第250話 『土佐の勤王、それぞれの勤王。そして攘夷』

 万延元年九月五日(1860/10/18) 大村

 武市瑞山や岡田以蔵とともに大村にやってきた藤田小四郎、平野国臣、真木和泉の3人であったが、必然的に土佐グループとは分かれて行動するようになっていた。
 
 意図していたわけではなく、自然とそうなったのだ。

 大村藩の全てを見聞きして、体験する事が幕府と藩から下された命令なのだが、やがてこの大村という地は、見たことも聞いたこともない、日の本にあらざる国だということを知るのである。




 大村藩の小さな居酒屋『寿屋』。

 大村藩から与えられた宿舎では話せない内容を話すとき、要するに攘夷じょういや尊王を語るときに3人がよく使っている店である。京都でいう寺田屋や池田屋のようなものだろうか。
 
 灯油ランプの柔らかな明かりが店内を照らす中、座卓に腰を下ろしていた。

 店主の佐藤久兵衛が笑顔で近づいてくる。

「いらっしゃいませ。今夜は何にいたしましょう」

「では、冷えた麦酒をいただこうか。あとは旬の刺身をいただろう」

 平野国臣が答えた。

「かしこまりました。麦酒と刺身でございますね」

 真木和泉も藤田小四郎も同じものを注文すると、久兵衛はうなずきながら奥へ下がった。

「平野殿、藤田殿、これまで色々と見てきたが、この大村家中、この地を如何いかが思う?」

 真木和泉が周囲を見回しながら、小声で話し始めた。

「正直、戸惑いを隠せませぬ。街を歩いて見聞きしたもの、弘道館と同様の五教館に赴いて聞いたもの、全てと言っていいが、まるで知らぬことばかりです。いや、確かに弘道館と同じように国学や四書五経も教えているのですが、蘭学の量が比ではありませぬ」

 藤田小四郎がそう言って腕を組む。

「ふむ。待ちゆく人々の装いもそうだ。西洋の着物をまるで当たり前のように着ておるではないか。これが……西洋の技というものかもしれぬが、お二方、お気づきにならぬか?」

 国臣が小四郎と和泉の顔を交互に見ながら続ける。

「公儀が開国を許し、通商を約してから二年もたたぬのですぞ。如何いかにして斯様かようなものをこしらえ、広め、使うこと能うのでしょう? しかも市井の者達も、なんの疑いもなく」

 和泉が深くため息をつき、静かに答える。

「然様、その儀は某も不審に思うておったのだ。まるで……」

「……まるで、この地がずっと以前から開国していたかのようにございます」

 国臣が和泉の言葉を引き取った。

「然れど、それはあり得ぬのではございませぬか? 如何に長崎に近かろうとも、公儀に黙って勝手に開国などできようはずもございませぬ」

 小四郎が眉をひそめた。

「そうだな」

 国臣がうなずく。

「だが、事実として我らの目の前にあるのは、まさにそのような光景だ」

 和泉が周囲を見回してから、さらに声を潜めて言った。

「二人とも、太田和次郎左衛門という人物についてだが」

「ああ、大村家中の筆頭家老で、いかなるお方かは存じませぬが」

 小四郎が答えた。

 そうだ、と和泉がうなずく。

「どうやら、この家中の急なる変化はその方の手によるものらしい……」

 この時、久兵衛が麦酒と刺身を運んでくる。3人は一旦会話を中断し、料理に手をつけた。

「店主、つかぬことを伺うが、この地のはいつ頃からこのように栄えておるのだ?」

 久兵衛は少し考え込むような表情を見せてから、答えた。

「そうですねぇ……太田和様が家老になられてから、この地も随分と変わりましたよ。もう二十年ほど前のことでしょうか」

 久兵衛は周囲を見回してから、さらに声を落として続ける。

「ですが、最初から斯様な様ではございませんでしたよ。石けんや街道の整え、塩や味噌などの産物の改良は十年以上前からでしたが、ガス灯やアーク灯、石炭ストーブに石油ストーブ、氷や冷蔵庫、灯油などはここ五年、十年の話ですね。はじめに聞いた時は何物かと思いましたが」

 だとしても開国前だ。

「して、民は如何なのだ。急なる変化に戸惑い、職を失ったり暮らし向きが悪くなったり、不安に思うたり、不平を言うものはおらぬのか?」

 国臣が驚いた様子で尋ねるが、店主の答えは単純明快であった。

「不安? 不満でございますか? はて、大村の領内で然様な事、聞いたこともございませぬ。もしあったとしても、『言路洞開』という殿様のお達しで、悪辣な誹謗ひぼう中傷でなければ誰も文句はいいませぬし、改める点があればすぐに改めてくれまする」




