第262話 『イギリスとフランスの思惑と攘夷の志士』

 文久元年八月十二日(1861/9/16) 大村

「それ見た事か! やってくれた、やってくれたぞ大村の家中が!」

 真木和泉は声高に叫んだ。

「これまで公儀の弱腰で異国のいいようにされて参ったが、まこと、胸のすくような仕儀にござる!」

「ええ、まさかロシアの軍艦を沈めるとは! ……然れど大村家中は異国と盛んに交易をして、国を富ます政治だったのではありませぬか?」

 平野国臣の声に藤田小四郎が反応し、質問を投げかけた。

「然様な事は些事じゃ。やはり攘夷じょういの心はあったのであろう。そうでなければ軍艦を沈めたりはせぬはずじゃ」

 真木和泉も平野国臣も藤田小四郎も、次郎がロシア軍艦を沈めた経緯を知らない。ただの攘夷行動で、やられっぱなしの日本が夷狄いてきに一矢報いた! 程度の認識しかなかったのだ。

 情報を知る者と知らない者の差が、ここで出たと言えよう。

「これで決まった。御二方、武市殿の元へ向かい話をして、その勢いをもって城代様へ我らの意向を示しに行こうではないか。攘夷、決行すべし、と」

「おお!」

 平野国臣は大いに同意したが、小四郎は疑問の念を拭えなかった。




 ■大村藩 川棚市中 海交社クラブ

 海交社は大村藩海軍の外郭団体であり、小曽根乾堂や大浦慶などの有力商人や地元の名士などが、様々な面で海軍を支援するために設立した団体である。

 大村と川棚にクラブがあり、これは福利厚生とともに海軍士官としての素養を身につけるためのものだが、陸軍にも同じように陸交社と呼ばれるものがある。

「ほんじゃあきに(だから)、そがな(そんなに)単純な話やないがぜよ。あ、すまん。お水おかわり!」

 カレーをもしゃもしゃとほお張りながらそう語るのは、安政七年(2年前)の十二月に海軍伝習課程に入り、塾頭(学生長)として塾生(課程学習生・大村藩以外)をまとめている坂本龍馬である。

「ほんならなんでロシアの軍艦を沈めたがじゃ? それにこれで、我が国にも夷狄に対して戦えるという証が立ったやないか。そのために、こん時の為に、大村家中は異国の文物をこれまで取入れてきたがやないがか?」

 武市瑞山(半平太)は話の腰を折るような龍馬に問いかけ、傍らの以蔵もうなずきながら龍馬を見る。

「そう単純には行かんのよ。確かに御家老様はロシア艦を撃沈したけんど、そりゃ攘夷思想からやない。御家老様の行いには、もっと深い理由があるがよ」

 龍馬は口元を拭いながら、瑞山の熱意を冷ますかのように冷静に語り始めた。海交社の他の会員たちも、この話に耳を傾けている。

「大村家中が西洋の知識を吸収してきたがは、ただ夷狄と戦うためやない。世界の情勢を理解し、日本の立場を守るためなんや」

「じゃあ、どういて(なんで)軍艦を沈めたがか?」

 瑞山は眉をひそめたが、龍馬は水を飲んだグラスを置き、真剣な表情で説明を続けた。

「ロシア艦の行動が、国際法と我が国とロシアが結んだ条約に反しちょったきよ。彼奴らは日本の領海を犯し、許しものう測量をしちょった。対馬の殿さんは交渉を試みたけんど、ロシア側が応じんかった。御家老様が行ってさらに話をしたけんど、らちがあかん。ほんじゃあきに(だから)最後の手段として、攻撃に出たがじゃ」

 以蔵が考えつつ、口を挟む。

「つまり、攘夷ではのうて、当然とるべき正しき防衛いうわけか」

「そのとおり。こりゃあ単なる攘夷やない。国際社会で認められるルールに則った行いながや」

 龍馬は瑞山と以蔵の問いに答えているが、瑞山に以蔵とともに随行してきた久松喜代馬と島村外内は、頭が混乱している。

 異国は夷狄であり、神州をけがすものと聞いていた。そのため打払うのが道理であり、それをやらぬ幕府は腰抜けだと仲間内では言っていたのだ。

 幕府と同じように開国を推進し、異国かぶれの大村家中などに行って何を学ぶのか? という中での対馬での打払い令を体現したかのような撃沈事変である。

 それが攘夷でなくていったい何なのだ?

