万延元年十二月九日(1861/1/12)
吉之助(西郷隆盛)にとって幸いだったのは、横浜から大阪を経由して鹿児島、長崎、大村を往復する小曽根大浦海運の客船(輸送船)が一日、五日、十日、十五日、二十日、二十五日と運航していた事だ。
四日に江戸の薩摩藩邸で聞いた吉之助は、五日の便に乗り、四日後には鹿児島に到着していた。
「市来殿! 市来殿! 殿は! 殿は!」
「お(落)てつ(着)っなされ、吉之助さあ。おい! だいか(誰か)水をもて」
息を切らせて城下の武家屋敷にやってきた吉之助は、市来四郎の邸宅を訪れ、事の次第を聞こうと詰め寄ったのだ。運ばれてきた水をぐいっと一気に飲み干すと、ふう、と一息ついた。
「通夜と葬儀が終わり、十一日に初七日を迎ゆっところじゃ。それまでに吉之助さあ、お焼香を済ませっせぇ、殿にお別れをゆ(言)てくればよか」
「殿、殿……」
吉之助は誰憚ることなく号泣した。師として慕い、敬った人生の航路そのものであった斉彬が死んだのだ。
「吉之助さあ……」
四郎が声をかけるも、吉之助には届かない。しかし、伝えなければならない事がある。
「吉之助さあ! 聞いてくれ。どげんしてん(どうしても)伝えちょかんにゃならん事があっど」
四郎は語気を強めて再び声をかける。ちょうどその時、小松帯刀が入ってきた。帯刀は尚五郎と呼ばれていた頃、五代才助と一緒に大村の海軍伝習所で学んでいたのだ。
五代才助はこの時、斉彬の命令で琉球にいた。幕府の取締令の隙をついて琉球経由でフランスから軍艦を購入しようと考えていたのだ。もちろん、大村藩にも同様の打診はしていた。
「おお! 吉之助さあ、戻ってきたか」
帯刀は吉之助にそう声をかけるが、四郎が遮る。
「帯刀さあ、それよりも……」
ああ、うむ、と帯刀は居住まいを正し、四郎とともに吉之助に向かい合った。
「殿の死には不審な点がある」
吉之助の動きが止まった。しばらくして豹変した顔とともに大音量の声が響いた。
「そいはどげんこっ(事)じゃ! 殿の死になんかうたげ(疑い)が……」
慌てて帯刀と四郎が立ち上がっている吉之助の口を塞ぎ、座らそうとする。
「声がふ(大)て! だい(誰)かに聞かれたらどげんすっつもいだ!」
「そうだ吉之助さあ、おてちい(落ち着い)て、まずはおてちい(落ち着い)て話を聞きやんせ」
四郎と帯刀が吉之助をなだめ、座らせてから話は始まった。
「毒殺?」
吉之助が大きくなりそうな声を必死でこらえて言った。
「まだわからん。そんうたげ(疑い)があっとじゃねか、ちゅう事だ」
四郎の言葉に吉之助は、どういう事だ? と聞き返した。
「帯刀どん、話したもんせ」
四郎が帯刀に話を振った。
「実ちゃな(実はな)、殿ん命(命令)で吉之助さあもこけおっわけだが(ここにいる訳だが)、殿が倒れやった時、いっき(すぐに)匙医を呼んだのだ。来た時にはすでに、であったがな。胃ん臓や心ん臓に病があったわけでもなか(ない)、虎狼痢(コレラ)やそん他ん病気なら、兆しがあっそうだが、此度はまったくなく、いきなりじゃった」
「そいは一体……」
吉之助は帯刀に詰め寄った。
「そこでな、こいも殿ん先見ん明なんだが、大村から医者を呼んで家中ん(に)医学ん(の)指導をさせちょったで、そん医者を呼んだど。そしたや、そん医者曰く、青酸カリやもしれん、と」
「……まさか、毒、か?」
帯刀の発言に吉之助は言葉を失った。
「そうだ」
「一体誰が……」
吉之助の言葉に、重苦しい沈黙が流れる。
「確証はなか。だが、殿ん改革に反対すっもん(者)はおった」
「家中ん保守派も不満を持っちょった」
市来四郎が口を開くと、帯刀が付け加えた。
「殿は薩摩んために尽くされちょったんに」
吉之助は拳を握りしめ、怒りを露わにする。
「落ち着きやんせ」
帯刀が諭した。
「軽はずみな行いは家中を危ううすっ(危うくする)」
「証拠を集めんにゃ。然れど慎重にな」
帯刀の言葉に四郎がうなずき、吉之助は深く息を吐く。
「わかった。だが、殿のかたきゃ(仇は)かならし(必ず)う(討)っ」
「今は家中の団結がかんにょ(肝要)だ。殿の遺志をつっこっ(継ぐ事)がくよん(供養に)なる」
帯刀が言った。
「まずは初七日と四十九日、こいなんど(これら)を済ませ、密かに真相を究明しよう」
四郎の言葉とともに3人は互いにうなずき合い、立ち上がった。
(殿、必ずや殿の思いを実現します……)
■万延二年一月七日(1861/2/16)
「阿呆阿呆阿呆、この世の中は馬鹿ばかりか? 何故斯様な事を起こすのだ。外国人一人斬ったところで何が変わるというのだ?」
小栗上野介は国内財政(幕府財政)の立て直しと殖産興業、軍備の増強やその他諸々の業務に追われていた。岩瀬忠震と二人で安藤・久世政権の屋台骨を支えるべく奮闘していたのだ。