「……ありがとう店主」

 真木和泉はそう店主に礼をいった。

 国臣は深くため息をつき、静かに口を開く。

「今我らが目にしているこの大村家中の姿は、まさに西洋の仕組みを取り入れたもののようだ」

「確かに。言路洞開などという制度は、西洋の議会制度に似たものかもしれない」

「だが、ここで成功したからといって、他の藩でも同じように上手くいくとは限らないのではないか」

「そうだ。土佐や水戸、はたまた福岡や久留米、全国の藩でこのような仕組みが受け入れられるとは思えん」

「そもそも、これほどまでに西洋の制度を取り入れれば、我らが日の本の秩序が根本から覆されてしまうのではないか」




 3人の議論は続く。

 便利で効率的な西洋の文物ではあるが、それがために日本の古来からある風習や伝統、心のあり方や武士道のようなものが廃れてしまうのではないか。
 
 それこそがけがれであり、神州である日本を侵すものではないか、という葛藤に苛まれる事になる。




 ■ある日曜日 大村海軍 輝鷹艦上

「しかし龍馬よ、おんしは本当に大村屋敷と軍艦への出入り自由じゃったんじゃの」

 あごに手をやって考え込みながら聞いてくる武市瑞山に対して、龍馬は海を見つめながら穏やかな口調で答える。

「そうよ、アギ。次郎様のおかげで、自由に出入りできるようになったがよ。最初は驚いたけんど、今では当たり前のように感じちゅう」

 瑞山は眉をひそめた。

「然れどそれは異常なことではないがか? 家中の秘となる黒船への自由な出入りを、他の家中の者に許すなど」

 そう答える瑞山に対して、龍馬は笑いながら返事をする。

「アギよ、それが次郎様の懐の広いところなんよ。まあもっとも見られたところで真似はできまいと、そう考えちゅうかもしれんがな」

「……その太田和様にはお会いしたことがないゆえ、なんとも言えぬが……。そういえば龍馬、このまえ、最初に乗った……飛龍じゃったかの? あれは朱塗りであったが、他の船はまったく違うのう?」

「ああ、ありゃもとは大村の殿様の御座船じゃったんじゃよ。ほんじゃけんどなんべん乗るかわからん船に金をかけてもしゃあないと、殿様も同意の上でそれからは他の船と同じにして、乗るときだけ特別な旗を掲げるようになったんじゃ」

「なんと……家中の殿様までもが、然様な考えを持っているとは」

 筆頭家老だけでなく、藩主も特別な人のようだ。瑞山は驚きの表情を隠せない。そんな瑞山を尻目に龍馬は続けた

「そうよアギ。大村の殿様は、無駄な贅沢を省いて、その分を家中が栄えるために使うことを選んだんじゃ。これが大村家中の強さの秘密かもしれんのう。知っておるか? 蝦夷地の樺太で傍若無人な振る舞いをして居座るロシア人を、この大村家中の兵と軍艦が追い払ったんじゃ。この家中の強さが如何ほどかわかるじゃろう」

 おおお、というざわめきが起こり、以蔵が発言した。

「じゃ、じゃあ……わしは難しいことはわからんけんど、この大村家中が公儀と合力し、さらに日の本一丸となれば、攘夷は成るのではないがか?」

 龍馬は以蔵の言葉を聞いて、少し考え込むような表情を見せた後、ゆっくりと答えた。

「以蔵、その考えもわかるがよ。確かに大村家中の軍の力は凄まじいもんじゃ。けんど、攘夷というのは、ただ力で追い払えばいいというもんじゃないんよ。それに第一、わしは無論じゃが、おんしらも土佐の殿様の命にてここに来ちゅうがぜよ。殿様は攘夷に賛成なさっておるのか? 公儀が開国なら、それに従って土佐も開国に同じて(同意して)いるんじゃないがか?」

 瑞山と以蔵は龍馬の言葉に一瞬言葉を失った。しかし瑞山が深いため息をつきながら、ゆっくりと口を開く。

「確かに……殿も、今は表向き開国に同じておる。然れど攘夷こそが日本を救う道であり、殿もいずれ我らに同じでくださると信じておる」

「そうじゃ!  我らの志は尊王攘夷。それは変わらぬ」

 以蔵が熱を帯びた声で続けた。瑞山に心酔しきっているようだ。

「アギ、以蔵、わかっちょる。けんど、よく考えてみい。尊王攘夷の本当の意味は何じゃ?  日本を守り、強くすることじゃないがか?」

 龍馬は二人の様子を見て、穏やかに言った。

「そりゃそうじゃけんど……」

 瑞山が眉をひそめて言うと龍馬は続けた。

「大村家中のやり方を見てみい。確かに西洋の技を取り入れちょる。けんど、それは日本を強くするためじゃ。樺太でロシアを追い払ったのも、その力があったからこそじゃろ」

「然れどそれでは、我らの目指す日本とは違うのではないがか?」

 以蔵が困惑した表情で言った。

「以蔵、目指す日本とは何じゃ? いずれにせよ日本を守り、強うすることに変わりはなかろう? 強うなかったら守れん。ただ、その策が違うだけながよ。大村家中のやり方も、我々の志も、根っこは同じじゃないか思うがよ」

「……」

 瑞山がゆっくりとうなずいた。

「うべな(なるほど)……単なる攘夷ではのうて、より深い意味での独立を目指しちゅうというわけか」
 
「そうよ、アギ。これからの日本にいるながは、ただ外国を追い払うことがやない。世界と渡り合える力を持ちながら、日本の魂を守ること。それこそが、まっこと攘夷であり尊王なんやかと、わしは思うがよ」

 龍馬は笑顔で答えた。

「龍馬……お主の言うことも分かる。然れど、我らがこれまで信じてきたものを簡単に捨てることはできん」

「わかっちょるアギ。すぐに答えは出んでもええ。ただ、ここで見たこと、感じたことを、しっかり心に留めちょいてくれ。これからの日本のために、きっと役に立つ思うがよ」




 攘夷志士の見聞は……体験はまだまだ続く。




 次回 第251話 (仮)『公武合体と幼い少女』

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