「要するに攘夷いうがは、故を問わず夷狄を打払えという考えやけんど、此度こたびの大村家中の行いは、彼奴らが我らの侵されざるべきを侵したために、打払ったがゆう事か? 正しき故あっての行いじゃったという事か?」

 瑞山が3人を代表するかのように聞いた。

「その通りや」




 対馬事変は攘夷志士を燃え上がらせたが、龍馬達の考えを聞く内に、少しずつ変わってきたようだ。さて、京都の志士は、長州の志士はどうだろうか?




 ■横浜 某所

「さて皆さん、初見の方はいらっしゃいませんね?」

 次郎は全員と何度か面識があり、川路聖謨も外国奉行の職制上で面識があった。

「実は本年の三月・・に起きたロシア帝国の対馬島侵入ならびに測量等一連の事案と、日本人射殺による我が海軍のロシア軍艦撃沈について、各国の見解を伺いたく、お呼びいたしました」

 次郎はそう言って、川路、オランダ公使、イギリス、フランス、アメリカ公使を見回した。

 横浜の某所に集められた外交官たちは、次郎の言葉に耳を傾ける。部屋の空気は緊張感に満ちており、各国の代表者たちは互いに視線を交わしながら、次の展開を待っていた。

 次郎は姿勢を正し、それぞれの顔を見つめた後、決意をもって確認する。

「まず、ロシア帝国の行動について、各国のお考えをお聞かせいただきたい」

「対馬島への無断上陸と測量は、明らかに日本の主権を侵害する行為です。国際法上、許されるものではありません」

 最初に口を開いたオランダ公使のヤン・カレル・デ・ウィットは、あごと口に手を当てて、慎重に発言した。懇意にしている日本に有利な発言だが、他の国を威圧する事がないように、最初にやんわりと発言したのだ。

「同感です。ロシアの行動は、日本との条約にも違反しています。我が国としても、このような行為は容認できません」

 イギリス公使のラザフォード・オールコックはそう言って椅子に深く腰掛け、腕を組んだ。
 
 フランス公使のギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールは、お前がそれを言うかと言わんばかりの顔をしたが、それ以上の事はなく、やがて発言する。

「私も同意見です。しかし、この事態をどのように終わらせるかが問題ですね」

 イギリスは以前、2度にわたって対馬を測量し、上陸をしていたのだ。これがロシアの今回の行動の遠因とも考えられる。

「ロシアの行動は確かに問題がある。だが、日本側の対応も極端すぎたのではないか?」

 アメリカ公使のタウンゼント・ハリスは眉をひそめ、テーブルを軽く叩いた。

「我が国としては、領土を守る正当な行為だと考えています。しかし、国際社会の理解を得ることも重要だと認識しています」

 川路聖謨は静かにせき払いをした。

 次郎はこれらの意見を丁寧に聞き入れ、要点をまとめつつ、議事を進行する。目は真剣さを増し、部屋の空気はさらに引き締まった。

「皆様のご意見、誠にありがとうございます。では、我が国の対応について、どのようにお考えでしょうか」

 しばらくの間発言が止まり、各国がそれぞれ副官やその他のスタッフと話をしている。

「自衛権の行使という観点からは理解できます。ただし、外交的な解決策をもっと模索すべきだったかもしれません」

 とデ・ウィット。

「日本の対応は強硬すぎたと言わざるを得ません。しかし、ロシアの行動を考えれば、ある程度の反応は致し方ないかと」

 オールコックは落ち着いた様子で発言するが、続いてベルクールは紅茶を一口飲んで話を続ける。

「両国の関係修復が課題となるでしょう。我が国としては、この問題が平和的に解決されることを望みます」

「軍艦の撃沈は極端な措置だ。だが、日本の主権を守るという点では理解できる。今後の外交交渉が重要になるだろう」

 ハリスはヒュースケンの一件がまだ尾を引いているようだ。

「我が国としては、国際法と条約に基づいた正当な行為だと考えています。ただし、今後の対応については慎重に検討していく所存です」

 川路は背筋を伸ばし、落ち着いた声で述べた。

 次郎は各国の意見を注意深く聞き、うなずきながらメモを取る。部屋の中は熱気に包まれ、外交官たちの真剣な表情が、この問題の重大さを物語っていた。

「皆様のご意見を拝聴し、大変参考になりました。我が国としても、国際社会の一員として責任ある行動を取る必要があると認識しています……そこで」

 次郎はいったん話を区切って、全員の顔を見回し、発言する。




「度重なる警告にも耳を傾けず、自国民が射殺されるような、今回同様の事態になったら、どうなさいますか?」




 次回 第263話 (仮)『列強の国際法』

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