですが、厳正な調査と適切な処分を本国に要請いたします」

 ゴシケーヴィチは答えた。

「なぜロシア側が日本の施設に立ち入る必要があったのでしょうか。日露和親条約で樺太は両国民混在の地と定められているはずです」

 立石昭三郎の問いに対してゴシケーヴィチは慎重に答える。

「その点については、私も詳細を把握しておりません。ペトロビッチの意図を確認次第、速やかにご報告いたします。ただ、今後同じような事態とならないように、再発防止策を講じる必要があるのではないかと考えております」

 昭三郎と勘解由は言質を取って有利に事を進めようと考えていたのだが、ゴシケーヴィチの対応は最善であった。(ロシア側にとって)




 ■安政六年十二月五日(1859/12/28) 大村

「なんだと?」

 次郎は顔を覆った。

 予想していた事ではあったが、立石昭三郎に命じて防備にあたっていたのはわずか二個小隊である。武装が優位であっても、状況によっては覆される恐れがあった。

「すぐに高島殿と江頭殿をお呼びするのだ」

「は」

 近習はすぐさま陸軍奉行の高島秋帆、海軍奉行の江頭官太夫のもとへ向った。

「御家老様、如何いかがなさいましたか」

「次郎殿、いかがなされた」

 ほぼ同時に藩庁の評定部屋へ到着した二人に、次郎は電信文を見せた。

「なんと!」

 秋帆の言葉に官太夫が続いた。

「まさか、斯様な事が起こるとは……。如何致すのですか?」

「うむ、殿の裁可を仰がねばならぬが、軍の派遣は止むを得まい。秋帆殿、陸軍の兵はすぐに動かせますか」

 そう次郎がいうと、秋帆は即座に答える。

「常在戦場、子細ございませぬ。如何ほどの兵を送りましょうや」

「そうだな……砲兵は……おいおいで、良いであろう。悪路ゆえ移送も難しかろう。まずは一個連隊1,200名を昭三郎指揮下として送りましょう。海軍はいかがか?」

「は、祥ほう・天鳳・烈鳳(各1,000t)ならびにずい雲・祥雲(各800t)、至善(400t)にて分乗させればと存じます」

「うむ」

 次郎は輸送艦の存在を軽んじていた訳ではないが、上陸戦や奪還戦を重視していたといえば嘘になる。蒸気動力による輸送艦は海軍には存在しないのだ。

 輸送能力においては帆走輸送艦を用いる事も可能であったが、風待ちなどのリスクは冒せない。

「あいわかった。某は殿に上書し、江戸に参るゆえ、支度を頼みまする」

 次郎の言葉の後に、秋帆が続いた。

「御家老様、此度こたびの部隊は、城下士(上級武士団)部隊を使いますか? それとも一般兵(下級武士・領民)部隊を?」

 こうやって分けるのも次郎は好きではなかったが、仕方がない。身分の差は歴然としてあったのだ。

「此度は……一般兵を送るとしよう。なにぶん、指揮官が昭三郎であるからな」

「は……」

 昭三郎は下級足軽の出身であった。




 ■安政六年十二月十九日(1860/1/11) 大村江戸城 評定部屋

「何事か!」

「は、火急の用件にて登城仕り、ご無礼の儀、平にご容赦お願いいたします。まずはこちらをご覧ください」




『我茶江ニテロシア兵ノ襲撃受ケリ、急ギ防衛ニ向カフ』




「な、なんと……。これは真か? ……して、我が国の民は無事なのであろうか」

 井伊直弼は次郎が持ってきた電信をみて言葉を失った。

「それはわかりませぬ。然れど斯様な事もあろうかと、我が家中の者を樺太に向かわせる手筈てはずとなっております。穏便に事を済ませるようにしておりますが、の抵抗があり、なおも続けるならば、力をもって退かせよと申し伝えております」

 井伊直弼はうなずいた。

「うべな(なるほど)。貴殿の判断は正しい。然れどこれは一家中の問題ではない。公儀として、日本国として処さねばならぬ」

「仰せの通りにございます。ゆえにここに伺いを立てた次第にございますが、もしロシアを後退せしめたならば、只今ただいまはわが家中の立石昭三郎ならびに松前家中の松前勘解由殿、加えて奉行の竹内下野守様が、領事館にて領事のゴシケーヴィチと会談している事と思われます」

 次郎は静かに答えた。

「然様か。ロシアとの関係悪化は避けねばならぬが、我が国の民と土地を守ることも重しである」

「まずは全権として岩瀬様または井上様、もしくは川路様をお遣りになり、状況を見極め、事態をまとめる事が肝要かと存じます」

「うむ……」

 直弼は何かを考えていたようであるが、意を決したように発言した。

「では川路左衛門少尉を遣わそう」

 川路聖謨は一橋派のため一時は左遷させられていたが、直弼は再び外国奉行に再任して派遣する事を決めたのだ。聖謨は日露和親条約締結の際には全権として出席しており、ロシア側の心証も良かった。

「ご英断にございます。……加えて」

「なんじゃ?」

「此度の件、如何に口止めをしたとしても、人の口に戸は立てられぬと申します。万が一不逞ふていの輩の耳に入った場合、居留地の外国人が危ういかと存じます。今以上の警備をされたほうがよろしかと」

「……うむ」




 ■某所

「おい、聞いたか? 北の果ての蝦夷地でロシア人に日本人居留地が襲われたそうだぞ」

「ああ、お主も聞いたか? 某は日本人が数名殺されたと聞いたぞ」

「やはり攘夷じょういじゃ! 夷狄いてきなど打ち払わねばならぬ。なに、いかに大砲や鉄砲が優れていたとしても、夜中に襲われればひとたまりもあるまい。もしくは移ろいのさなか(移動中)に襲えばよいのだ」

 箝口令かんこうれいが敷かれていたはずが、次郎の言うとおり人の口に戸は立てられない。そして噂は尾ひれがつくものなのだ。




 次回 第243話 (仮)『条約破棄?』

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