こういう1文にもならず、誰のためにもならない行いを、上野介は嫌悪していた。
「豊後守よ、此度は死なずにすんだゆえ、領事館への見舞いと謝罪で事なきをえたが、慰労金はいかほどいるであろうか」
安藤信正の問いに対して上野介はぶっきらぼうに答える。
「死んでいたら……洋銀で1万弗は要ったでしょう。此度は生きております故、治療費、もこれは日本人の医者がやったとなればこちらが払えば、アメリカ側には少なくて済みましょう。それよりも外交上の問題となりますので、それを考えれば、5千弗程度は要るかと存じます。まったく、今は一両でも一文でも惜しいのに。馬鹿にはつける薬はありませんな」
吐き捨てるような言葉だ。
「この先、斯様な事が起きぬよう、領事館の警備はもとより、要人の移動中の警護も増やしていただくようお願いいたします。まったくそれも金がかかる……」
上野介の言葉に岩瀬忠震が続ける。
「此度の治療、大村家中の長与俊之助という者が行ったようにございますぞ」
「……また大村家中、でございますか。いやいや、此度は彼の者等のおかげで事なき、ではありませぬが、死なせずにすんだのです。治療費とは別に十分な謝礼をせねばなりませぬ」
「あい分かった」
幕閣としては借りを作りたくない相手であったが、そうそう返せないほどの大きな借りとなったのであった。
■大村藩 次郎邸 <次郎左衛門>
「はあ……。ヒュースケンの暗殺未遂に、島津斉彬の不審死と、起こるべき事が起こらずに、というか歴史がぐちゃぐちゃになってきているぞ」
倒幕や戊辰戦争なしにゆるふわソフトランディングを目指していたオレとしては、歴史の強制力? 矯正力? とでも言う出来事だよ。ヒュースケンの未遂はオレが指示した事だけどさ。
仕事は藩庁でやるもんだけど、家に仕事は持ち込みたくないが、どんどん入ってくる。
「ジロちゃん、そんな事いっても全部を変えようと思っても無理なんじゃない? 100%は無理でも70%とか80%で納得しないと、メンタル持たないよ」
膝枕をしてくれているお里がそう言って慰めてくれる。
「まあ、そうなんだけどね」
「おう! 相変わらず仲がいいねえ」
一之進とイネちゃんが入ってきた。
……お前もだろ? いっつも一緒だ。まあ同じ医者だからな。
「おう、どした?」
「うん、3年かかったけど、やっと輸血と献血、血液保存が実用の目処が立ったから報告しにな。お前が言ってた歴史なら、この先たくさんの血が流れるだろ? せめてここ大村と京都、建設予定の江戸病院でできるようになれば、だいぶ変わってくるからさ」
まじか! 確か献血とかその辺の実用化って20世紀じゃなかったか?
「血液型の発見も保存方法も20世紀に入ってからだからな。クエン酸を使って試行錯誤したよ」
うん、一之進。お前はすごいよ。いくら現代(21世紀)の医者だったとしても、この時代に50年先の医療を再現させるなんて。うーん、一之進や信之介に比べると、オレがやってるのって見劣りすんのかね……。
「お、いたいた。なんだ、一之進もいたのか」
今度は信之介だ。
「次郎、江戸や京都ばっかり行ってて、領内の各部署の視察あまりいけてないだろう? 概要は報告が入っているかもしれないけど、一応な。里やん、蘭印で稼働してるゴム工場の件で報告があるって産物方が行ってたよ。それから……」
ゴム工場とは佐久間象山が開発した加硫ゴムの工場の事で、大村藩内に設置していたのだが、その後すぐにオランダと交渉して、ライセンス生産としてオランダ領インドシナ(インドネシア)にも設置していたのだ。
詳細はしらないけど、グッドイヤーと世界シェア? を二分しているらしい。
「儀右衛門さんの金属薬莢は進んで十九式の単発から連発のものを開発中だ。それから転炉だが、どうやらお前の心配してた問題も解決しそうだ。炉壁の素材の選定と製造に時間はかかったがな。クルップ砲は模倣しても材料の鋼鉄が足りずに不可だったが、これでなんとか、同じように製造できそうだ」
やっぱりすげえよ、お前ら。オレ1人なら絶対無理だ。
「うむ。あい分かった」
「 「何言ってんだお前!」 」
わはははは! と笑いが起きる。この瞬間が1番好きだな。ずーっとこうしていたい。
しかし、歴史はそれを許さない。
次回 第255話 (仮)『ロシア軍艦対馬占領事件』
※平均7ktで航行。蒸気船を2隻で運用。片道の時間は、850海里(約1,574km) ÷ 7ノット=約121時間=約5日間に設定。
※3年かかったけど(第212話参照)
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