天正十八年十二月二十三日(1590/1/28) <フレデリック・ヘンドリック>
寒い! 寒い寒い寒い!
オランダの暖房は、ほとんどが暖炉だ。
オランダというよりその当時(今)のヨーロッパの主流が暖炉なのである。1475年にフランスで初めてのストーブが作られ、オランダやドイツでも製造されていたが、普及はしていなかった。
ここアムステルダムの居館でも、兄貴の寝室と執務室、それから大広間など数ヶ所にしか設置していない。夜になるとさらに寒いのだ。
「ねぇヤン、どうして他の部屋にはストーブがないの?」
「はい、費用の問題です。受注を受けてから職人が一つ一つ作り上げていくものですから」
「そういうものなんだ。時間もかかるの?」
「ええ。鋳物師の手仕事ですから、一台作るのにも相当の時間を要します。フランスでもドイツでもオランダでも、大きな工房でさえ在庫は持たないそうです。ポルトガルの工房も同じように」
「ポルトガル製も?」
「はい。ただ、セバスティアン1世陛下が同盟国のジパングから得た技術を取り入れ、鋳造の方法を少し変えているとか。それで注文が集中しているようです」
またジパングか。
日本である事は間違いない。詳しい情報はわからなかったが、どうやら今世の日本はかなり技術が発展しているようだ。製鉄や鋳造などはヨーロッパの方が進んでいるはずなのに……。
「ジパングの技術ってどんなの?」
「金属の加工が非常に優れているそうです。特に鉄を扱う技術は、ヨーロッパを凌ぐとも」
なるほど。刀剣製作の技術がストーブ作りに活かされているのか。それとも独自の発展を遂げている?
「兄上の部屋のストーブもポルトガル製?」
「いいえ、あれはフランス製です。ポルトガル製は注文しても、なかなか手に入らないと」
そうか。需要が供給を上回っているんだな。となると……。
「ねぇヤン、兄上に会いたいんだけど」
「公爵様でしたら執務室に」
「うん、わかった!」
オレは兄貴の執務室に向かった。室内でも暖炉から離れると寒いが、廊下はもっと寒い。屋敷全体をヒーティングするにはどうすればいいんだろう? 無理かな。
執務室の中では、窓際の机で兄貴が何かの文書に目を通していた。
「兄上!」
「フレデリック、どうした?」
オレは震える手を温めながら、兄貴の机に近づいた。窓の外では雪がちらつき始めている。
「ねぇ、ポルトガルからストーブ買えないの?」
突然の質問に、兄貴は文書を机に置いた。
「ストーブ? 突然どうしたんだ?」
「だって寒いもん。それに兵士さんたちも寒そうだよ。野営の時なんかはたき火なんだろうけど、暖炉なんて作れないでしょ? 持ち運びできるストーブがあれば便利だよ」
オレは暖炉の方に歩み寄りながら答えた。
兄貴は椅子から立ち上がり、オレの近くまで歩いてきて同じように暖を取る。その目には明らかに興味の色が浮かんでいた。執務室の暖炉に従者が新しい薪を投げ入れる音が響く。
「確かにな。ポルトガル製は評判がいいと聞くが……」
兄貴の言葉に、オレは思わず身を乗り出した。
「ねぇ、調べてみない? セバスティアン1世って、お父様の友達だったでしょ?」
「ほう、そこまで知っているのか」
「実はな、すでにポルトガルとは交渉を始めている。彼らのストーブ製造技術に関心を持っている工房もあるようだ」
その言葉に、オレの心臓が高鳴る。
「へぇ! 本当に!?」
「ただし、まだ価格と数量の問題がある。野営用となると、相当な数が必要になる」
机の上の文書の山が、貿易に関する書類なのかもしれない。オレはちらりとそっちに目をやった。
「じゃあ、最初は少しだけ買って、それを見本に作れないかな?」
兄貴は薄く笑みを浮かべ、再び机に向かった。ペンを手に取り、何かをメモしている。
「そうだな。まずは数台を購入して、研究してみるのもいいかもしれない」
オレは嬉しさのあまり、つい飛び跳ねそうになった。
「やった! ああ……それから、ストーブの燃料ってなに?」
暖炉の前で薪を整えていた従者が、その質問に耳を傾けた。
「燃料? 薪だが」
「それ、泥炭や石炭使えない?」
兄貴は突然の質問に驚いたようだが、すぐにあごに手をやって考え込むように言う。
「面白い発想だな。確かに南部では石炭を産出しているし、うちの領内にも泥炭地はある」
オレは、前世の記憶を頼りに考えを巡らせた。
燃料の問題はこの時代のオランダにとって重要な課題のはずだ。屋敷の倉庫には薪が山のように積まれている。これだけの量を毎日使うとなると、確かに大きな出費になるだろう。
「でも、まだ誰も試していないの?」
炎が揺らめき、2人の影が壁に大きく映る。薪がパチパチと音を立て、火の粉が舞う。
「試してはいるらしい。泥炭も石炭も使えるはずだが、まだ石炭は値が張る。泥炭なら北部でも手に入るしな」
部屋の片隅で、従者が黙々と薪を暖炉に投げ入れている。
その動作の一つ一つが、燃料を節約しようとする慎重さを感じさせた。
「ポルトガル製が石炭で使えるんなら、そのまま真似して作ればいいんじゃない?」
雪は次第に激しさを増し、もはや地面を真っ白に染め始めている。
「そうだな。運河や河川を使えば、南部からの輸送も難しくはない」
兄貴は再び机に向かうと、先ほどのメモに何かを書き加えた。
「むしろ、泥炭と石炭の両方で試験をしてみるのもいいかもしれない。ポルトガル製なら、燃料の違いにも対応できるはずだ」
オレは暖炉の炎を見つめながら考えていた。領内の泥炭地を活用できれば、燃料の供給も安定するはず。南部の石炭も、ゆくゆくは重要になってくる。将来的には石炭がメインになるだろう。
ああ、ストーブであっためて、何か料理でもできたらな。おでんとか、いいかも。今おれがここでおでん作ったら、400年くらい先取りになるのかな。
ともあれ、6歳でできる事には限りがある。できる事を少しずつ、やっていこう。
次回 第758話 (仮)『オランダの軍事事情』
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